このページの本文へ

日本代表DF槙野智章はなぜ挫折やダメ出しから逃げないのか

2018年05月31日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷
槙野が大きな成長を見せている
写真:JFA/アフロ

追いかけ続けてきた夢が、あとちょっと手を伸ばせば届くところにある。ガーナ代表を日産スタジアムに迎えた、30日のワールドカップ・ロシア大会への壮行試合。西野朗新監督(63)のもとで急きょ導入された3バックの左ストッパーとして先発した槙野智章(浦和レッズ)は、日本代表に名前を連ねながら8年前の南アフリカ大会、4年前のブラジル大会出場を逃してきた。31歳で迎えるロシア大会こそ必ず――ヴァイッド・ハリルホジッチ前監督に率いられた日本代表でも常連だったが、ベンチを温める機会が圧倒的に多かった男は昨秋以降で急成長を遂げ、ロシアの地に立とうとしている。その原動力は何度も挫折を味わい、ハリルホジッチ氏からは強烈なダメ出しを連発されながらも、すべてを成長への糧だと受け止めてきた究極のプラス思考にある。(ノンフィクションライター 藤江直人)

日本代表から遠ざかっていた槙野を
ハリル前監督は日本代表候補として招集

 日本代表におけるルーティーン通りに、槙野智章(浦和レッズ)はガーナ代表戦のキックオフを迎えた。本田圭佑(パチューカ)とともに先発した場合は、最後尾を本田に譲る形で、先頭のキャプテンから数えて10番目でピッチに入場してくる。

 レッズの場合は常に最後尾。その際は先頭に立つキャプテン、柏木陽介から順にハイタッチを、それも雄叫びを上げながら交わし、自身とチームに気合いを入れて所定の位置につく。聖なる儀式は代表でも変わらない。この日は先頭の長谷部誠(アイントラハト・フランクフルト)、川島永嗣(FCメス)と順にハイタッチを交わしながら、本田の前に入った。

 そして、手をつないで一緒に入ってくるエスコートキッズに笑顔で語りかける。6万人を超える大観衆を前にして緊張しないように。一生の思い出ができるように。将来はサッカー選手になりたいと思ってくれるように。未来を担う子どもたちへの思いやりは、レッズでも欠かしたことがない。

 しかし、約3時間後の取材エリアで、槙野は反省の弁を口にしている。前半開始を告げるホイッスルが鳴り響いてからわずか7分。ゴールほぼ正面、約18メートルの位置でファウルを犯してしまう。直接フリーキックを決められて先制を許し、0‐2の黒星を喫する序章を招いてしまった。

「ワールドカップ本大会を見すえれば、ああいう危険な位置でファウルしてはいけない。もう少し頭を使って、プレーしないといけない。個人的に反省するシーンでした」

 ゴール前で不要なファウルは犯さない――日本代表監督を電撃的に解任されたヴァイッド・ハリルホジッチ前監督から、何度も徹底された「3ヵ条」のひとつだった。

「マキノに何を言うかはもう考えてある。彼のための映像も、もう20日も前から用意してある。いいディスカッションができると思う」

 時は2015年5月。代表監督に就任して間もないハリルホジッチ氏が、過密スケジュールを承知の上で日本サッカー協会(JFA)及びJリーグに頼み込み、国内組だけを対象とした3日間の日本代表候補合宿を千葉県内で開催する直前に、待ち切れないとばかりに無邪気な笑顔を浮かべたことがある。

 唐突に名前を挙げられた槙野は、ハリルホジッチ氏が注目の初采配を振るった2015年3月のチュニジア代表との国際親善試合で、ザックジャパン時代の2013年9月以来、約1年半ぶりに日本代表へ復帰。吉田麻也(サウサンプトン)とセンターバックを組み、大分中銀ドームのピッチで先発フル出場を果たしていた。

 代表から遠ざかっている間に、ワールドカップ・ブラジル大会が開催された。応援する側としてかつての盟友たちの戦いを見守ったものの、大会後に発足した、メキシコ人のハビエル・アギーレ監督に率いられた日本代表にも招集されない日々が続いた。

 そのアギーレ氏に、スペイン時代に関する八百長疑惑が浮上。地元の検察へ起訴された事態を受けて解任された2015年2月を境に、明らかに風向きが変わった。チュニジア戦をへて、槙野自身も視界が一気に良好になったと感じていたのだろう。ハリルホジッチ氏が発した「いいディスカッションができる」という言葉に対して、こう反応していた。

「僕も期待しながら、この合宿に乗り込んできました」

 果たして、合宿を終えた5月13日における槙野は陽気なキャラクターを前面に押し出す、いつもの姿とは対照的に苦笑いをまじえながら、歯切れの悪い対応に終始している。当時のメディアとのやり取りを再現するとこうなる。

