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長友佑都が日本、イタリア、トルコで誰からも「愛される」理由

2018年06月08日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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日本代表 オーストリア合宿での長友佑都
日本代表 オーストリア合宿での長友佑都。サービス精神を常に忘れないのも長友の魅力だ Photo:JFA/AFLO

選出された23人の代表メンバーの平均年齢が過去最高の28.22歳に達するなど、ワールドカップ・ロシア大会の開幕を前に、思わぬ批判にさらされている西野ジャパン。同じく過去最多の8人を数える30歳以上のベテラン陣の中で、心技体のすべてで充実感を漂わせているのが31歳のDF長友佑都だ。今年1月に移籍した新天地ガラタサライ(トルコ)へ瞬く間に溶け込み、サッカー人生で初めてとなるリーグ優勝も経験。トップフォームと輝きを取り戻して日本代表に合流した背景には、波瀾万丈に富んだサッカー人生で長友を成長へと導いてきた、国境や文化を超えた「愛される力」が働いている。(ノンフィクションライター 藤江直人)

無名選手から日本代表、インテルへ
「成り上がり」のサッカー人生

 開幕がいよいよ目前に迫ってきた、ワールドカップ・ロシア大会に臨む日本代表に選出されている本田圭佑(メキシコ・パチューカ)は、セリエA(イタリア)の名門、ACミランで「10番」を背負った自らのサッカー人生を「成り上がってきた」と表現する。

 ガンバ大阪ユースへの昇格がかなわず、石川県の名門・星稜高校へ進学して捲土重来を期した。全国高校サッカー選手権ベスト4の実績を引っさげて2005シーズンに名古屋グランパス入りするも、2008年1月に移籍したVVVフェンロー(オランダ)では2部降格を味わった。

 2010年1月に加入したCSKAモスクワ(ロシア)では、UEFAチャンピオンズリーグで演じた痛快無比な活躍が当時の岡田武史監督をも魅了。日本代表におけるエース拝命につながり、小学生時代から夢見てきていたセリエA移籍をも手繰り寄せた。

 確かに紆余曲折を経てきたと言っていい。しかし、同じ1986年生まれの盟友で、本田とともに3大会連続のワールドカップ代表に名前を連ねている長友佑都のサッカー人生を振り返れば、本田を凌駕するスケールで成り上がってきた軌跡に目を奪われる。

 愛媛県西条市で生まれ育った長友は、1999年春の市立西条北中学への進学を機に愛媛FCジュニアユースの門を叩くも不合格。高校は全国区の強豪・東福岡へ越境入学したが、全国の舞台で目立った成績を残せない。本田のようにJクラブからはいっさい声がかからず、スポーツ推薦ではなく指定校推薦で明治大学政治経済学部へ入学した。

 離婚後に女手ひとつで、姉と弟を含めた3人の子どもを育ててきた母親の美枝さんを一刻も早く幸せにしたい――熱い思いに駆られていた長友はサッカーで大成しなかった時には、母方の祖父が名声を残していた競輪選手になるか、一流企業に入社してバリバリ稼ぐ姿も思い描いていた。ゆえに勉強でも手を抜かず、指定校推薦を勝ち取った。

 しかし、明治大学体育会サッカー部に入学して1年ほどが経った時に、それまでのボランチからサイドバックへの転向を命じられたことが転機になる。潜在能力を解き放ちながら一気に頭角を現した長友のもとに、4年生への進級を前にした2007年末、FC東京からオファーが届く。

 大学に籍を残しながらプロ契約を結ぶと、瞬く間にレギュラーを獲得。サイドバックとして放つ真っ赤な炎は日本代表の岡田監督の目にも留まり、2008年5月のコートジボワール代表との国際親善試合から、左サイドバックの定位置を射止めて今現在に至る。

 迎えた初めてのワールドカップとなる2010年の南アフリカ大会。対面の右サイドに配置された各チームのエースの存在感をことごとく打ち消した、1対1における無類の強さは国際的な評価も獲得。大会後には2010-11シーズンからセリエAに昇格した、チェゼーナへの期限付き移籍を果たす。

