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ものすごく数学をやりたくなった話

2016年10月20日 13時00分更新

文● 盛田 諒(Ryo Morita)

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 10月4日、六本木ニコファーレ。東京大学大学院の森脇湧登さんが2枚のホワイトボードに猛烈なスピードで数式を書きながら、分割数の合同算術について解説している。わたしは頭からシュンシュン蒸気をあげてメモをとりつつ、分不相応かつ大それた企画を立ててしまったことを神に詫びていた。

 『MathPower 2016』、数学の力というお祭りがあると知ったとき、わたしの胸はときめいた。数学オリンピックやプログラミングコンテストなどの競技大会は知っていたが、数学のお祭りというのは聞いたことがなかったから。「もっと社会に数学を」というキャッチコピーも熱くてそそるものがある。バリコテの文系であるわたしにとって数学はまるでファンタジー、あこがれの世界だ。敷居が高かった数学の世界を楽しめるようになる、これはぜひともレポートしなければと考えた。

 結果的にまったく言葉の通じない世界に迷いこんだ「数学の国のアリス」になってしまったわけだが、アリスなりに胸はときめき、心は強く動かされた。自業自得の記者が苦悶するさまを想像し、苦笑しつつお読みいただけるとうれしい。

書いた人──盛田 諒(Ryo Morita)

家電、カルチャー担当記者。文筆業の父親をもち、ワープロをおもちゃに育った完全な文科系。「自分に理解できなかった」というコンプレックスゆえ科学・数学にあこがれを抱き、ポピュラーサイエンス系の書籍をつまみ食いする日々。


35時間ぶっつづけで開催された「MathPower2016」

天才ラマヌジャンの数奇な運命

 MathPowerは10月4日12時から10月5日23時まで35時間ぶっとおしで開催されたイベントだ。ニコニコ生放送でも配信し、数学版24時間テレビの様相を呈していた。生放送ではTeX書式でコメントできて数式がしばしば画面を飛んでいた。ちなみにイベントのキャッチコピー「もっと社会に数学を」はなぜかスタジオジブリ鈴木敏夫プロデューサーによる題字だった。

 イベント自体はもともとカドカワ代表取締役の川上量生社長が社内で数学の教室を開いていたのが始まり。「数学でイベントをしたら面白いんじゃ」と盛り上がり、なぜか35時間連続のお祭りになった。川上社長は「線型代数、微分積分はすべての人に必要だ」と普段から言っているらしい。

 内容はルネサンス期にも開催されていた計算対決「数学の決闘」、素数を使ったトランプゲーム「素数大富豪」、東京大学珠算研究会とコンピューターの計算対決「そろばんvs.パソコン」、数学をテーマにした俳句「数学俳句」などよくこんなことを思いつくなという企画が次々続くもの。

 紹介するだけで笑いが起きたのが「32時間耐久計算」だ。字面からしてすごい。

ラマヌジャン公式で円周率を求め続ける目玉企画「32時間耐久計算」

 1887年生まれの天才数学者ラマヌジャンの公式をもとに、手計算で円周率を求めるという企画。ラマヌジャンに敬意を表するという意味で、パソコンや電卓はもちろんリレー式計算機を含めた電気式計算機は一切使えない。唯一使えるのは1950年代に使われていたという手回し計算機「タイガー計算機」と、一体どこで買ってきたんだという「245桁のそろばん」二挺のみ。とてつもなく厳しい条件下で40メートルぶんの模造紙を計算用紙に使い、32時間ひたすら円周率を求めつづける。

 なお245桁のそろばんはカドカワ川上量生代表取締役社長が自らお求めになった品だそうで、お値段一挺37万円、二挺買って合計74万円。「伝統工芸士二代目雲文監修のもと名工たちが1ヵ月かけて制作した」などの云われがあり、継ぎなし1本木から作った逸品などと言われると欲しくなってくるのがおそろしい。イベントが終わったあとはどうするのだろうか。

