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ロッテ岡田幸文の「2501打席ホームランなし」は不名誉な記録ではない

2018年10月11日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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岡田幸文選手が活躍したZOZOマリンスタジアム
岡田幸文外野手が活躍した千葉ロッテマリーンズの本拠地ZOZOマリンスタジアム Photo:PIXTA

記録と記憶に残る職人がまた一人、プロ野球界に別れを告げた。2008年の育成選手ドラフト6位で、社会人の全足利クラブから千葉ロッテマリーンズへ入団。俊足と好守を武器に一軍へはい上がり、玄人を唸らせるプレーで魅せ続けてきた岡田幸文外野手(34)が今シーズン限りで現役を引退した。デビューから2501打席に渡ってホームランなしが続いた軌跡は他の追随を許さず、もしかすると未来永劫に更新されないかもしれないプロ野球記録。己の技量を熟知することで、猛者たちが集うプロ集団の中で適材適所を機能させ、その時点でできるベストの走攻守を愛するマリーンズに捧げてきた岡田にとっては不名誉な記録ではなく、むしろいぶし銀の輝きを放つ最高の勲章となった。(ノンフィクションライター 藤江直人)

ホームランゼロで現役を引退
それでも実働9年間一軍で活躍した逸材

 ヒットを狙った一撃が図らずもホームランとなる。あるいは、ホームランを狙った打ち損ないがヒットになる。バッターが2つのタイプに分けられるとすれば、千葉ロッテマリーンズの岡田幸文外野手は前者の典型的な存在であることを矜恃として抱きながら、今シーズン限りでユニフォームを脱いだ。

 2018年10月8日。福岡ソフトバンクホークスを本拠地ZOZOマリンスタジアムに迎え、自身の引退試合と銘打たれた25回戦の九回裏。二死無走者で回ってきた通算2501打席目にして、現役では最後となるバッティングチャンスでも岡田は「自分らしさ」を貫いた。

 それは「内野手の間を抜く、あるいは外野手の間を抜いていくような、低くて速い打球を打つ」――。右腕・森唯斗が投げ込んできたストレートに、グリップを少しだけ余して握ったバットを強く振り抜いた。鋭い打球が一、二塁間を抜けていく。一塁を回ったその表情は、涙を必死にこらえているように映った。

 実働9年間に渡った一軍の舞台で、有終の美を飾ったソフトバンク戦での猛打賞を含めて573本のヒットを放った。内訳はシングルが521本。ツーベースが31本。スリーベースが21本。そして、野球の華であるホームランは、ついにゼロのままで終わった。

 初打席からホームランなし、という珍しいプロ野球記録を調べれば、岡田の「2501打席」は他の追随を許さない。そして、この数字と記録こそが、2008年の育成ドラフトで6位指名され、背番号「132」とともに弱肉強食のプロの世界へ飛び込んだ岡田を、記憶に残る名手へと成長させた理由のひとつとなった。

 記憶をさかのぼれば、最後に放ったホームランは社会人の全足利クラブでプレーしていた2008年5月に行われた、全日本クラブ野球選手権の栃木県大会2回戦。両翼91.7メートルしかない鹿沼運動公園野球場のライトポール際の、最前列にギリギリで飛び込んだ一撃に行き着く。

 ちょっと失礼な言い方をすれば、両翼99.5メートルのZOZOマリンを含めた他のスタジアムでは、スタンドインしていなかったかもしれない。それでも岡田は「ホームランを打つ時の感触が、僕には分からないので」と意に介さないとばかりに、笑顔を浮かべながらホームランに対する持論を展開したことがある。

「今までホームランを打っていないということは、そういうバッターなんだと自分自身に対して納得しているというか。逆に例えホームランを打てなくても、自分のように一軍の舞台で戦力としてやっていけるということは、野球をしている子どもたちに夢を与えられるのかなと思っていますけどね。僕自身がレギュラーとして定着していくためにはもっと、もっと出塁率を高めなくてはいけない。そのためには、強い打球が必要なんです。その結果としてホームランになってくれればいいかなとは思いますけど、とにかく強い打球ですね。打たないとお金も稼げないのでね」