 新天地でも瞬く間にレギュラーの座を射止めると、わずか半年後の2011年1月にはACミランと並ぶセリエAの名門、インテル・ミラノからオファーが届く。直前まで中東カタールで開催されていたアジアカップを戦い、4度目の優勝を勝ち取っていたFC東京時代の盟友、今野泰幸(現ガンバ大阪)の言葉が、長友の成り上がりぶりを物語っていた。

「めちゃくちゃ興奮しましたよ。だって、チームメイトだったあの長友がインテル・ミラノですよ。テレビで試合を見るだけだったインテル・ミラノで、実際に試合に出ちゃうんですよ」

 この時はFC東京からチェゼーナへ完全移籍に切り替えた上で、インテル・ミラノへ期限付き移籍した。そして、半年後の2011年7月には完全移籍で5年契約を締結。2016年4月には、2019年6月末までさらに契約が延長されている。

 この間、怪我などもあって、長友は幾度となく構想外になりかけている。しかし、その度に腐ることなく、黙々と日々の練習に打ち込む姿が評価されて復権。2014-15シーズンは副キャプテンを務め、いつしか名門クラブの最古参選手になった。

「可愛がられて、それを力にして伸びる」
国境や言葉の壁を越えて歴代監督を魅了

 ここまでの軌跡を見ても、明治大学体育会サッカー部時代の神川明彦監督、FC東京時代の城福浩監督(現サンフレッチェ広島監督)、チェゼーナ時代のマッシモ・フィッカデンティ監督(現サガン鳥栖監督)、そしてインテル・ミラノの歴代監督を魅了し、重用されてきたことが分かる。

 例えば後にJ3のグルージャ盛岡で監督を務めた神川氏は、最上級生になる長友を副キャプテンに据える構想を描いていた。それでも「一刻も早くプロになりたい」と念じながらも、FC東京入りしたい思いを言い出せなかった長友の胸中を慮り、早朝練習が行われていたグラウンドで涙の抱擁を交わしながら、愛弟子の退部を承認している。

 万感の思いを込めて長友を送り出した神川氏は、今も長友が感謝の思いを忘れないという当時の自身の決断を、こんな言葉で振り返ったことがある。

「スポーツ推薦ではなく指定校推薦だったこともありますけど、あれだけのレベルを備えていてプロに送り出さなかったら、それはチームのエゴになる。明治大学体育会サッカー部の見識が疑われます」

 このやり取りだけを見ても、長友がいかに愛される存在だったかが分かる。プレーする舞台をイタリアに移した後も然り。日本代表においても岡田氏に始まり、イタリア人のアルベルト・ザッケローニ、メキシコ人のハビエル・アギーレ、そしてボスニア・ヘルツェゴビナ出身のヴァイッド・ハリルホジッチの歴代監督から全幅の信頼を寄せられてきた。

 波瀾万丈に富んだサッカー人生をあらためて振り返ると、長友だけが持つ特異な力が働いているように思えてならない。それを端的な言葉で説明してくれたのが、長友がFC東京に在籍していた時の強化部長で、今現在はシント・トロイデン(ベルギー)でCEOを務める立石敬之氏だ。

「人に可愛がってもらえて、それを力に変えて伸びていく才能が(長友)佑都にはありました。人の話をしっかりと聞いて、それを貪欲に吸収していく姿勢が大人の目には可愛く映るからか、指導者との付き合い方がすごく上手いんですよね」

 国境も文化も風習も、そして言葉の壁をも越えて「愛される力」とでも呼ぶべきか。その原点は西条北中学時代にある。長友が入学した1999年度に赴任し、まるで『スクールウォーズ』のように荒れ果てていたサッカー部を顧問として必死に立て直し、今も長友から恩師として慕われる井上博教諭はこんな檄を飛ばし続けた。

