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ニコニコ動画10年の歴史 懐かし動画やイベント総ざらい

2017年10月07日 17時00分更新

文● myrmecoleon 編集●村山剛史/アスキー編集部

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投稿動画サイトとして10年目を迎えたニコニコ動画。その歴史をグラフと年表で振り返ります!

投稿動画サイトとして10年目
この10年間に起きたこと総まとめ!

 2016年12月、ニコニコ動画(仮)から数えてニコニコ動画は10周年を迎えました。2017年3月には投稿動画サイトとしてスタートしてからも10年となり、最近はいろんな動画が投稿10周年ということで毎月のように賑わいを見せています。

この記事は『データと年表でみるニコニコ動画の10年』を寄り抜きしてお届けします!

 これを記念して、筆者は前回のコミックマーケット92で『データと年表でみるニコニコ動画の10年』という同人誌を発行しました。データの視点込みでニコ動の10年を見渡せる本を作ってみたものです。ニコ動登場前夜の2004年から今年2017年までを概観するためのデータ・年表をおいて、それぞれの年にニコニコ動画に何が起こっていたかを読み取れるような構成にしています。

 今回はその一部を抜粋した“短縮版”をお送りします。同人誌のほうでは今回触れていない出来事やデータも掲載していますので、ご興味があればぜひ。COMIC ZINさんの通販などでお求めになれます。

 なお、データソースはおもに過去の自分の調査、安心のニコニコチャート(ニコ動の諸ランキングをまとめたデータベースサイト)、今回のために集めたものなどです。各年の動きを読み取るのに手頃なものを中心に記しています。

 年表はその年に人気のあった動画、その後に伸びた動画、ドワンゴやニコニコ動画に関連する出来事、その年の重大事件などをピックアップしています。選別の基準はあくまで主観ですので、「●●が抜けている!」等はご容赦を。また今回掲載したのは全体の3分の1ほどです。

 なお、下記に10年全体を示すグラフも掲載しました。ご参考までに。

ニコニコ動画の総動画数の日別差分をもとに算出。動画の投稿数は2011年頃にピークを迎え、以降は減少が続いている

ドワンゴ・カドカワのIR資料等によるプレミアム会員数と一般PC会員比。ニコニコ動画のおもな収入源であるプレミアム会員は2008年頃に停滞したのちは継続して増加。しかし年々鈍化し、2016年はついに減少に転じた

ニコニコ動画の総再生数の日別差分をもとに算出。毎日の動画の再生数は継続して増加してきたが、2016年にピークを迎えて現在は減少している

ニコニコ動画の総コメント数の日別差分をもとに算出。動画のコメントは2007年から2008年にかけてと2012年から2013年にかけて減少した。以降はしばらく安定(再生数は増加しているのでコメント率は低下)。2016年からは再生数が下がってることもありコメントも再び低下している

各月に動画を投稿したユーザーID数を数えたもの。2016年11月までは同12月1日時点の数字。以降は新規に取得したためデータに漏れがあると思われる点注意。動画の投稿者は2012年初めにピーク。2014年以降は全体の数は大きく変わっていない

投稿動画サイトとして10周年を迎えたニコニコ動画
その歴史をコンパクトにまとめてみた!

 2007年頃は翌年を迎えられるかも不明だったニコニコ動画。しかしそれから10年、数十億のコメントと1000万以上の思い出を積み重ねながら、ニコニコ動画は現在まで続いています。

 データにも表れているように、ニコニコ動画の投稿数は落ち込み、再生数は天井を迎え、予想される先行きは明るいものばかりではありません。それでもニコニコ動画のこの先10年を見つめるにあたって、その過程を振り返ってみることは必要だと思います。

 この10月には新バージョン「niconico(く)」がスタートします。未だに具体的な情報は出ていませんが、かなりの費用を投じて開発を進めてきているらしく、発表が期待されるところです。

 新しいニコ動の前にこれまでの10年を振り返り、これからの10年を見つめ直す助けになれば幸いです。

YouTube動画にコメントを付けるサービスとして
開始するも3ヵ月弱で停止

■2007年以前(仮・β)
 ニコニコ動画が生まれた2006年から少し遡り2004~2006年頃を見ていくと、SNS(日本ではmixi)の普及、ライブドアによるニッポン放送買収から堀江社長逮捕、「電車男」のドラマ化など、従来アニメ・ゲームを愛好する「オタク」の担う側面が大きかった日本のネット文化が、オタクを離れた広い範囲の人々やマスメディアと強い接点を持ちはじめた時期だった。

 動画投稿サイトの代名詞YouTubeは2005年4月に始まるが、知られるのはアメリカでも同年12月の正式サービス開始後、日本でも2006年はじめから。テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の放送がこの頃。YouTubeに違法アップロードされてテレビ放送されない地域でも視聴された。ハルヒヒットの背景にはYouTubeの違法動画の存在があったとも言われている。

2006年12月の値を100としたキーワード「YouTube」のGoogleトレンドの値の各地域での推移。日本ではハルヒ放送の4月から7月頃、アメリカではGoogleによる買収後の拡大が大きい

 エンディングテーマソング「ハレ晴レユカイ」の踊りは「ハルヒダンス」と呼ばれて話題になった。初回の週にアニメMADやガンプラでの再現動画、その後複数の踊ってみた動画がYouTubeに投稿されるなど、ニコ動に近い流行も起きている。

 2006年12月12日、ニコニコ動画(仮)が誕生する。この頃のニコニコ動画は「動画投稿サイト」ではなく、YouTubeなど外部の動画にコメントを重ねるサービス。ゲーム動画やエロゲPVも見られているが、2ch管理人(当時)のひろゆきの影響が大きく、初期によく再生されていた「asimo転倒」はスタート直後にひろゆきが紹介した動画。その後ひろゆきが投稿した動画が10万再生を達成し、(仮)時代の再生数トップとなっている。

 2007年1月15日からニコニコ動画(β)が始まると再生数が桁違いとなり、ランキングは陰陽師・MAD・アイマスなど現在につながる動画が並ぶ。空耳・弾幕などのコメント文化も(β)時代に顕著となった。2月に入るとニコニコ動画を意識した動画をYouTubeに投稿する例も増えており、MADなどのほか、閉鎖直前には「おっくせんまん」の歌ってみたブームも起きている。

「●●を歌ってみた」のムーブメントはこの頃から始まっている

 2月下旬にYouTubeから接続を絶たれ、ニコ動のサービスはここで一度途切れているが、このときに育まれたユーザーや文化が現在のニコニコ動画につながっている。ほんの1ヵ月ほどの短い期間だったニコニコ動画(β)だが、ニコニコ動画の文化が生まれたバージョンだったと言えるだろう。

InternetArchive保存の2007年1月10日時点の合計再生数ランキング(左)および2月18日時点の合計コメント数ランキング(右)。この時期合計再生数ランキングは掲載なし)のスクリーンショット

ニコニコ動画(仮)~(β)の総コメント数の推移。値はInternetArchiveの当時のページから収集。各日付のデータの時刻は一定ではない

2004~2005年の出来事

2006年の出来事

2007年の出来事 ニコニコ動画(β)まで

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