このページの本文へ

当時19歳元巡査の上司射殺事件に懲役22年、被害者の妻は何を語ったか

文● 戸田一法(ダイヤモンド・オンライン

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷
警察官が同僚を射殺したという事件は世間に衝撃を与えた
警察官が同僚を射殺したという前代未聞の事件は世間に衝撃を与えた(写真はイメージです) Photo:PIXTA

滋賀県彦根市の彦根署河瀬駅前交番で昨年4月、上司の巡査部長を射殺したとして殺人罪と銃刀法違反(発射、加重所持)の罪に問われた当時19歳の元巡査(20、懲戒免職)の男に対する裁判員裁判の判決公判が、8日午後3時半から大津地裁で開かれ、伊藤寛樹裁判長は争点となっていた刑事責任能力について「当時、衝動性が高まる適応障害の症状が認められた」としたが「判断や行動の抑制能力に強く及ぼしてはいない」として刑事責任能力を認め、懲役22年(求刑25年)を言い渡した。現職警察官が拳銃で同僚を射殺した過去に例がない事件。警察官でもある被害者の妻は公判で「(事件当時)未成年だったからと言って許すことはできない」と涙ながらに語っていた。(事件ジャーナリスト 戸田一法)

警察史上初の同僚射殺

 事件が起きたのは昨年4月11日午後7時45分ごろ。

 判決によると、元巡査は河瀬駅前交番で井本光巡査部長(当時41、警部に昇進)に向けて拳銃で頭部と背中に銃弾2発を発射して殺害。パトカーで逃走し、同日午後8時半ごろまで拳銃と実弾3発を所持していた。

 この事件を巡っては、警察官が同僚を射殺したという国内の警察史上、初めての出来事で世間に衝撃を与えた。

 また未成年が起こした少年事件にもかかわらず、実弾入りの拳銃を所持して逃走しているという特殊性から、滋賀県警が実名と写真を公表し、NHKが実名と写真を報道(逮捕後、匿名に切り替え)したという特異なケースとして注目された。

 交番はJR東海道線の河瀬駅前にあり、周辺は学校もある住宅街。彦根市中心部にある彦根城から南に約7キロで、パトカーが発見された愛荘町は彦根市の南隣にあり、交番から約4キロ離れていた。

 元巡査は県立高校で野球部に所属し、外野手として活躍。明るい性格で友人も多かったという。卒業後、17年4月に警察学校に入校。18年1月29日に彦根署地域課に赴任し、河瀬駅前交番には3月26日配属された。井本警部から指導を受けたのはわずか半月だった。

 交番の職務体制は、通常は3人体制だったが、事件当日は1人が病欠で、朝から井本警部と元巡査が24時間勤務をしていた。事件はそのさなかで起きた。

 元巡査は昨年6月1日に起訴され、今年1月22日に公判前整理手続きが終了。30日の初公判で起訴内容(判決と同じ)について「その通り、間違いない」と全面的に事実関係を認めていた。

 検察側は初公判の冒頭陳述で、元巡査の動機について、書類の作成などについて繰り返し訂正を求められるなどの指導を受け、手元の仕事が進まずに蓄積し、怒りや鬱憤(うっぷん)、自分だけが不遇だと不満を募らせ自尊心を傷付けられたなどと指摘。「事件当日も指導で、ため込んでいた怒りと不満が爆発した」と述べた。

被害者妻が初公判前にコメント

 30日の初公判を前に、井本警部の妻で警察官の美絵さんが県警を通じ、県警記者クラブにコメントを寄せていた。

 省略せずに、全文を掲載したい。

「昨年4月の思いがけない突然の事件で、私たち家族はかけがえのない存在である夫を亡くし、絶望のどん底に突き落とされたようで、今も深い悲しみの中におります。事件以来、なぜ夫が殺されなければならなかったのか、防ぐ手段はなかったのか、という思いで苦しんでいます。夫は2度と帰ってきませんし、明るい笑顔を見ることも、その声を聞くこともできないのです」

 そして、こう結んだ。「被告人には強い憤りを感じるのみです」

 元巡査は事件当時未成年だったため、逮捕・送検後に大津家裁に送致されたが、家裁は刑事処分相当として検察官送致(逆送)。大津地検は刑事責任能力の有無を確認するための精神鑑定を実施したが、問題ないと判断し、鑑定留置などはせずに起訴した。

