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就業率に「陰り」、賃金上昇を期待した日銀の出口戦略に黄信号

2018年10月10日 06時00分更新

文● 西岡純子(ダイヤモンド・オンライン

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就業率に陰りがでてきた
Photo:PIXTA

 円安などによる企業収益の改善が続くなかで、賃金の上昇が期待されてきた。実際、労働市場は逼迫し、人手不足を訴える声はずっと続いてきた。だが賃金上昇の動きは鈍く、足元では、高原状態だった新規求人に対する就業率も鈍化が目立つ。「デフレ脱却」を掲げてきた政府・日銀のシナリオはまたまた、狂いかねない。

日銀短観で確認された
企業の投資意欲の強さ

 先週に発表された日銀短観の9月調査では、大企業製造業の業況判断D.I.(「良い(%)」-「悪い(%)」)が4期連続の悪化となった.。

 ただ、多くの企業が業況が「良い」と回答していることに変わりはなく、海外需要の鈍化や一連の悪天候、米国主導の保護主義への懸念といった悪材料が重なった割に、小幅な調整にとどまったとみるべきだ。

 むしろ、子細に見ると内容は良かったともいえる。まず、今年度の設備投資計画は大企業全体で+13.4%と2ケタ増を維持した。あくまでも「計画」であり、実際にその勢いで投資が実行されるかはわからないが、企業の投資意欲の強さははっきりとうかがえた。

 実際に、GDPベースの設備投資額は実質値で「バブル景気」の最高水準を既に超えている。

 かつてない低金利のうえ、もともと企業は潤沢なキャッシュフローを持ち、省力化投資や電気自動車など新規事業の拡大の意欲も強い。強気の設備投資計画が実際の支出につながることもあり得そうだ。

 しかも114円半ばまでのドル高円安が続いているし、株価上昇も米金利の急上昇のあおりでやや勢いが鈍ったとはいえ、それでも1992年以来の最高値水準だ。

 政府や日銀の関心は、企業の投資意欲の回復やマクロ的需給バランスの引き締まりが、いよいよ本格的な賃金上昇につながるのか、それで消費が活発になり「2%物価目標」を達成できるか、ということだろう。

 この点、日銀短観をみる限りでも、人手不足感は相変わらず強く、その強さからいえば賃金の上昇にもっとはずみがついてもおかしくはない。

 雇用判断D.I.(「過剰(%)」-「不足(%)」)は、非製造業を中心に大きく低下しており、前回の景気拡張期のピークだった2007年当時と比較しても、労働市場のひっ迫感は相当のものである。

「人手不足」なのに
賃金上昇が鈍い構造要因

 直近8月の毎月勤労統計(速報)によると、1人当たりの月間現金給与総額は前年比+0.9%と前年比プラスを維持している。

 ただし、サンプル入れ替えによる影響を排除するため、厚生労働省が参考値として公表している共通事業所ベースで見ると、前年比+0.8%と前月と、伸びは変わらない。このうちの所定内給与も同+0.7%で、上昇に勢いはない。

 業種別や、過去との比較など、どの側面から見ても人手不足感が賃金上昇につながる動きははっきりしていない。特に不足感が強いと報告されている宿泊業・飲食サービスや建設業、専門・技術サービスといった業種でも賃金上昇率は低いままである。

 なぜなのか。労働市場が逼迫すれば賃金が上昇するという理屈通りにはなっていないのは、2つの構造的な問題があると考えられる。

 (1)人手の不足感は確かに強いのだが、様々なミスマッチを背景に、求人側が求めている人材の確保にまだ至ってない、という制約と、(2)雇用されている人の数が全体では実は十分な水準でも、産業間や社内で、適材適所への配分・調整が不十分なことだ。

「適性値」に対して
雇用はむしろ「過剰」

 働き手が減る経済では、これまでの成長を維持するには労働生産性の向上は必須で、労働生産性が上昇することで賃金上昇も確実になる。また、労働生産性が回復する過程で企業に事業活動の余力が生まれると、さらなる雇用拡大への動機も強まる。

 労働生産性と雇用される人の数は中長期的には共通のトレンドを共有するはずだ。

 こうした考え方から、労働生産性に見合う適正な雇用者数を割り出し、それと実際の雇用者数を重ねてみたのが図表1だ。

◆図表1:労働生産性と雇用者数

(出所)総務省、三井住友銀行 拡大画像表示

 雇用者数の適正値は90年初頭から一貫して右肩上がりで上昇した後、2008年の金融危機を境にその改善ペースは止まった。この間、実際の雇用者数はその適正値を挟んで増減を繰り返している。

 注目すべきは足元で、実際に雇用されている人の数が適正値を大きく上回っていることだ。

 過去、実際の雇用者数が適正値をはっきりと上回ったのは1992年から1999年の、バブル崩壊後の「過剰雇用」の整理に主要企業が四苦八苦していたころだ。その後の2002~2008年の景気拡大期はむしろ控えめな採用活動が維持されていたことで、実際の雇用者数は適正値を下回っている。

