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コスタリカ戦で大活躍、「リオ五輪世代」台頭の裏にある法則

2018年09月21日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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森保ジャパン
新生日本代表は「リオ五輪世代」が中心になっていく Photo:JFA/AFLO

コスタリカ代表に快勝し、順風満帆に船出した新生日本代表が力強い鼓動を奏で始めている。オリンピックの6年後に開催されるワールドカップで、若手から中堅へと成長を遂げた選手たちがチームを牽引する――1996年のアトランタオリンピックから脈々と刻まれてきたこの系譜。4年後のワールドカップ・カタール大会へ向けて、ボランチで先発フル出場した25歳の遠藤航(シントトロイデンVV/ベルギー)の言葉から、1993年1月1日以降に生まれたリオデジャネイロ五輪世代の覚悟と決意を追った。(ノンフィクションライター 藤江直人)

オリンピックで活躍した選手が
6年後のワールドカップで主軸を担う法則

 法則と呼ぶと、ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれない。それでも、日本代表チームの歴史を振り返れば、法則のように映る「流れ」が脈々と受け継がれてきていることが分かる。オリンピックの6年後に開催されるワールドカップで、若手から中堅へと成長した選手たちが主軸を務めることだ。

 オリンピックには1992年のバルセロナ大会から、開催時で「23歳以下」という年齢制限が設けられた。そして、銅メダルを獲得した1968年のメキシコ大会以来、実に28年ぶりにヒノキ舞台に戻って来た1996年のアトランタ大会から、日本はオリンピックの常連となっている。

 ワールドカップにおいても、悲願の初出場を果たした1998年のフランス大会以降はすべてアジア代表を勝ち取ってきた。その中で冒頭で記した「流れ」が生まれた。例えば19歳でアトランタ大会に出場したDF松田直樹(故人)は、6年後の2002年のワールドカップ日韓共催大会で、史上初のベスト16へ進出したトルシエジャパンの最終ラインで存在感を放った。

 ベスト8に進出した2000年のシドニーオリンピック代表からは、DF中澤佑二、FW高原直泰、そしてMF中村俊輔が6年後のワールドカップ・ドイツ大会で中心を担った。

 2004年のアテネオリンピック代表には、6年後に南アフリカの地で岡田ジャパンのベスト16進出に貢献するDF田中マルクス闘莉王、DF駒野友一、MF阿部勇樹、MF松井大輔、FW大久保嘉人が名前を連ねた。オリンピック代表には選出されなかったが、GK川島永嗣とMF長谷部誠もアテネ世代であり、南アフリカ大会から3大会連続でワールドカップを戦っている。

 2008年の北京オリンピックを戦ったDF吉田麻也、DF内田篤人、そしてMF香川真司も6年後のワールドカップ・ブラジル大会の主力。ベスト4に進出した2012年のロンドンオリンピック代表からは酒井宏樹が不動の右サイドバックへと飛躍し、今年6月のロシア大会を戦っている。

 さらにロンドンオリンピックの代表に選ばれなかった悔しさを糧に成長したDF昌子源、MF柴崎岳、MF原口元気、FW大迫勇也も西野ジャパンでまばゆい輝きを放ったことはまだ記憶に新しい。

 もちろん6年後と言わず、2年後に開催される直近のワールドカップで活躍した選手も少なくない。アトランタ組ではGK川口能活、MF中田英寿、FW城彰二がフランス大会で、北京組からはDF長友佑都、FW岡崎慎司、そしてMF本田圭佑が南アフリカ大会で躍動。ロンドン組ではMF山口蛍が、ブラジル大会で3試合すべてに出場している。

 オリンピックの2年後は、最も年齢の高い選手で25歳になる。世界を見渡せば普通に主力を担う世代となるが、日本では4度のワールドカップ代表に名前を連ねた川口を筆頭に、3度出場の中田英、長友、岡崎、本田らのひと握りの突出した選手たちに限られてきた。