 こう語ってくれたのは、2016年の開幕へ向けた石垣島キャンプ中だった。前年は205打席、24得点、46安打、11盗塁に終わっていた。育成契約でプロ入りした選手では史上初めて全試合出場と規定打席到達を達成した2011年と比べると、打席と得点、安打数は約3分の1に、盗塁は約4分の1に減っていた。

 打率.245も同年以降では最低の数字だったが、岡田自身は出塁率が3割を切っていたことを何よりも問題視していた。DHを含めた9人の野手が名前を連ねる打線には、まさに9通りの役割がある。いわゆる適材適所。177センチ、70キロとやや華奢な岡田の役割はどんな形でも塁に出て、50mを5秒6で走破する快足で相手バッテリーに神経を使わせて、最終的にホームを踏むことが仕事となるからだ。

 球界でも屈指となる韋駄天ぶりを考えれば、打球を転がすことで内野安打を狙えばいいのでは、という発想が浮かんでくる。実際、2010年はヒットに占める内野安打の割合が32%に達している。しかし、いくら足に自信があっても、岡田は「内野安打は狙って打てない」と繰り返してきた。

 打球を転がそうとする意識が過剰に働けば、上半身と下半身が一緒になって前へ突っ込む、いわゆる「走り打ち」になるケースが少なくない。岡田が「そうなると、強い打球を打つことが難しくなりますから」と苦笑しながら、2015年に陥った不振の原因をこう分析している。

「どうしても打ちにいってしまう感じになっていたので。カウントが追い込まれるまでは、自分が待っているボールを強く振ればいいんですけど、そうじゃなしに振らされてしまうケースがありました。打たされるのはもったいないと自分でも思いますよね。きわどいボールはカットしてファウルにするなど、追い込まれたら何とか1球でも多く相手ピッチャーに投げさせて、甘いボールを確実にヒットにしないと。その意味では、昨シーズンの記録はまったくダメでしたね。個人的に大きな課題が残りました。打席数や出塁率も含めた数字が年々下がっていることに対しては、もっと厳しい評価を下されてもいいと思っています」

千載一遇のチャンスを逃すほど
ホームランに無縁の野球人生

 ホームランが記録される、千載一遇のチャンスが訪れたのは2016年が開幕した直後の3月29日だった。QVCマリンフィールド(当時)に東北楽天ゴールデンイーグルスを迎えた1回戦。3つのベースがすべて埋まった六回裏二死で、1番・センターで先発していた岡田が左打席に入った。

 そして、右腕・横山貴明が投じた2球目、143キロのストレートを、身上とする強く、鋭いスイングでミートする。強烈な打球が左中間を襲った直後に、ともにキャッチを試みたセンターの松井稼頭央とレフトのウィーラーが交錯。2人の間を抜けた打球は無人となった外野の、フェンス際まで転がっていった。

 もしもスコアブックに岡田の「HR」の文字が記される時が訪れるとすれば――それはランニングホームランになるのではないか。岡田の足を考えれば、こんな声が以前から飛び交っていた。そして、歓喜の瞬間が今まさに現実のものになろうとしている。スタンドを埋めたファンの視線が打球から、さっそうとホームベースを目指しているはずの「66番」へ移ったその時だった。

 岡田はホームベースではなく、三塁へ到達したところでストップしているではないか。実は一塁を回ったところでベースにつまずき、前のめりになって転倒していた。打球の行方を見ながら走っていた分だけ、一塁ベースが足元にあることに気がつかなかった。

 マリーンズのベンチも待望の瞬間がついに訪れると沸き返り、次の瞬間、予期せぬ展開に全員がずっこけた。走者を一掃する決勝打を放って凱旋してきたベンチ。角中勝也外野手から「転んでいなければ、行けていましたね」と言われた岡田は「そういうことなんですよ、自分は」と苦笑するしかなかった。

 そういうこととは、要はホームランには無縁ということ。誰からも慕われる、岡田の人柄を象徴するような「幻の一発」を放ったのが通算2104打席目。それから約3年、397打席を積み重ねても己を貫き、オーバーフェンスの一打を放てなかった野球人生は、いぶし銀の輝きを放つ意味で最高の勲章でもある。