――ハリルホジッチ監督との個人面談では何を。

「的確で重い言葉をしっかりといただきました。具体的なことは言えませんけれども、僕個人がピッチの上でそれを意識しながらプレーで表現する、プレーを変えることが監督へのメッセージ返しになると思っています」

――言われて思い当たる節は。

「あります。監督はよく見ているな、という感じですね」

――槙野選手が意識を変えれば修正できると。

「変えられます。そんなに難しいことではないと思いますけど」

――直すまでに時間がかかりそうでしょうか。

「そういうことはないと思います」

ハリル前監督からの大量のダメ出しにも
絶対に下を向かなかった「究極のプラス思考」

 実は合宿初日だった2015年5月11日の夕食前に実施された個人面談の席上で、ハリルホジッチ氏は独自に抽出・編集してきたプレー映像を見せながら、実に20項目にわたって槙野にダメ出しを連発した。くしくも28歳になった日であり、予想外のバースデープレゼントを贈られた形だ。

 メンタル的にどん底まで突き落とされたとしても、何ら不思議ではなかったはずだ。サンフレッチェ広島、ブンデスリーガのケルン、そしてレッズと歩んできたプロサッカー人生で必死に積み重ねてきたものを、すべて否定されたと言っても決して過言ではなかったからだ。

 しかし、槙野は絶対に下を向かなかった。面と向かって「ここがダメだ」と言われるたびに、逆に心を奮い立たせてきた。合宿後も定期的に、修正すべきプレー映像が収められたDVDが代表チームから届けられてくる。槙野だけに対するものではなかったが、決して逃げることなく食い下がってきた。

 槙野を突き動かしていたのは、まさに究極のプラス思考だった。歯に衣着せぬ観のある、指揮官の忌憚なきメッセージが成長への糧になると信じて疑わなかった。

「代表合宿でも『ここを直せ』と何度言われたことか。30歳になったのにまったく褒められない立場ではありますけど、それでも代表に呼んでくれて、怒ってくれるのは、僕のことを常に見てくれているから。監督の厳しさが僕を成長させてくれるし、僕自身を『もっと変わらなきゃいけない』という気持ちにさせてくれる。時間をかけてDVDを作ってくれるということは、映像を編集するためにさらに時間をかけて試合を見てくれているということ。日本代表にとって僕は必要なんだ、というメッセージの裏返しだと感じるからこそ、感謝の気持ちをプレーで返さなきゃいけないと思ってきました」

 初陣となったチュニジア戦へ招集し、先発としてピッチへ送り出したハリルホジッチ氏は、182センチ、77キロの槙野のボディに宿る、日本人離れしたフィジカルの強さに着目していた。もっとも、指揮官の目には能力のすべてが解き放たれていたわけではない、とも映っていた。

攻撃好きの一方で、守りが疎かになることも
槙野に課されたディフェンダーとしての「3ヵ条」

 槙野が国内でプレーしたサンフレッチェとレッズは、いわゆる「可変システム」と呼ばれる特殊な戦い方を採用していた。基本布陣の『3‐4‐2‐1』がマイボールになると『4‐1‐5』へ、相手ボールになると『5‐4‐1』に様変わりするがゆえに「可変」という文言がつけられた。

 3バックの左ストッパーを主戦場とする槙野は、マイボール時には『4』の左サイドバックとなり、積極的にオーバーラップをかけては攻撃に厚みをもたらした。自らを『DFW』という造語で呼ぶなど、攻撃参加が大好きな槙野にとっては、打ってつけの役割だったと言っていい。

 しかし、時として集中力が途切れるのか。ボールウォッチャーになる瞬間が顔をのぞかせることもあれば、攻撃好きを自負するあまりに、自身の背後に広がるスペースへのケアが疎かになる場面も少なくなかった。いくら攻撃面で貢献しても、失点を重ねれば本末転倒の事態を招いてしまう。

 その象徴が2006シーズン以来、2度目となる年間王者にレッズが王手をかけて臨んだ、2016シーズンの明治安田生命Jリーグチャンピオンシップ決勝第2戦だった。鹿島アントラーズに逆転負けを喫し、下克上を許した直接的な原因が、背後を突かれたFW鈴木優磨を追走した際に勢い余って倒し、PKを与えた槙野の痛恨のファウルだった。

 一連の悪癖を取り除き、本来の強さを発揮させるために、ハリルホジッチ氏は槙野に対して直球をど真ん中に投げ込んできた。代表に招集し続けながら、その後は試合でほとんど起用しなかったのも、手元に置くことで言葉のキャッチボールを直に交わしたかったからだろう。

 その過程で口を酸っぱくしながら徹底させられたのが、ディフェンダーとして絶対に順守しなければならない「3ヵ条」だった。自軍のゴール前でボールを持つ相手に対して「前を向かせない」「ゴールから遠ざける」「不要なファウルは犯さない」――これらが実践され始めたのは昨秋だった。

