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中国で漫才師として活躍する日本の若者たち、伝統話芸が魅了

2018年08月09日 06時00分更新

文● 東方新報(ダイヤモンド・オンライン

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中国で活躍する日本人漫才師たち
中国で漫才師として活躍する日本人の若者たち ©東方新報

中国には、伝統的な話芸の一つ、「相声」というものがある。話術や芸で客を笑わせる芸能で、日本における漫才だ。そんな中国の漫才に挑戦し、中国で人気を誇っている3人の日本人の若者を追った。中国語と日本語の2ヵ国語の新聞『東方新報』の記事をご紹介しよう。(取材・文/『東方新報』取材班)

北京っ子そのままに振る舞う
中国で活躍する日本人漫才師

 手の平でクルミを回しながら定番の豆乳をお供に、北京名物のモツ煮込みと揚げドーナツに舌鼓を打つ。昔ながらの布の靴を履き、中古市場街「潘家園」をぶらぶらしながら掘り出し物を物色。口を開けば北京訛りの典型的な「老北京(北京っ子)」が、「漫才師」西田聡さんだ。

 西田さんは、初対面の人にも臆せず、完璧な北京式ユーモアでもてなす。彼の北京式自己紹介はこうだ。

「僕の名前は西田聡(Cong=中国語のネギと同じ発音)。二人の弟は、西田姜(ショウガ)と西田蒜(ニンニク)。父の仕事はコックだ」。そんな西田さんは北京語言大学に通う京都出身の大学院生。幼い頃から中国文化に興味があったという。

大連なまりを克服し
恩師に食らいついて弟子に

 2012年9月、西田さんは駐大阪中国領事館の推薦で、中国国家奨学金を獲得し北京語言大学に留学した。北京語言大学は当時、中国で唯一、対外中国語教育と中華文化教育を行っていた世界的な大学だった。170ヵ国・地域から来た留学生が集まり、和やかな雰囲気で、異なる言語や価値観の相互学習が行われていた。

北京語言大学に留学後、「相声」の魅力に取りつかれたという西田聡さ
北京語言大学に留学後、「相声」の魅力に取りつかれたという西田聡さん ©東方新報

 同校で毎週土曜日、漫才で有名な丁広泉さんがボランティアで外国人向けに行っていた「快楽課堂」という講座が、西田さんの生活を変えた。そこで初めて中国の漫才「相声」を見たとき、西田さんは言葉の軽快さや面白さに惹かれるとともに、織り交ぜられる中国の歴史や文化、ユーモアあふれる言い回しの技術に深く心服する。

 ある日の授業で西田さんは丁さんに対し、「相声」を勉強したいという思いをどきどきしながら伝えた。しかし丁さんからは、「普通語を勉強してから出直しなさい」と一蹴されてしまったという。というのも西田さんの中国語には、大連なまりがあったからだ。「相声」には、なまりが障害となる。そのため西田さんは、毎日必死に普通語の発音を練習しながら、「快楽課堂」に通い続けた。

 1ヵ月が過ぎた頃、丁さんは、「また来たのか?じゃあ、帰ってこれを暗記してきなさい」と言って、「対春聯」という言葉ゲームの漫談を手渡した。こうして先生の指導の下、西田さんの漫才人生が始まった。丁さんにとっても、初めての日本人の弟子だった。

 今年1月18日、そんな丁さんが亡くなった。享年73歳だった。西田さんは、「丁先生は、笑いを常に大事にしていた。楽しくても悲しくても笑顔でいられる、人生を楽しむ人になりなさいと教えてくださった。酸いも甘いも人生のすべてを経験しなければ、到達できない領域だと思う」と話す。

中国の漫才師でも難易度が高い
「快板」で北京で有名な舞台に立つ

 小松洋大さんが初めて「中国」を知ったのは、ジャッキー・チェンの映画『プロジェクトA』だった。当時5歳だった小松少年は、中国に対する熱い思いが芽生えた。当時、小松さんは横浜に住んでおり、高校は横浜中華街の中。日本の学校では珍しく、中国語の授業があった。

