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川崎フロンターレ連覇の理由、大黒柱・中村憲剛38歳の言葉から探る

2018年11月14日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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優勝した川崎フロンターレ
Jリーグ2連覇を果たした川崎フロンターレ 写真:アフロ

川崎フロンターレが史上5チーム目となるJ1連覇を達成した。クラブの悲願だった昨シーズンの初優勝と比べると、長く金看板としてきた圧倒的な攻撃力に加えて、リーグ最少失点を誇る堅守も身にまとったことがサンフレッチェ広島を逆転しての戴冠を導いた。鬼木達監督の下で「攻守両面で隙のないチーム」を追求して2シーズン目。フロンターレひと筋で16年間プレーし、38歳になった今もなお成長を続けるレジェンドにして大黒柱、MF中村憲剛が残してきた機知に富んだ言葉の数々に、遅れてJリーグに参戦したフロンターレが進化を遂げてきた理由が凝縮されている。(ノンフィクションライター 藤江直人)

チャンピオンとして迎えた今シーズン
一時13ポイント差の広島を逆転して優勝

 38歳の誕生日を迎えた10月31日を境に、川崎フロンターレひと筋でプレーして16年目になるレジェンドにして大黒柱、MF中村憲剛はこんな言葉を幾度となく残してきた。

「こんなに幸せな38歳はいないと思う」

 スタートから四半世紀を迎えたJリーグの歴史上で、5チーム目となるJ1連覇を果たした10日のセレッソ大阪との明治安田生命J1リーグ第32節後にも、中村は同じニュアンスの言葉を口にしながら感無量の思いに浸った。機知に富んだ語録を振り返れば、37歳だった1年前にはこう語っていた。

「これでいろいろな呪縛から解放されそうな気がする。フロンターレの未来につながるんじゃないかと」

 忘れもしない昨年12月2日。J1最終節で鹿島アントラーズに勝ち点で並び、得失点差で逆転してクラブ悲願の初タイトルを獲得。ホームの等々力陸上競技場のピッチに突っ伏し、尽き果てるまで歓喜の涙を流した直後に、晴れやかな笑顔とともに残した名言が現実のものとなった。

 一時は勝ち点で13ポイントもの大差をつけられ、独走を許していたサンフレッチェ広島を焦ることなく追走。白星を重ね続けることで重圧をかけ、メンタル面からも相手を大失速させる状況を作り上げ、勝負をかける終盤戦になって一気に追いつき、2試合を残して挽回不可能なポイント差にまで広げてみせた。

「昨シーズンの優勝とは全然違うというか、チャンピオンとして臨むシーズン、勝って当たり前だろうと思われながら臨むシーズンの苦しさを感じました。そうしたものをはねのけてここまでやってきたことに対しては、自分たちの力を評価していいと思う」

フロンターレと共に成長してきた中村憲剛
7度の準優勝もタイトルに届かない

 フロンターレの歴史は中村の成長と密接にリンクしてきた。都立久留米高校から中央大学をへて、J2を戦っていたフロンターレに加入したのが2003シーズン。テスト生としてキャンプに参加した末にプロ契約を提示してくれたからこそ、誰よりも深い愛情をフロンターレに注いできた。

 2年目の2004シーズン。関塚隆監督(現日本サッカー協会技術委員長)の下で、攻撃的MFからボランチへ転向した中で正確無比な縦パスを身につけた。指南役を担ったのはJ1歴代9位にランクされる通算116ゴールをマークした快足アタッカー、ブラジル人のジュニーニョだった。

「ボールを持ったらまずオレを見ろ。オレのスピードに合わせて縦パスを出せ」

 J1の舞台に復帰した2005シーズン以降のフロンターレは、一撃必殺のカウンターを武器に上位戦線へ食らいついた。ジュニーニョとのホットラインを開通させた当時の中村は、こんな言葉を残している。

「往復ビンタの張り合いなら絶対に負けない」

 一発殴られたら二発返す。要は点の取り合いになれば負けない。得点も多ければ失点も多い攻撃重視のチームは、残念ながらタイトルには手が届かなかった。2006シーズンからの4年間でJ1の2位に泣くこと3度。ヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)でも、決勝で2度敗れた。

