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三井生命に社名変更を迫った「財閥の掟」

2018年11月09日 06時00分更新

文● 週刊ダイヤモンド編集部(ダイヤモンド・オンライン

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大手生保による激しいトップライン競争が繰り広げられる中、日本生命による三井生命の買収は当時大きな注目を集めた
大手生保による激しいトップライン競争が繰り広げられる中、日本生命による三井生命の買収は当時大きな注目を集めた Photo by Akio Fujita

 三井生命保険が来年4月に、社名を変更する。年内にも新社名を正式決定するが、90年以上にわたって守り抜いてきた「三井」の名称が、ついに外れることになる。

「え、本当ですか」。10月末、三井生命が社員に対して社名変更について説明したことを聞いたOBたちは、一様にショックを隠せない様子だった。

 三井グループは、“三大財閥”の三菱や住友に比べ、グループとしての結束力はそれほど強くないとされるものの、社員やOBたちにとって三井であることの矜持、思い入れは想像する以上に強かったようだ。

 そもそも三井生命が、業界最大手の日本生命保険の傘下に入ることが決まったのは、2015年9月のこと。翌春には三井グループの社長会である「二木会」を退会したものの、社名はそのままだった。それから2年以上も経った今になって、なぜ社名変更の決断に至ったのか。

 理由を探る中で見えてくるのは、三井グループの厳格な商号・商標管理の歴史だ。

 三井生命の前身は、東京・銀座の商店主たちが発起人となった「高砂生命」。その後、関東大震災による影響で経営権を三井グループを統括する三井合名会社に譲ったことで、1927年に現在の社名になっている。

 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が旧財閥の商号・商標の使用を禁じる政令を出した際、三井グループは「商号商標保全会」を結成し、禁止令撤廃活動を強力に推進。三井生命は一時、中央生命という名称で営業を余儀なくされたが、そうした活動の甲斐もあって52年には名前を取り戻した。

 以降は、保全会を中心に厳格な三井ブランドの管理体制が敷かれ、三井の名称に安易にあやかろうとする企業と、法廷の場で争ってきた経緯がある。三井を名乗るための資本構成の“掟”も存在し、法廷闘争ではそれがときに強力なカードにもなってきた。

 にもかかわらず、日生が三井生命の株式の82%超を握る状況で、三井の名称を使い続けることは、いかにも具合が悪い。

 保全会や実務を取り仕切る商号委員会の場においても、事務局となる三井不動産、三井物産、三井住友銀行のグループ御三家の間で「三井生命の名称をどうするかについて、日生の買収当初から温度差があった」(関係者)というが、ここにきて「ケジメをつけるべき」という声に、三井生命としても抗えなくなったようだ。

 今後三井生命は、社名変更をきっかけに名実ともに日生のグループ会社として、経営の一体化をより一層進めていくことになる。

(週刊ダイヤモンド編集部 中村正毅)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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