 1月30日の初公判。元巡査は無表情で「間違いありません」と事実関係を認めた一方、弁護側は「物事の良しあしの判断や行動をコントロールする能力が低下していた」として、刑事責任能力を争う姿勢を示した。事実関係に争いがない以上、弁護側としては争点を刑事責任能力に絞るしかなかった。

 公判では、証人として出廷した同僚が「元巡査は井本警部に苦手意識を持っていたようだった」と証言。「書類の訂正を十数回求められたこともあった。真剣に聞いていたが、頭の中はいっぱいいっぱいだったようだ」と述べた上で、「理不尽な指導はなかった」と訴えた。

 筆者はこの証言を聞いて、井本警部は「素晴らしい指導者だったのだな」と痛感した。

 というのは「警察官は犯罪者を逮捕するのが仕事」というイメージがあると思うが、実際はそうではない。逮捕・起訴後の公判維持のため、書類作成が仕事の8割以上を占めるのが実態だ。

 極論かもしれないが、公判で有罪にできるかどうか微妙な容疑者を逮捕する暇があったら、確実に有罪にできる容疑者を引っ張ってきて書類をきちんと作る方が仕事としては重要なのだ。

 警察組織で出世するのは、意外かもしれないが事件摘発の実績などではなく、書類作成能力だ。だから大きな事件を抱えて捜査本部が置かれた時、右往左往する署長が結構いるのは事件担当を長くやった記者なら誰でも知っている。

 そういった意味では、井本警部は元巡査に期待し、“しっかり指導していた”という印象を受けたのだ。

 そして、元巡査は指導の中で両親を侮辱されたことを動機の1つに挙げているが、であればなぜ、その親思いの元巡査が男児2人から父親を奪うような愚かな行為をしたのか…。

 元巡査の母親は証人として出廷し、逃走中に「ごめん、死ぬわ。両親のことまでボロクソ言われてどうにもならんかった」と電話があったことが明らかにした。母親は正直に答えただけだが、皮肉なことにこのやり取りできちんとした社会的な判断ができ、刑事責任能力が問えるということが証明されてしまった。

同僚に背中から撃たれた無念

 美絵さんは被害者参加制度を利用し、初公判から判決まですべて傍聴していた。

 2月4日の論告求刑公判で、美絵さんは聞きなれない言葉を発した。「お互いの背中を預けあうはずの、同僚を背中から撃った」

「お互いの背中を預けあう」。筆者も元新聞記者として長い間、日本語と向き合ってきたが、この言葉に接したことはなかった。しかし、美絵さんの発言の意味や慟哭(どうこく)は理解できた。

 警察官の職務は時に命に関わる。「殉職」という言葉を聞けば、誰しもが警察官の姿を思い浮かべるだろう。そう、命懸けの仕事だからこそ、相棒を信じ、お互いに助け合うというのが「警察官の本能・あるべき姿だ」と言いたかったのだ。

「何のために警察官になったのか。何の権利があって、私たちの幸せを奪ったのか」。美絵さんは、元巡査にこう問い掛けた。初公判から謝罪していなかった元巡査は、この問い掛け後、初めて「申し訳ありませんでした」と口にした。

「4歳の長男は、最後の別れとなった葬儀場名をあげて『行きたい』と言います。父親に会えるんじゃないかと思う姿が本当につらい」

  美絵さんは、気丈に話していたが、途中から言葉に詰まるなど涙声になった。裁判員の女性も目を潤ませていた。元巡査は公判を通じ、無表情だったが、美絵さんの証人尋問で初めて顔をゆがめ、自分の罪を悟ったようだった。

 検察官は美絵さんに、元巡査の動機として「両親を侮辱された」と供述していることに質問した。少し逡巡した後「夫は理由もなく人を愚弄(ぐろう)しない。言っていないと信じています」ときっぱりと訴えた。

 美絵さんと井本警部は警察学校の同期。「世界にたった1人の優しい夫で、2人の子どもの大好きな父」。警察官であると同時に、かけがえのない夫・父親だった井本警部。「警察官は県民を守るため拳銃を貸与されている。でも、元巡査は自尊心を守るために夫を殺した。許せません。厳しい処罰を望みます」

 下された判決に、美絵さんは納得しているだろうか…。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

カテゴリートップへ

最新記事
最新記事

アスキー・ビジネスセレクション

QDレーザー販促企画バナー

ASCII.jp ビジネスヘッドライン

ピックアップ