 ボールと選手が絶え間なく動く、独特のポゼッションサッカーを標榜する風間八宏監督(現名古屋グランパス監督)が就任したのは2012シーズンの途中。日々の練習を介して変化していく自分に「30歳を超えた選手が、自分の意識次第でこれだけ上手くなれるんですね」と声を弾ませたこともある。

 中村がさらなる進化を遂げても、タイトルには手が届かない。2016シーズンの天皇杯全日本サッカー選手権、昨シーズンのYBCルヴァンカップとまたも準優勝に終わった。大一番で勝負弱い、シルバー・コレクターだといつしか揶揄されるようになった状況を、7度の準優勝を経験した中村は甘んじて受け入れた。

「そう言われるのはしょうがないし、実は自分が原因なんじゃないか、と思うことも多少あった。これだけチームに長くいて毎回のように2位だったら、やっぱり自分に対してちょっと問題提起しなきゃいけないところもあるので」

2017年から鬼木ヘッドコーチが監督に
「攻守で圧倒」する方針へ

 2016シーズン限りで風間監督が退任した後は、鬼木達ヘッドコーチが昇格した。トップチームを率いた経験はない。それでも現役時代の大半を、常勝軍団へ変貌しつつあった鹿島アントラーズでプレーした指揮官は前任者の路線を継承。その上で「攻撃だけでなく、守備でも相手を圧倒しよう」と新たな方針を掲げた。

 昨シーズンの序盤戦は、選手たちの意識が守備に傾きすぎた感が否めなかった。勝ち点こそ何とか積み上げていたが、どこか中途半端な戦いに終始した状況を、中村は的確な言葉で表現している。

「キャンプから攻撃はそのままで守備、守備と言っている間に攻撃が若干だけどピンボケしてしまった」

 昨年4月21日の清水エスパルス戦を前にして、鬼木監督は「やっぱりオレたちは、ボールを握ってナンボのチームだろう」と訴えかけてきた。ボールを握るとは、要はパスを回し続けて試合を支配すること。檄の意図を瞬時に理解した中村は、ピッチの上で具現化させる作業に努めてきた。

「相手を握り倒すんだと、オニさん(鬼木監督)があの時に言ってくれたおかげで、僕たちの意識もそっち(攻撃)に向かうようになった。結果としてそれまで守備でやってきたことも花開いて、攻守のバランスが高次元でまとまっているチームになったと思う」

 風間前監督時代から受け継がれる財産と、今もアントラーズに脈打つ勝負強さとの融合。トライ&エラーを繰り返しながら手にした昨年の初タイトルに表情を綻ばせた大黒柱は、偽らざる本音も明かしている。「今回も逃したら、ずっとタイトルを取れないんじゃないか」と。

「自分たちがやってきたことに対してもちろん信頼しているけど、でも勝てていないよね、と指摘されたら何も言い返せなかった。選手だけじゃなくて、スタッフにもサポーターにも半信半疑みたいなところは多分あったと思うけど、だからこそこのやり方で優勝できた、タイトルを取れたと言えることがフロンターレにとって大きい。実際にタイトルを取ってどうなるのか、自分でも楽しみですよね」

追われる立場になってから
38歳の中村が搭載した“新たな武器”とは

 追う側から追われる側へ立場を変えた今シーズン。例えるなら肉を切らせて骨を断つような、超守備的な戦法で臨んできたチームも少なくなかった。自陣に引いて強固なブロックを作り、試合を支配されるのを承知の上で、何とかしてボールを奪った瞬間に乾坤一擲のカウンターを仕掛ける。

 包囲網が出来上がりつつある状況にも、中村をはじめとするフロンターレの選手たちは動じなかった。鬼木監督が求める「攻守両面で隙のないチーム」は、まだ完成に至っていなかったからだ。