2年連続でゴールデングラブ賞を獲得
外野守備で魅せた匠の技の源泉とは

 守備で岡田が主戦場としたセンターは、背番号にちなんでいつしか「エリア66」と呼ばれた。外野の間を抜ける、とファンが観念して目を移せば必ずと言っていいほど岡田がいる。痛烈な打球を記録上では単なるセンターフライにする、球界屈指の広さを誇る守備範囲がマリーンズのピンチを何度救ってきたことか。

 2011年から2年連続でゴールデングラブ賞を獲得。華麗な外野守備の中で語り継がれていくのが、同年6月15日の読売ジャイアンツ戦となるだろう。長打をセンターフライに、それも3度も変えたスーパープレーは敵味方の垣根を越えて、ファンから大きな喝采を浴びた。

 バッターが打つ前に、すでに半歩スタートを切っていると賞賛された、打球の方向に対する読みの速さに対しても石垣島で聞いたことがある。相手チームから得点をもぎ取る、と表現してもいい匠の技の源泉を、岡田は「感覚ですね」と説明してくれた。

「相手バッターの特徴や味方のピッチャーとのタイミングが、自分の守備位置からはセンターラインになって最も見やすい、というのもありますけどね。とにかく打球の行方を予測するためには、練習の段階から数多くの打球を実際に捕らないといけない。それでも、(海沿いにある)マリンの風は難しいですよ。何年プレーしても慣れないし、慣れてしまったら終わるというか、それまでだと思っているので。やはり自然環境なので、日によってまったく違う。風だけでなく、梅雨の時期や夏場になると湿度もまったく変わってくるし、湿っていると打球もあまり飛ばない。それらをすべて把握してプレーしなければ、プロじゃないと思っているので」

 感覚という二文字にも、弱肉強食が掟のプロの世界で生き抜いてきたプライドが見え隠れする。チームに与えることのできる武器を誰よりも熟知していたからこそ、2016年10月4日の楽天戦を最後にヒットが打てなくなった日々は岡田を苦悩させ、2016年の開幕前の時点で「もっと厳しい評価を下されてもいい」と語っていた覚悟と決意を実践する形で、34歳にして現役引退を決意するに至った。

引退試合では「59打席連続ノーヒット」で
ワースト記録更新も、最後の打席はヒットに

 強く、速い打球を放てないがゆえにヒットにならない。昨年5月には2010年の一軍昇格以来、初めて二軍落ちを告げられた。コンスタントに出場できなければ、守備で貢献することもかなわない。その守備でも以前ならば追いついていた打球に届かない、と感じるようになっていた。現役引退が発表された9月25日。マリーンズの公式ホームページで、岡田は「悔いはありません」と綴っている。

「千葉ロッテマリーンズに育成で拾ってもらって、ここまで野球をやらせていただいたことを今後の人生においてプラスにしていきたいと思います」

 迎えた引退試合もまた、岡田らしかった。右腕・東浜巨の前に2打席凡退に終わった時点で、プロ野球のワースト記録を更新する「59打席連続ノーヒット」を樹立した。2打席目は身上としていた強く、低いライナーを放ったが、ショートの高田知季のファインプレーに阻まれた。

 そして、五回裏の第3打席でも逆方向に強い打球を放つ。これが三塁線を抜ける約2年ぶりのヒットとなり、第4打席では強くバットを振ったことが幸いして右腕・武田翔太からセンター前へポトリと落ちるヒットとなる。そして、冒頭でも記した現役最後の打席でのライト前ヒットでの猛打賞へとつながっていく。

 スタジアム全体を揺るがした「オカダコール」に後押しされるように、通算142個目の盗塁を決めてセカンドベース上に立った時には、岡田の涙腺はほぼ決壊していた。号泣するファンに見守られながら、センターの位置で6度胴上げされたフィナーレ。己を熟知し、その時点でできる極限のプレーを愛するマリーンズのために捧げてきた記録にも記憶にも残る男は、胸を張って第2の人生を歩んでいく。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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