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ライフサイエンス系スタートアップの世界市場へのアプローチ

ボストン地域の地の利、成長に合わせたスタートアップへの支援

連載
アスキーエキスパート

国内の”知の最前線”から、変革の先の起こり得る未来を伝えるアスキーエキスパート。京都大学の小栁智義氏によるライフサイエンスにおけるオープンイノベーション最新動向をお届けします。

 2018年2月、意外にもそれほど冷え込まないボストン、ローガン空港に、関西弁を話すおっさんばかり十数名の集団が降り立った。みなさん口々に「これの準備のために徹夜して仕事を片付けてきた」とか「やっぱり東海岸は遠い……」などと述べながらも、エキサイトした様子。かくいう私も機内Wi-Fiをフル活用し、日本に残してきた仕事へのメール対応と、現地でのプレゼンの最終仕上げをやったので機中ではほぼ寝なかった。

 おっさん連中の正体はJETRO京都の石原所長を筆頭に京都府、京都市の担当者、そして、京都のヘルスケア関連スタートアップ企業6社の経営者の皆さん。マサチューセッツ州ボストン周辺の企業との連携や米国進出の拠点形成のために、6社共同してのプレゼンや、現地の市場環境の調査が目的だ。

 筆者は京大発ベンチャーのサポートと、現地の調査、京都とマサチューセッツ、ボストンをつないだスタートアップエコシステム構築を目的に今回のツアーへ参加した。

 ほかのアスキーエキスパート連載陣の皆さんも「シリコンバレー」への注目は高いが、ことヘルスケア・バイオテクノロジーについては、筆者が過去の記事でも述べたように、ボストン、ケンブリッジ地域への集積が目覚ましい(以後、マサチューセッツ州ボストン市、ケンブリッジ市およびその周辺を指して「ボストン地域」という)。

ボストン市街

活況なボストン地域のライフサイエンススタートアップ

 ライフサイエンス大手製薬企業はニューヨーク、マンハッタンの対岸から南に広がるニュージャージー州に広がっており、ボストン地域は大学教授と優秀な学生を生産する学術都市の面が大きかった。この地域が今や多くのスタートアップを生み出し、それを目当てにGoogle、Appleがオフィスを構えそして、Amazonの第2本社の最有力候補地としても話題を集めている。そして製薬企業にいたっては現在10以上の世界的な企業が研究開発の拠点を設けており、戦略的投資のためのCorporate Venture Capital(CVC)や情報収集のためのオフィスまで含めると、ボストン地域に関わりのない企業を探すほうが難しい状況だ。

 この地域のバイオ関係者、業界団体やインキュベーターに聞くところによると、既に存在していた大学、大型の病院と研究機関による基礎研究力の集積に加えて、

1.ハーバード大学、MITがこの十数年、スタンフォード大学を始めとする西海岸の大学に対抗するために起業家教育に力を入れてきたこと

2.マサチューセッツ州など自治体や業界団体がインキュベーション事業に力を入れ、初期ステージのリスクの高い段階のサポート体制が充実させたこと

の2つが契機となってスタートアップの数が爆発的に増えたという。そのスタートアップ企業を目当てに大企業が研究開発の拠点自体を移してきている。さらに大企業だけでなく、カナダ、ドイツなどの米国外からもこの集積を利用するためにスタートアップ企業がこの地域に進出している。

 日本からのスタートアップ企業の世界戦略に向けたビジネスマッチングをする場合、まずシリコンバレーへ向かうことが多い。当然彼の地の先進的なシステムに相乗りしたいという目算があってのことだが、日本からの距離の近さと日本人ネットワークの充実度合いに頼っている状況もあり、そのほかの地域には目が向きにくい。しかし、10年ほど前までの米国のスタートアップに圧倒されていただけの時代から、現在では日本独自のエコシステム構築を考える段階に移行しつつある。

 筆者がベースとしている京都でも戦略的に事業を構築するための議論を行ない、関係各所でいくつか独自の取り組みがなされている。これまでの「ベンチャー企業はお金がない」「死の谷を乗り越えるのは大変だ」「10社に1社しか成功しない」と言った大雑把かつ精神論的な論調からではなく、より現実に即した支援が求められている。我々も世界の各地域のスタートアップの動きを観察し、情報が集積している場所に出向いて適切な渉外活動をする必要がある。

世界市場を相手にするために必要な準備とは

 米国スタートアップの場合、事業提携やM&Aの取引相手となる大企業は東海岸、特にボストン、ニュージャージー地域に多く存在しているため、シリコンバレー企業を含め、ライフサイエンススタートアップのCEO達も頻繁に東海岸へ飛行機で飛んでいる。それでは日本にいるスタートアップはどう動けば良いのだろうか? スタートアップ企業の渉外活動を考えると、そのビジネスのステージごとに実施する内容は異なっているが、筆者が考える所では以下の5つの渉外活動が必要になる。

A.開発する製品・サービスの市場を確認するために、想定顧客の情報を収集する
B.類似の事業を展開する競合企業の調査を行なう
C.事業計画を元に資金調達を行なう
D.プロトタイプの段階から営業をかける
E.具体的な製品・サービスを持って売り歩く
(研究開発型のスタートアップの場合は、提携先の開拓活動を営業活動と考えて記載した)