 アベノミクスが発足した2012年末以降、雇用者数は増勢を強め、物価が緩やかながら上昇に転じた2015年ごろからの雇用者数の増加は、適正値を大幅に上回るペースだ。

 こうした推移から考えれば、今は足元の雇用は「不足」ではなく、むしろ「過剰」の域にあるといっていい。

雇用拡大は非正規に集中
安倍改造内閣の「改革」では限界

 一方で、雇用の拡大が女性や高齢者、非正規雇用に集中したことで、結果として企業が支払う雇用者報酬は、企業収益の増加ほどには伸びず、労働分配率は低迷したままだ。

 結局、いまの雇用状況は、企業側は、容易に代替が利くような職種で雇用を確保しただけで、成長分野や事業拡大の上で必要とされる職種への人材の確保が遅れた。その結果、全体の雇用者数は十分増えているにもかかわらず、雇用の不足感は強まる一方で解消しない、ということになっているのだろう。

 労働市場の需給逼迫にもかかわらず賃金がはっきりと上昇しないのは、こうした構造的なミスマッチがあることによる要因が大きいといえるだろう。

 発足した第4次安倍改造内閣は、新たな成長戦略の柱として、第4次産業革命や地方創生と並んで、雇用改革を含めた「全世代型社会保障改革」の3つを掲げた。うち、雇用改革については継続雇用年齢を65歳以上に引き上げ、年金の受給開始年齢も「70歳超」からも選べるようにする法改正を検討するという。

 働き手が増えることで、国全体の所得のパイが広がることは確かだろう。だが高齢者の就業率を引き上げるといってもおのずと限界はある。

 2012年末のアベノミクスのスタート以降、就業者数総数に占める高齢者の割合は一貫して上昇し、2016年時点では男女計で11.9%までになった。

 高齢就業者の雇用形態は、役員が102万人(13.3%)、自営業主・家族従業者が263万人(34.4%)、役員を除く雇用者が400万人(52.3%)である。だが役員を除く雇用者の内訳を見ると、正規の社員・従業員は99万人と4分の1を占めるのみで、残るはパート・アルバイト(204万人)や契約社員(36万人)、嘱託(30万人)など非正規雇用が4分の3を占める。

 希望者を65歳まで雇用することを義務付ける法改正は、非正規雇用が多く、時間当たりの単位賃金が相対的に低い高齢者の賃金を引き上げようという狙いだ。

 だが、すでに日本は、高齢者の就業率(実際の就業者÷人口)は主要国の間で最高水準にある。他主要国も高齢化の進展によって高齢者の就業率は高まる傾向だが、日本はそれらを先行している。

 働く高齢者の処遇を改善し、その過程で技能継承等を促すことで経済全体の生産性を引き上げることは必要だが、高齢者の就業率引き上げにはおのずと制約があるし、それだけで、日本経済の生産性を上げ、賃金や雇用を増やしていくのは限界がある。

就業率の伸びは鈍化
賃金への波及難しい

 政府が「働き方改革」を掲げてきたのも、まずは働き手の意識改革が進むことで生産性や効率が高まることを狙っていたわけだが、そうこうしている間に労働市場の需給逼迫にも、陰りが見えてきてしまった。

 図表2のように、充足率(就職者数÷新規求人数)の低下が続き、企業側が人材採用を満たせていない状況が一段と深刻になっている一方で、一般的な就職実績を表す就業率(就職件数÷新規求人数)は、これまでの高原状態から少し鈍化する動きが目立ってきている。

◆図表2:就職率と充足率

(出所)厚生労働省 拡大画像表示

就業率が鈍化しているのは、これまで増える一方だった就職件数の増加が止まり、減少に転じたことが背景にある。米中貿易戦争などによる海外市場への不安に加え、そもそも国内市場の成長がこれ以上はそう期待できないという見通しから、企業がこれまでの雇用確保に向けた積極姿勢を修正しつつある動きと言える。

 売り手市場とされてきた労働市場で、需給逼迫が鈍化する兆しが表れていることは、異次元緩和からの「出口戦略」を模索し始めている日銀にとっては見過ごせないことだ。

 このところ、海外金利の上昇をきっかけに、円金利も長期、超長期ゾーンを中心に、10年国債利回りは0.15%超え、20年金利は0.69%、30年金利は0.95%まで上昇している。

 長期金利の変動幅を拡大する「政策修正」を7月末にした日銀は、市場のボラティリティーがどこまで上昇し、将来の利上げに対する政策の自由度がどこまで確保されるかを、確認しているところだろう。

 日銀が堂々と金融政策の正常化に向かう上でも、労働市場の逼迫から賃金上昇につながることが期待されていたが、その可能性は一段と下がったとみるべきである。

(三井住友銀行 チーフ・エコノミスト 西岡純子)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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