カドカワ川上量生社長が買ったという特注そろばん

手回し式のタイガー計算機。この2つで円周率を求める

 ところでなぜラマヌジャンの公式にこだわるかというと、これが円周率計算の歴史上とんでもない存在だからだ。

 古くは紀元前2000年、古代バビロニアから始まった円周率計算は、現代に入るとコンピューターの時代に。1949年に世界最古のコンピューターと言われる「ENIAC」が2037桁の計算を終え、約10年後の1958年にはIBMの「IBM704」が1万桁に達した。そこから1960年に「IBM7090」が10万桁、1973年に「CDC7600」が100万桁と順調に桁数を増やしていったが、10年後に驚くべきことが起きる。1985年、ラマヌジャンの公式を応用した計算が1700万桁に達してしまった。ラマヌジャンが残した計算手法は、一時期コンピューターの計算量さえしのいだのだ。

 ラマヌジャンが発見した級数表示は以下のように謎の数字に満ちたもの。本人は公式を「女神様が教えてくれた」と言っていたそうだ。もともと信心深い家に生まれていたためのエピソードだが、天才としか言いようがない。

 MathPowerの会場では、10月22日全国ロードショーの映画『奇蹟がくれた数式』(KADOKAWA配給)試写会があった。ラマヌジャンの半生を描いたドラマであり、描かれているのは「数学者における友」の姿であった。

 ラマヌジャンはイギリス植民地時代のインドで貧しい家に生まれた。小さな会社の事務員として働きながらまったくの独学で数学を学んでいたラマヌジャンは、理解ある上司の協力を得て「自分が発見した公式を書いた手紙」を数名の教授に送る。公式の難解さからほとんどの教授がまともにとりあってくれなかった中、ケンブリッジ大学のG.H.ハーディ教授だけは違った。伝統より革新を重んじるハーディ教授は新たな才能としてのラマヌジャンを歓迎した。愛する妻をインドに残してイギリスに渡ったラマヌジャンだが、大学ではほとんどの教授から「学歴もないインド人である」ことを理由に冷遇される。まだ若いラマヌジャンはせっかく発見した公式が発表できないことに不安と焦りを感じ、ハーディとも激しくぶつかるようになる。やがて第一次世界大戦が勃発し、国内全体は保守主義的なムードに。変化を訴えつづけるハーディ自身も学内で煙たがられてしまう。ラマヌジャン、ハーディ、大学内で孤立していく二人は互いの人生を賭け、壮絶な戦いの末、ひとつの公式を証明することになる。しかしそのときラマヌジャンの体は死に至る病に冒されていた──

 結果ラマヌジャンは32歳の若さでこの世を去ることになる。実話にもとづいた人間ドラマとして見ることもできるが、肌の色も年齢も違う二人の数学者が一つの公式を証明するまでの友情を描いた映画として見るのが本筋ではないかと思う。

 ちなみにラマヌジャンのすさまじさを象徴するエピソードのひとつとして、映画にも登場する「タクシー数」の逸話がある。ハーディが療養所に入ったラマヌジャンを見舞いに行ったとき、乗ってきたタクシーの「1729」という車両番号を「特徴のない数だった」と言った。するとラマヌジャンは「そんなことありません、とても興味深い数です。2つの異なる立方数の和としてn通りに表される正の整数です」と言ったという。以来、1729はハッカーたちの間で「一見すると意味がないように見える数字」として扱われるようになったとか。まったく理解が追いつかない。

 なお映画上映前には、冒頭の森脇さんによる映画の「数学的予習」があった。劇中に登場する「Formへの愛」という言葉が数学にとってどういう意味をもっているかを解説するものだったのだが、内容は冒頭10分間をのぞいてほぼすべて数式であった。Formは「形式」と訳されていたが、どうもそれが数式のつくりに由来しているという話なのである。後に主催者いわく「ものすごく分かりやすい」解説だったということなのだが、わたしの頭上には無数のひよこが飛び交っていた。

 このように基本的には数式をもとにしたマスマティカルジョークが飛び交う会場であるが、カドカワ代表取締役川上量生社長と江川達也さんの対談は文系にもとっつきやすいものであった。テーマは「『本当に人生に役立つ学問は、数学だけである。』は本当か?」。いわく「漫画は中学校の数学だ」ということであり、どういうことか。