「自分たちがやるべきことをやれば違う次元のサッカーになる、相手に何もさせせずに自分たちがひたすらボールを持って攻めるサッカーができると僕たちは思っている。そのためには自分たちが1人ひとりの質を上げること。もちろん相手もあることなので、結果には勝ち、負け、引き分けがありますけど、それを目指せる環境にフロンターレがあって、なおかつ連覇も達成できたことで、日々の練習は嘘をつかないとあらためて思いました」

 ならば、中村自身は何に取り組んできたのか。38歳になるシーズンに、新たな武器として何を175センチ、66キロの体に搭載させたのか。答えは前線から激しく、かつ絶え間なく繰り返すハイプレスとなる。中村も自信を持ってこう公言する。

「自分の中では、それ(ハイプレス)が今シーズンのすべてと言っても過言ではない」

 マイボール時はトップ下で攻撃を差配する中村は、相手ボールになった瞬間に1トップの小林悠と連携を取りながらプレスの「一の矢」を担い続けた。自分のところでボールを奪えなくても、後に続く味方が奪取できる状況を作り出し、相手ゴールにより近いエリアから再び攻撃を仕掛けられる。

 攻防一体となったサッカーが繰り返された結果として、攻守両面で相手を圧倒する、例えるなら「蹂躙」するスタイルの成果は確固たる数字になって表れた。それは相手に打たれるシュートの本数の少なさだ。

 32試合を終えた段階で、フロンターレの「被シュート数」は219本。昨シーズンの316本から大幅に減らし、アントラーズの277本に大差をつけるリーグ最少をマークしている。シュートを打たれなければ、必然的に失点する確率も低くなる。リーグ最少となるフロンターレの総失点26は、必然の数字だった。

「何も守るためにプレスをかけてきたわけではない。今のチームでやるべきことは攻撃以上に、自分が常にプレスのスイッチャーになることであり、それが自分自身の成長にもつながっている。後ろがボールを取ってくれて、ショートカウンターで点が取れる楽しさもこの年になって初めて覚えた。逆にプレスができなくなったら、恐らく試合に出してもらえない。そういう集団になってきた、とすごく感じている。頼もしいチームメイトのなかで、これまで以上に自分を追求できた1年だった」

 ボールを握るのではなく、ボールを握り倒す――指揮官が提示したビジョンを実際に具現化させるために明晰な頭脳をフル回転させてきた結果として、怒濤のハイプレスに行き着いた。運動量を維持するために、常にコンディション管理にも気を配ってきた。ピッチ上の監督と呼べる存在感を放つ中村がいたからこそ、達成できた連覇だったと言っても決して過言ではない。

後発組のフロンターレが初の連覇
チームのために中村の成長は続く

「タイトルを取れなかったことが自分の中でモチベーションになっていたし、取ったことが新たなモチベーションになった。つまり何でもモチベーションになる、要は自分次第なんだ、と。もういいか、と思えば多分そこで終わるけど、僕はまた来年取りたいと思っていますから。後輩たちに『これをフロンターレの日常にしていく』という役目が、自分にはあると思っているので」

 過去に連覇を達成したヴェルディ川崎、鹿島アントラーズ、横浜F・マリノス、サンフレッチェ広島は、1993シーズンのJリーグ元年から参戦したいわゆる「オリジナル10」だった。フロンターレが初めてJ1に挑んだのは2000シーズン。後発組が達成した価値に、中村も思わず声を弾ませた。

「これまでのすべての取り組みが肯定された、ということ。来シーズンも対策を練られるだろうし、今シーズンとは比べものにならないプレッシャーもあると思うけど、それでも僕たちはやってきたことの質を高めていく。ただそれだけだと思っています」

 一度タイトルを取れば、表彰台からの景色を再び見たいと誰もが望む。アントラーズはその繰り返しで常勝軍団となった。そしてフロンターレも、現時点でJ1最強の「矛」と「盾」を手に入れても満足しない。すべてを捧げてきたクラブをさらなる高みへ導いていくために、中村はグループ、そしてチーム全体の進化の源となる個人の成長を貪欲なまでに追い求めていく。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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