 ならば、6大会連続6度目のワールドカップとなったロシア大会はどうだったか。経験豊富なベテラン勢が多く、一部から「おっさんジャパン」と揶揄された西野ジャパンには、リオデジャネイロ世代からGK中村航輔、DF遠藤航、DF植田直通、MF大島僚太の4人が選出されている。

 しかし、全員がそろってピッチに立つことはかなわなかった。開幕前の芳しくない下馬評を覆す、痛快無比な快進撃を続けた西野ジャパンの一員としてベンチで声をからし、常に万全の準備を整え、練習から全力でプレーすることで少なからず貢献できたという自負はある。

 ただ、選手である以上は試合に出たいと誰もが望む。力が足りずにロシアのピッチに立てなかったのであれば、もっと、もっと成長するしかない。4年後のカタール大会で捲土重来を期す青写真を描きながら、ロシア大会後に遠藤と植田はともにベルギーへと旅立っている。

 前者は浦和レッズからシントトロイデンVVへ、そして後者は鹿島アントラーズからセルクル・ブルージュKSVへ新天地を求めた。ともにJ1の舞台では主力として出場機会が保証されていた。特に最終ラインのオールラウンダーを担っていた遠藤は、しかし、胸中に抑え切れない思いを抱いていた。

遠藤航はボランチとして先発出場
リオ五輪世代がいよいよ中心に

「そこに誰が食い込んでいくのかというのは、日本代表にとっては大事なポイントになる。もちろん僕自身もそこで出たい、と思う中でベルギーに行ったというのもあります」

 遠藤が繰り返した「そこ」とは、ボランチのポジションを指す。ロシア大会をもって、2008年5月からボランチに絶対的な居場所を築いてきた長谷部が日本代表から引退した。南アフリカ、ブラジル、ロシアの3大会でキャプテンを務めた長谷部の後継者に名乗りをあげるには、精神的な支柱としてはまだまだ足元に及ばないかもしれない。

 ただ、ボランチのレギュラーへ立候補することはできる。だからこそ熟慮を重ねた末に、以前から熱望してきたボランチで出場できる可能性がより高いシントトロイデンへの移籍を決めた。果たして、異国の地でボランチとして、遠藤はコンスタントに出場機会を得ている。

「まだ1ヵ月ですけど、それでも僕にとっては1ヵ月続けて中盤でプレーすること自体が初めてなので。その意味ではすごく充実しているし、中盤でやれるという自信も大きくなったからか、視野も少しずつ広がってきている感覚はあります」

 森保一新監督に率いられる新生日本代表に招集され、帰国した遠藤は充実感を漂わせていた。今まさに進化している心技体を、指揮官は練習を介して見抜いたのだろう。DF登録だった遠藤は、初陣となった11日のコスタリカ代表とのキリンチャレンジカップ2018でボランチとして先発を果たす。

 そして、会場となったパナソニックスタジアム吹田のピッチには2年前のオリンピックをともに戦った盟友のDF室屋成、自分よりも早く海外へ挑戦の舞台を求めたMF中島翔哉とMF南野拓実の3人がいた。オリンピック代表には選出されなかったが、その後に急成長を遂げたDF三浦弦太も最終ラインで存在感を放っている。

 ベンチには植田とFW浅野拓磨のリオデジャネイロオリンピック代表に加えて、リオデジャネイロ世代であるMF守田英正、MF伊東純也、MF三竿健斗もいる。そして、リザーブ陣の中で植田を除いた4人がコスタリカ戦のピッチに立ち、伊東はダメ押しの3点目を決めた。いよいよ台頭してきたリオデジャネイロ世代の思いを代弁するように、遠藤はコスタリカ戦後に胸を張って言葉を紡いでいる。