漫画は中学校の数学なんだ

 「本当に人生に役立つ学問は、数学だけである」は、江川達也さんの漫画『東京大学物語』でヒロイン水野遥ちゃんが数学教師・矢野哲郎に言われる言葉。江川さん自身も「数学だけが先生の言っていることはちゃんとしているが、(ほかの教科は先生の言うことに)論理性がないんじゃないか」と学生時代に疑っていたふしがあったらしい。

 一方、論理的な数学は基本的に「現実と関係がない形而上の世界」だと江川さん。理科系が現実を理論的に説明するのに対し、数学では現実がどうあろうと無関係で「ある意味で妄想の世界に近い」(江川さん)。しかし妄想であっても論理は論理。科学者が数学を使って現象を説明するように、ある局面では数学的な思考方法を現実に取り入れることはできる。それは「エロい妄想」を現実にいかせるかどうかに近いんじゃないか、という江川さんらしい表現をする。

 「エロい妄想が現実的にも使えるか、うまく使えてるのかどうか。よくできた妄想は使える。数学もエロスもすべて、そういうもんじゃないかなと」(江川さん)

 そこで漫画の話だ。江川さんが漫画を描くとき、物語や設定などは掲載先の漫画雑誌・読者層・ジャンルなどの条件から計算して作っている。たとえば前述の『東京大学物語』の裏側には、週刊少年ジャンプ『まじかる☆タルるートくん』連載時に学んだ「売れる定理」があったという。

数学にのめりこみ、社内で数学教室を始めた川上社長

 「(ジャンプ漫画は)心の距離が重要。勝利したから人気が出るんじゃなく、負けたやつが勝ったやつに『お前はすげーな』と言った瞬間が人気になる。男同士の格闘はセックス」(江川さん)

 「コミケでボーイズラブの対象になるのはジャンプ作品が多い」(川上社長)

 「同じこと。すごく心と心が対立していた次の瞬間、ページをめくった途端に距離が縮まっている。距離が縮まるスピードが要するに感動。それをよりシステム化してラブコメ(東京大学物語)を書いたら当たったと」(江川さん)

 驚かされたのは江川さんが「売れるジャンプ漫画の定理」を教わったのはかつて江川さんが弟子入りした本宮ひろ志さんだったということだ。本宮さんは「江川くん、漫画は中学校の数学なんだよ」と江川さんに教えたのだという。

 「本宮先生は雑な絵を描くし、ストーリーも雑っぽくて暴走する感じだけど、実は売れるシステムをジャンプで確立した先生。本宮先生は『どうしたら売れるんだろう』ってことをつねに考えていて、『男一匹ガキ大将』っていう漫画がジャンプの根源にある。『ドラゴンボール』も『ジョジョの奇妙な冒険』も『魁!男塾』もすべて本宮システムでできている」(江川さん)

 本宮システムをさかのぼると『南総里見八犬伝』、『水滸伝』、『三国志』、山岡荘八の『織田信長』など古典につきあたる。古典の中でどういうシステムがいちばん読者がスカッとするかを考えて、暗中模索で漫画にあてはめていったそうだ。

 ちなみにジャンプ漫画制作の裏側を描いた大ヒット漫画『バクマン。』は、本宮システムを知っている江川さんに言わせれば「ぬるい」ということ。

自身も教師の経験がある江川さん

 その後『東京大学物語』であえて計算結果をはずした実験して人気を落としたとか。危険を犯してまで実験をするのは、今までとは違うパターンを発見したいため。「実験したくて漫画を描いているのかもしれない。同じシステムを使っても、新しいものは生まれないから」と江川さん。川上社長も「儲かる仕事はやりたくない、分かりきった努力はしたくないから」と同調していた。

 人生で数式を使う機会は少なくても、大きな課題に面したときのアプローチを考える上では役に立つ。人を感動させる方法のように、いかにも文系らしい考えも、実は根をたどれば数学的。数年前から数学が注目されはじめている理由もまさに、世間から数学が「役立つ学問」であると支持されはじめているからだ。

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