キャロル(騎士)に見送られて大人(女王)になるアリス
タテ読みで「夏の日のアリス・プレザンス・リドルさようなら」
「かがみの国のアリス」では、アリスがドジな老いぼれ騎士(ナイト)にエスコートされ、女王となるのだが、この騎士はルイス・キャロル自身と言われ、アリスが女王になるとはつまり、アリスが大人の女性になることを意味している。
最後に騎士(ナイト)は、アリスに歌を贈る。そのシーンは、
これこそ、これまでかがみの国の旅で見たありとあらゆる奇妙なもののなかでも、いつもアリスが一番はっきり思い出せるものでした。
「新訳 かがみの国のアリス」(角川つばさ文庫/河合祥一郎・訳)より
と文中でもアリスの心に残ったことを強調しているのは、キャロルがアリス・リドルに自分のことをいつまでも覚えていて欲しいと願っていたからではないか。
そして本作の最後の詩で、キャロルはアリス・リドルにさよならを告げる。
これはアクロスティック(折句)と呼ばれる手法で、いわゆるタテ読み。
行頭の文字を並べると、
「夏の日のアリス・プレザンス・リドルさようなら」
と読める。もちろん、「アリス・プレザンス・リドル」とはモデルとなったアリス・リドルの本名で、「夏の日」とはキャロルがボートの上でアリス・リドルに「ふしぎの国」のお話をしてあげた夏の日のことを指している。
キャロルはこうして、愛する少女アリス・リドルの記憶を「ふしぎの国のアリス」「かがみの国のアリス」にとじこめたのだ。
河合祥一郎訳はこんども言葉あそびがいっぱい!
おかしな双子トゥィードルダム(ディー)は関西弁!?
前作の「新訳 ふしぎの国のアリス」を読んだ読者から、「絵につられて買ったのだが、訳もすばらしい!」との感想を多くいただいた。
「ふしぎの国」同様、「かがみの国」も、原書で読めばわかるが、言葉遊びがとても多い。他社のアリス本ではなしえなかった、その言葉遊びを表現したのが河合祥一郎訳なのだ。
たとえば、第3章の「かがみの国の虫」では、原文で、
a Bread-and-butter-fly
「Through the Looking-Glass and What Alice Found There」より
という造語でバターパンのチョウチョを登場させている。
これは原文を読めばおわかりになると思うが、「butter-fly」は「butterfly(チョウチョ)」とかけている。
そのため河合祥一郎訳ではこのチョウを、
《超ショック(朝食)》
「新訳 かがみの国のアリス」(角川つばさ文庫/河合祥一郎・訳)より
として、
バタつく羽根はバターつきのうす切りパン
「新訳 かがみの国のアリス」(角川つばさ文庫/河合祥一郎・訳)より
と、「butter-fly」の言葉遊びを見事に表現している。
他にも、おかしな双子トゥィードルダムとトゥィードルディーの台詞をコテコテの関西弁にして、キャラクターを立てている。
「わたし、セイウチさんが一番好き。」アリスは言いました。
「だって、セイウチさんはかわいそうなカキのことをちょっとは悲しんだもの。」
「けど、大工さんより、ぎょうさん食うたで」とトゥィードルディー。「顔の前にハンカチ持ってったんは、いくつとったのか大工さんに見られんようにするためや、逆に。」
「なんていやらしい!」アリスは怒って言いました。
「じゃあ、大工さんが一番好き――セイウチさんほどたくさん食べなかったんだったら。」
「でも、腹いっぱい食えるだけ食うたで」とトゥィードルダム。
これは困ったことになりました。やがて、アリスは「じゃあ! どっちもとってもいやな人――」と言いかけて、はっとしてやめました。
「新訳 かがみの国のアリス」(角川つばさ文庫/河合祥一郎・訳)より
河合祥一郎訳は、言葉遊びを重視しながら、登場人物たちの個性を豊かに表現しているのが特徴だ。
「ふしぎの国のアリス」を読んでいても、なかなか「かがみの国のアリス」までは読んでいないという人は多い。
しかしアリスは、この2作あわせて完結する作品だ。
「ふしぎの国」よりも、もっとクレイジーな「新訳 かがみの国のアリス」を読むことで、女王になろうとするアリスをエスコートする騎士キャロルと一緒に、少女が大人になる瞬間を見届けてほしい。
参考文献:「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」(ともに角川文庫/河合祥一郎・訳)、「新訳 ふしぎの国のアリス」「新訳 かがみの国のアリス」(ともに角川つばさ文庫/河合祥一郎・訳)
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