「これから代表で活躍していくことを、リオデジャネイロ世代はみんな意識していると思う。チームの中心になっていく、という意識でやっていかなければいけないので」

森保監督の“兼任”も
日本代表の快進撃を支えるか

 オウンゴールで先制した日本がリードして迎えた後半21分。リオデジャネイロ世代が奏でる鼓動が共鳴するような展開から、森保ジャパンの実質的な初ゴールが生まれる。口火を切ったのは遠藤。敵陣でセカンドボールを拾い、相手のプレッシャーをかいくぐりながら力強いドリブルでボールを前へ運んでいく。

 そして左前方にいた中島へパスを預け、自らはさらに縦へ加速。中島を追い越し、ペナルティーエリア内の左側へ侵入していく一方で、ボールを持った中島はプレーを一瞬止めてタメを作る。シュート、ファーサイドへのクロス、そしてスルーパス。中島に複数の選択肢があったからこそ、対峙したコスタリカの選手たちも対応に迷った。遠藤が縦へ走った意図を説明する。

「最初は僕が縦に引っ張ることで、カットインした(中島)翔哉にシュートを打ってもらうイメージがありましたけど、自分がフリーになったところでタイミングよくパスを出してくれたと思います」

 中島が選んだのは、マークが甘くなっていた遠藤への絶妙のスルーパス。これを遠藤がノールックの体勢から左足を振り抜き、マイナス方向へ折り返す。必ず誰かがいる、という信頼感に応えたのは南野だった。左足のワンタッチでボールを整えてから強引に左足を一閃し、出場3試合目にして決めた代表初ゴールに言葉を弾ませた。

「(遠藤)航君が攻守両面でチームに貢献していた。あそこまで攻撃参加してアシストしてくれたことに対しては、本当に頼りになる選手だと思いました」

 森保ジャパンの「初代10番」を託され、卓越した個の能力をこれでもかと披露。群を抜く存在感とまばゆい輝きを放った中島も、「自分たちは年齢的にはそれほど若くはないと思っています」と、チームを引っ張っていく覚悟をにじませた。

「ずっと一緒にやってきて、お互いがどのようなプレーをするのかは分かっているので、自然のあのようなプレーが出たと思う」

 そして、無念のグループリーグ敗退でリオデジャネイロ五輪を終えた直後に、チームを束ねたキャプテンとして「次はA代表で再会しよう」と檄を飛ばした遠藤が思いを新たにする。

「実際にそうなってきたのは非常に嬉しいけど、他にもリオデジャネイロ世代は大勢いる。もっと強い相手に対しても同じようなプレーができなければいけないし、さらに上を見ながら継続していきたい」

 遠藤の言葉通りに、けがで森保ジャパンを辞退した大島、二度に及ぶ脳震とうからのリハビリ過程にある中村のロシア大会組も虎視眈々と復帰を狙っている。ヨーロッパの戦場ではFW久保裕也、FW豊川雄太、MF井手口陽介、MF鎌田大地らが、J1ではFW鈴木武蔵、FW鈴木優磨、DF岩波拓也、DF奈良竜樹、DF山中亮輔、DF小池龍太らのリオデジャネイロ世代が精進を重ねている。

 日本代表の歴史をもう一度振り返ると、2002年のワールドカップ日韓共催大会では、2年前の2000年に開催されたシドニーオリンピック世代となるDF宮本恒靖、DF中田浩二、MF小野伸二、MF稲本潤一、MF明神智和、FW柳沢敦が日本の快進撃を支えた。これはフィリップ・トルシエ監督が、オリンピック代表とA代表の監督を兼任したことで生まれた産物と言っていい。

 同じ図式が森保監督の下で臨む、2020年の東京オリンピックと2022年のワールドカップ・カタール大会にも当てはまる。コスタリカ戦でデビューしたMF堂安律に象徴される東京オリンピック世代との切磋琢磨を繰り返しながら、遠藤をはじめとするリオデジャネイロ世代は中堅のロンドン世代、ベテランの北京世代の背中に追いつき、追い越すための挑戦を加速させていく。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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