「佑都には『心でボールを蹴れ』とずっと言ってきました。周りの人に喜んでほしいから、どこまでも頑張れる男。何かどでかいことを成し遂げると思ってきましたし、今も驚きはありません」

 一時は髪の毛を金色に染め、授業を抜け出して先輩たちとゲームセンターにたむろしていた長友を、井上氏は幾度となく学校へ連れ戻した。一緒にいる時間を少しでも多くしたい、という思いから駅伝部を創設。サッカー部の練習後に課された走り込みの日々が、今現在も長友の体に脈打つ、無尽蔵のスタミナの源になっている。

 そして、福岡へと旅立つ日に、長友は春休みで無人だったグラウンドを一人で、感謝の思いを込めながら数時間をかけて整備している。職員室からその姿を見た井上氏は思わず抱擁しようとしたが、別れが辛くなると長友はこれを拒否。代わりにこんな言葉を残し、生まれ故郷を後にしている。

「オレは絶対にビッグになるけん! 見てろっ!」

 16歳になる年に立てた誓いが、今も長友を突き動かす原動力になっている。もっと上手くなりたい、もっと強くなりたい、もっと上のステージへ行きたい――マグマのようにほとばしる情熱は周囲へも相乗効果を与え、すぐに新天地へ溶け込める状況を作り出す。

追われるようにACミランを去った本田、
イタリアサッカー界から別れを惜しまれた長友

 インテル・ミラノでも、1995年から2014年まで在籍し、キャプテンの中のキャプテンと称賛された元アルゼンチン代表のハビエル・サネッティ、4シーズンに渡って「10番」を背負った元オランダ代表のヴェスレイ・スナイデルらレジェンドたちの輪の中へ、あっという間に迎え入れられた。

 同じミラノに本拠地を置くチームに在籍したこともあって、幾度となく比較される対象となってきた本田は、苦笑いしながら長友を評したことがある。

「佑都はよくも悪くも、相手の懐にグッと入っていく。だから、最初からベテラン勢にも可愛がられたんじゃないかな。オレは基本的に、最初はベテラン勢に煙たがられて入っていくタイプなのでね」

 だからと言って、注がれる愛に溺れることもない。インテル・ミラノでは昨年11月5日のトリノ戦を最後に、先発メンバーの中から姿を消した。自らがポジションを勝ち取った逆のパターンが、いつ起こっても不思議ではない。プロの世界の掟でもある弱肉強食を誰よりも理解しているからこそ、長友はこんな言葉を残したこともある。

「皆さんがすごく心配してくださっているんですけど、僕自身がまったく自分のことを心配していないんですよ。本当にシンプルなことですけど、クラブに必要とされないのであれば、荷物をまとめて出ていきます。自分が必要とされる場所で、輝きを放つための努力を積み重ねていくだけなので」

 言葉通りに、今冬の移籍市場が閉じる1月31日に、オファーを受けていたトルコの強豪ガラタサライへの期限付き移籍を決めた。出場機会を優先させた決断に迷いはなかった。むしろミラノを中心とするイタリアサッカー界が、長友との別れを惜しんだ。

 時には長友に対して厳しい論陣を張ったスポーツ紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』は、数え切れないほどの人懐こい笑顔が刻まれた170cm、68kgの小さなサムライの軌跡を称えるように、長友がインテル・ミラノでプレーした7年間を振り返る異例の特集を組んだ。

 2016-17シーズンは実質的な戦力外となり、契約が満了した昨夏にはまるで追われるように退団した本田とは、ここでも対照的な扱いを受ける。本田はその後に決めたパチューカへの移籍を「都落ち」と表現したことがあるが、長友はイタリアよりレベルの落ちるトルコ行きを悲観したことはない。

 むしろ心を躍らせている様子が、初めてガラタサライの練習に参加した現地時間2月2日夜に更新された、ツイッターとインスタグラムから伝わってきた。

「みんな温かく迎えてくれて、最高の雰囲気でした!練習も楽しかったなー。チーム内は英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、トルコ語など飛び交っていて勉強になるし、コミュニケーションとるの楽しすぎる」(原文のまま)