 レッズが10年ぶり2度目のアジア王者に輝いたAFCチャンピオンズリーグ(ACL)。準決勝で対峙した上海上港(中国)の右ウイングには、フィジカルモンスターの異名を持つ元ブラジル代表のフッキが君臨していた。対面で迎え撃ったのは、左サイドバックに回っていた槙野だった。

 アウェイ及びホームで行われた180分間で、第1戦で1ゴールこそ許したものの、ほぼ完璧にフッキを封じ込めた。第1戦を含めた映像を何度も見返してはフッキの癖を洗い出し、エース潰しに全神経を集中させた結果として、自由を奪うことに成功したと第2戦後に胸を張って明かしている。

「第1戦ではフッキ選手に食いつきすぎて、何度か入れ替わられてしまう場面がありましたが、それが僕にとっていいシミュレーションになりました。1センチなのか、それともほんの数ミリのところなのか。彼に対してどれだけアプローチすればヘッドダウンするのか、あるいはしないのかをずっと研究してきました」

 相手をうつ向かせることができれば、ハリルホジッチ氏が掲げていたフランス語によるキーワード、和訳すれば「1対1の決闘」となる『デュエル』に持ち込める。フッキとの壮絶なマッチアップを介して、根気強く伝えてきた「3ヵ条」が身心両面で浸透したとハリルホジッチ氏も確信したのだろう。

 ほぼ時を同じくして、槙野は吉田とセンターバックを組むファーストチョイスに昇格。昨年10月の国際Aマッチシリーズから6試合連続でフル出場を果たし、攻めても同11月のブラジル代表戦では一矢を報いる、今年3月のウクライナ代表戦では一時は同点に追いつくゴールを、ともにセットプレーから頭で決めている。

「挫折を味わった人間は強い」
ラストチャンスのロシア大会にすべてを賭ける

「最近よく思うんです。挫折を味わった人間は強い、と。実際、僕は何度もどん底まで落ちて、ここまではい上がってきた自信がある。どん底がいつだったのか、と言われても本当にたくさんありますし、失敗や苦しい時間を味わった選手が強くなれると思っている。その選手にしかわからない経験がありますし、自分はそうした経験を数多く積んできたので」

 三度巡ってきたワールドカップイヤーへ向けて、文字通り右肩上がりの成長曲線を描いてきた軌跡をこう振り返った槙野は、解任されたハリルホジッチ氏へ対して偽りのない胸中も明かしている。挫折をプラスに転じさせる上で、触媒の役割を果たしてきたのがハリルホジッチ氏の檄だったからだ。

「僕個人の本音としては、プレーも考え方も大きく変わってここにいられるのは、もちろん浦和でのプレーや指導者の方のおかげでもありますけど、ひとつはハリルホジッチさんの厳しい言葉があったがゆえだったと思っています。僕はすごく感謝していますし、だからこそ一緒にワールドカップに、という思いはすごく強かったです。もちろん、日本のためにワールドカップをしっかりと戦わなければいけない、ということは変わりません」

 2010年の南アフリカ大会を振り返れば、代表メンバー23人が決まる直前の国際親善試合のピッチに立ちながら、岡田武史監督が作成したリストの中に入れなかった。ザックジャパンの発足時から名前を連ねながら、前述したように、ブラジル大会の前年から招集されなくなった。

 だからこそ、31歳で迎えるロシア大会へ並々ならぬ意欲を燃やしてきた。2010年以降の8年間で味わわされてきた喜怒哀楽のすべてを、プレーに込めて具現化する場だと位置づけてきた。ガーナ戦で募らせた悔しさも、さらに前進するためのエネルギーへとすぐに昇華させていた。

「年齢的にもラストチャンスだと自分の中では思っていた。ワールドカップは夢でしたけど、夢のままで終わらせたくなかったので。8年間は僕にとっては悔しい時間であり、もどかしい時間でもあったけれども、そういう(ワールドカップに出られなかった)結果を受けて前進しなければいけない、無駄にしてはいけないと自分に言い聞かせてきました」

 8年間のうち、ハリルホジッチ氏と真正面から向き合ってきた3年間は、とりわけ濃密な時間として槙野の記憶に刻まれている。辛く、苦しい時こそあえて笑顔を浮かべ、前を向く強い心が人間には必要だと身を持って教えてくれた槙野は、西野ジャパンの中で眩い輝きを放つことがハリルホジッチ氏への最大の恩返しになる、と信じながらロシアのピッチに立つ。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

カテゴリートップへ

最新記事
最新記事

ASCII.jp ビジネスヘッドライン

アスキー・ビジネスセレクション

ピックアップ