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5月8日から「復活」したけれど:

松屋「ビビン丼」から失われたデュエルの概念

2018年05月09日 16時00分更新

文● モーダル小嶋/ASCII

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かつてビビン丼には「個の力」があった

新しいビビン丼。具材も増え、肉も変わったけれど……

 ビビン丼の魅力は、安易な具材のかけ合わせではなく、むしろ具そのもの単体のパワーによってもたらされていた。注目すべきは、具材の上にかけてある甘辛い特製タレの味がかなり濃いことだ。いや、決して否定したいわけではない。濃いからこそ、食べる側は創意工夫を試みる。まろやかにするために玉子を具材にしっかり絡めようとか、その分ライスを多めに口に放り込もうとか、バランスを取るための考えを働かせる。

 元サッカー日本代表監督、ヴァイッド・ハリルホジッチ氏を思い出す。牛丼チェーンのメニューは独自のアイデンティティーを築かなければならない。一般的には、新メニューはバランスの重要さが強調されやすい。調和の取れた味を求め、「自分たちの味」に小さくまとまろうとしがちだ。食べる側が介入する余地がない。これを「ポゼッション」(支配)と称してもよいだろう。しかし、使われている具材の間でパスを回し続けるがごとく、そつのない味同士を組み合わせるだけでは、魅力的なメニューになるとは限らない。

 ビビン丼が強かったのは、むしろ「デュエル」(対決、決闘、などの意。ハリルホジッチ氏が強調していた概念で、主に1対1の局面、ボールを奪い合うせめぎ合いのことを指すようなニュアンス)、すなわち具と舌による1対1の主導権の奪い合いにおいてだ。

 たとえば、リニューアル前のビビン丼に使われていた豚肉の脂や、キムチの辛味などに注目してみればわかりやすくなる。どちらも、単体で舌の上に残るパンチがある(ジャンク、と評してもよいだろう)。一方、食べる側としては、その強さに負けじと、ほかの具材やライス、場合によってはみそ汁をあわせて口に入れる。おいしく食べるためについつい激しくかき混ぜながら、次の一口をもっと速く運びたくなる。結果、気がついたら一気に食べ終わっている。

 口の中に広がる局面での個のバトルで、チーム(ビビン丼)が常にデュエルを挑み続けること。ビビンバの魅力を松屋流に解釈した、(食道の中で)縦に速い攻め方。これがかつてのビビン丼が持っていたものだ。

 しかし、松屋はスター選手にこだわるかのように、豚肉を牛肉に変えてしまった。牛肉は(おそらく)牛めしにも使われているもので、やや淡白であるがゆえに、脂のごてっとしたパンチは不足する。追加された小松菜ナムルと根菜きんぴらは、たしかに名脇役ではあるが、それ自体が個の力で訴えかけてくるわけではない。

 新しいビビン丼をよくかき混ぜてから食べると、たしかに以前よりもさまざまなテイストが感じられるのだが、その分、個の存在感は犠牲になる。結果的に、なにやらおとなしく、こちらに向かってくるようなインパクトは薄れてしまったようにも思える。肉の変更、具材の追加。一見するとパワーアップにも思えるこのリニューアルこそが、ビビン丼に使われていた具材の個の力をなくし、口の中に攻め込んでくるデュエルへの姿勢を失わせたように感じられるのだ。しかも、100円の値上げとともに。

こちらは2018年1月にビビン丼が発売されたときの広報画像。この時点で豚肉→牛肉の変更、小松菜ナムルと根菜きんぴらの追加があった

 叙情的な比喩を使ってよいならば「好きだった人が久々に会ったら髪を切っていた」ようなものではなくて、「好きだった人が久々に会ったらお互いに『嫌いだよねー』と言ったシナモンの匂いが強いアップルパイをうれしそうに食べていた」ぐらいの差がある。会っていない間に相手はあまりにも自分の中の思い出と離れてしまっていた。むしろ自分が嫌うことを、あえてやっているのではないか、という具合だ。

 ここまで書いて、あまり松屋に行かない編集部員に「意味がわからない」という顔をされたけれど、しょうがない。思い入れというものは書けば書くほど、思いがない人との温度差が広がっていくものだから。それでも、同好の士はいるものだ。編集部のグルメ担当であるナベコさんは、2004年ごろに松屋でアルバイトしていたそうで、ビビン丼の思い出を目を輝かせながら語ってくれた。

 ナベコさん「『ビビン丼』導入のときに松屋で働いてました。たしか2003年の終わりぐらいに狂牛病の問題が本格化して、牛丼チェーンが『豚丼』に舵を切ったんですよ。ビビン丼もその流れにあった気がします。最初は玉子が目玉焼きだったから、それを焼かなきゃいけなくて、オペレーションにちょっと手間がかかった記憶がありますね。でも、好きでしたよ、あの味わい」

 もちろん、生まれ変わったビビン丼を評価する人もいるだろう。ざっくり言ってしまえば、新しいビビン丼のほうが「ビビンバ」に近いように思えるし、こちらのほうが上品、あるいは本格的と思う人がいたとしても不思議ではない。それどころか、「えっ、ビビン丼ってなくなってたんですか?」「『復活』というポスターを見て、メニューから消えたことを知りました」と言う編集部員もいた。その人たちを責める気はない。もともとビビン丼は松屋の主役ではなかっただろうし、牛めしやカレーと比べると、どうにも影が薄い。登場した時代を考えれば、豚丼の派生品にすぎなかったのかもしれない。

 でも、かつてのビビン丼は、松屋のカウンターに座ったぼくに、デュエルの概念を教えてくれたのだ(しかもワンコインでお釣りがついた)。肉、野菜、玉子の個の力がライスと重なり合って飛び込んできたあの鮮烈なスピード感を、もう味わうことはできないらしい。

 そんなことを思い出してしまい、あたらしい味わいになじめないのは、勝手なわがままにすぎるのだろうか? 5月8日に「復活」したはずのビビン丼を食べてから、ぼくは、いささか身勝手な、しかし誰ともわかちあえないために一層強まってしまう、わずかばかりのむなしさを消し去れずにいる。


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