 新天地へ裸一貫で飛び込み、早くも「愛される力」を発揮している姿が文面からも伝わってくる。果たして、わずか2日間の練習を経て迎えたスワススポル戦で、長友は左サイドバックとしていきなり先発フル出場。トルコ代表を率いたこともある、ファティ・テリム監督の信頼を一発で勝ち取った。

 その証が5月19日の最終節まで一度も外れることなく、最終的には15試合連続で先発に名前を連ね続けた軌跡となる。そして、ガラタサライがもぎ取った3シーズンぶり21度目の優勝は、意外にも長友が経験する初めてのリーグ戦優勝でもあった。

 夜通し熱狂するファンやサポーターと至福の喜びを共有したからか。優勝直後のツイッターに「正解ではなく、大正解だった」とガラタサライ移籍をつぶやいた長友は、こんな言葉を紡いでいる。

「サッカー選手としての誇りと、自信を与えてくれた。決断を正解にするかどうかは日々のプロセスで決まる」

長友自身が考える「愛される力」の源泉とは?

 所属チームの指導者や仲間たちと常に相思相愛の関係を築き、サッカー人生を力強く切り開いてきた長友は「自分の意思次第で道は変わる」を信条としている。トルコでも発揮された「愛される力」の源泉を、先月21日から千葉県内で行われた日本代表合宿中にあらためてぶつけてみた。

「僕は一生懸命やるだけなので。自分にやれることをやってきた結果といいますか、そういうものなのかなと思っています」

 背伸びはしない。虚勢も張らない。等身大の自分自身を飾ることなくぶつけ、その瞬間、瞬間を心の底から楽しんできた結果として、明治大学に入学するまでは無名だった長友は、日本サッカー史に名前を刻むサイドバックとなった。

 そして、純粋無垢なベクトルは今、電撃解任されたハリルホジッチ監督からバトンを引き継ぎ、4月12日に慌ただしく船出した西野ジャパンへと向けられている。ベテランと呼ばれる年齢に達した中で、長友は自らのサッカー人生をなぞるように、若手たちへこんな檄を飛ばしてきた。

「遠慮なんてしなくていいから、自分が中心になるくらいの思いで、日本代表を引っ張ってほしい。ギラギラしたメンタルは、必ず彼らを成長させる。僕自身もそうだったし、ケイスケ(本田圭佑)もオカ(岡崎慎司)も『絶対に上り詰めてやるんだ』という思いを、常に抱いていたので」

 簡単にポジションを明け渡すつもりもない。若手が突き上げ、ベテランが抗うことで成長へつながる化学反応が起こる。だからこそ、自分自身に「僕たちの世代も今一度、ギラギラした思いを心の底から出さないと」と言い聞かせてもきた。

 その結果として選出された、ロシア大会へ臨む西野ジャパンの平均年齢は28.22歳で過去最高に達した。ポジションは与えられるものではなく自ら奪い取るもの、という鉄則を誰よりも理解しているからこそ、ファンやサポーターから向けられた懐疑の視線へモノ申したい思いに駆られたのか。

「年齢で物事判断する人はサッカー知らない人。」(原文のまま)

 ツイッターへのつぶやきが思わぬ騒動に発展し、いわゆる炎上状態を招いてしまったが、ロシア大会出場を決めて以降の代表が結果を出していないがゆえの事態と、長友は受け止めている。

「皆さんはベテランと言いますけど、僕は自分を若いと思っています。精神面を含めて、キャリアの中で一番コンディションがいいと言えるくらい、年齢のことはまったく感じていないので」

 ガラタサライ移籍直後に、夫人で女優の平愛梨さんとの間に待望の第一子となる長男が誕生。「カッコいい親父でありたい」とピッチの内外で充実感を漂わせる長友は、批判の声を称賛のそれに変えるために、過去最高と言ってもいい状態の心技体で、3度目のワールドカップを胸躍らせながら待っている。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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