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MCコジマのカルチャー編集後記 第177回

「日本のものづくり」という言葉の行く末

2017年04月07日 08時00分更新

文● コジマ/ASCII

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 はじめにこんな断り書きを入れるのは申し訳ない気持ちもあるのですが、まだ筆者の中で結論が出ていない問題です。だいぶ徒然なるままの文章になると思いますが、編集後記なる性質の記事である以上こんな日もあるさと言い訳をして、続けます。

 「日本のものづくり」というワードを、ちょくちょく耳にします。国内メーカーの発表会でも、この言葉で自社製品をアピールすることがある。

 大雑把に言えば、「信頼」とか、「安全・安心」とか、そのような感情を想起させるためのうたい文句なのでしょう。「信頼の日本製」というようなイメージですね。それは大量生産される機械というよりは、さながら工芸品のような完成度をほこる意味合いとして使われる印象があります。

 一方で、(もう、この言い方が今さら……という気もしますが)アジア各国のIT普及率、およびものづくりの先進化は目覚ましいものがあります。相対的に「日本製」という言葉がそれほどのプライオリティーを持たなくなる時代に差し掛かっているのかもしれません。

 ここで「それでも日本のものづくりにはがんばってほしい!」というのはたやすい。でも、それだけではダメなのではないか。そんな気分になっている。

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