中国の漫才師にとっても難易度が高いと言われる「快板」を練習する小松洋大さん ©東方新報

 小松さんの話す中国語には、北京なまりがある。中国語の先生が北京出身だったためだ。小松さんは、学校で行われる中国語のスピーチコンテストに毎回参加するほど、中国語の勉強が好きだった。一字一句、発音を先生に直してもらい、完璧になるまで何度も真剣に練習した。こうした経験が、小松さんの揺るぎない中国語の基礎となった。

 2010年、19歳になった小松さんは、北京外国語大学の中国語学科に入学、卒業後は引き続き大学院で国際教育について勉強した。そんな小松さんは2015年、初めて中国の漫才「相声」を学び始めた。理由は「単純に好きだったから」だ。

 小松さんも、初めは丁さんの下で学んでいた。しかし、丁さんは小松さんの生まれながらの才能に目をつけた。竹などで出来た打楽器「拍板」を使って、調子を取りながら講談を聞かせる、「快板」が特に上手だったのだ。中国の漫才師にとっても難易度が高いと言われる「快板」は、リズムと声のコントロールが難しいという。

 そこで丁さんは、中国の漫才界で著名な「快板」の達人、姚富山さんに小松さんを紹介する。小松さんの中国語はすでに北京人レベルだったため、よく姚さんと一緒に、北京人であれば知らない人はいないといわれるほど有名な「周末相声倶楽部」の舞台に立っていた。

 姚さんは小松さんに、「北京の人たちが、君が日本人だと知らずに君の演技を見れば、下手だと思うだろう。しかし、私はあえて君を日本人だとは紹介しない。なぜなら、君を認めていると同時に、鞭撻しているのだ」と話した。

東大の薬学部を卒業後
SNS上で漫才動画を配信

 秋山燿平さんは6月2日、自身の微博(ウェイボー)に動画をアップロードした。タイトルは「爆笑!?東京大学の秀才が、中国の漫才の謎に迫る」。動画の説明にはこう書いてあった。

東大を卒業後、SNS上で中国の漫才を配信する秋山燿平さん
東大を卒業後、SNS上で中国の漫才を配信する秋山燿平さん ©東方新報

「僕が中国のネット上で活動し始めて半年以上が経った。つまらないダジャレやギャグも言えるようになった。では、次のステージは?そう、『相声』だ。今回挑戦したのは中国の漫才界のドン、郭徳網と于謙の漫才だ。えせ日本人の初挑戦、結果はいかに…」。

 この動画は、すぐに11万回もシェアされた。

 秋山さんは2011年、東京大学の薬学部に入学。2015年に卒業後、そのまま大学院に進んだが、2017年9月に退学し、微博で活動を始めた。

「相声」に挑戦した動画の制作後、秋山さんは自分の中国語力が足りないことに気づき、中国語にさらに磨きをかけようと決心した。

「中国の『相声』は日本の漫才と同じ。視覚上ではあまり情報が得られない、観客は言葉とその言い回しで笑う。外国人には至難の業だ」

 秋山さんは過去に中国人の友達に連れられて「相声」を見に行ったが、始まってしばらくすると、隣の友達が突然爆笑した。しかし秋山さんにはどこが笑うポイントだったのかまったく理解できなかったという。

「中国の『相声』を理解できるようになれば、中国語だけでなく、中国の文化や中国人独特のユーモアを理解できるようになる。『相声』はお笑いの中でも最も難しい、言葉の魔法のようなものだと感じた。それならいっそ『相声』を通して中国語を勉強すれば、言語を学びながら文化も学べる。一石二鳥だ。中国語の上達がもっと早くなり、もっと楽しめるのでは」と話した。

※『東方新報』は、1995年に日本で創刊された中国語・日本語の2ヵ国語新聞です。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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