 バイオ、ヘルスケアの場合、競合調査(B)についてはシリコンバレーの有力VCには情報が集積しているだろう。しかし、資金調達(C)についてはシリコンバレーで事業を行わない限り投資を受けることは難しいし、ほかの上記A、D、Eについては相手方の居る場所に行く必要がある。

 特に顧客情報収集(A)については、10年前までは製薬企業であればニュージャージー州、医療機器はカリフォルニア州、ミネソタ州などだったが、現在ではそれらの地域の大企業もボストンに出先機関を移してきている。一方の競合情報(B)についてはどうだろうか? 日本の場合も同様だが、米国でもある程度優秀な若手研究者でも地方の有力州立大学で研究を行なっており、これらの研究者のもつ技術を基に、シリコンバレーやボストンで起業するケースもある。これらを勘案すると、

●事業の出口に関連する顧客情報収集(A)、プロトタイプ段階での営業(D)、具体的な製品・サービス販売(E)についてはボストン地域、
●競合情報(B)についてはスタートアップの多い南北カリフォルニア(サンフランシスコ、サンディエゴ)およびボストン地域、
●そして資金調達(C)については東京およびそれぞれの地元のVC、

ということになる。

 世界市場を相手にするので、かなり広範囲の情報網は必要だが、まずボストン地域、サンフランシスコ・ベイエリア、サンディエゴを重点的にカバーし、次いで大企業が拠点を持つニュージャージー州、ミネソタ州は適宜対応、そしてそのほかの地域については展示会などを通じて情報収集という対応の構図が想定される。

 実際我々も「ボストン地域との提携を深め、世界展開する製品・サービスを創出するプラットフォームを形成する。カリフォルニアも既存のネットワークをフル活用する」というストーリーを描いていた。カリフォルニアとの連携については別の機会に譲るが、着実に進めている。

スタートアップには展示会の支援からさらに一歩踏み込んだ支援を

 さて今回、冒頭で述べたツアーに参加したベンチャー企業は以下の6社だ。

1.「誘電泳動」という技術を応用し、微生物検査用の機器の開発、販売を行う(株)AFIテクノロジー
http://afi.co.jp/

2.ヒト由来iPS細胞から分化させた心筋細胞と、特徴的な足場を持つ培養基材とを組み合わせることによって、ヒトの心筋に近い機能性を実現した(株)幹細胞&デバイス研究所
http://scad-kyoto.com/

3.再生医療研究用の器具を、研究者目線で開発、販売するCORESCOPE(株)
http://www.corescope.co.jp/

4.がんの免疫細胞療法に、iPS細胞技術を使って革新をもたらすサイアス(株)
http://thyas.co.jp/

LabCentralでピッチを行なう(株)サイアスの等社長

5.日本が誇る糖鎖研究の技術を創薬に活用する(株)糖鎖工学研究所
http://www.glytech.jp/

6.少量のデータからでも本質的な特徴を見出すアルゴリズム「スパースモデリング法」をつかって、ヘルスケア領域でのAI活用に挑む(株)ハカルス
https://hacarus.com/

 これら6社が現地の業界団体であるMassBIO、インキュベーターであり本欄でもご紹介した事のあるインキュベーションラボであるLabCentralでピッチを行なった。MassBIOはボストン地域のBiotech企業が相互協力するために始めた協会だが、この地域のBiotechの成長と製薬企業の集積の結果、現在では結果的にほぼすべての多国籍製薬企業が加盟している。ベンチャー企業の育成と、製薬企業とのマッチングも積極的に行なっている。

 それぞれのイベントの参加者数は多くなかったが、質疑応答ではより深い議論が行なわれ、将来に向けた協業の可能性、製品・サービスに対する生の声がしっかり聞けたと参加者は述べていた。筆者もこれまで多くの展示会で商談に向けた交渉をしてきたが、実際には個別に訪問し、時間をかけて説明するほうがその後のビジネスにつながる可能性は高いと感じている。今回は展示会の支援からさらに一歩踏み込んだ支援に結びついたと考えている。

 また、通常日本からのこの手のイベントを仕込むには、「英語に不安がある」「そもそもプレゼンに慣れていない」との懸念がつきものだが、今回については6社の内4社が2017年8月に京都で開催した「Healthcare Venture Conference KYOTO 2017」および、そのプレカンファレンスの登壇企業であり、英語でのプレゼンは経験済みだ。残りの2社も米国でのビジネス経験の長い企業、あるいは英語で仕事をしている外国人担当者によるプレゼンだったので、プレゼンそのもののレベルは高かった。

 今後はほかのアクセラレーションプログラムのように事業計画の見直しからプレゼンの助言をするなど、それぞれの事業ステージに合わせたプログラムの提供を検討している。ボストンやシリコンバレーでの情報収集の経験から、「アーリーステージのスタートアップの支援は、資金の出資と同じくらいアクセラレーションの能力が問われるようになる」という見立ての元での計画だ。つまり、これまで死の谷を乗り越える手助けをしてきたベンチャーキャピタルインキュベーション施設に加えて、アクセラレーションプログラムを実施し、3方位からスタートアップを育成し、その成果物を大手企業に提供する、と言う流れを想定している。

JETROニューヨーク事務所で現地の日系ヘルスケア企業関係者、ニューヨーク洛和会メンバーに向けて講演する筆者

菌の生育パターンからヒップホップを生み出す
研究室だけではありえない発想

 さらに今回の訪問ではビジネスマッチング以外の収穫もあった。

 MITメディアラボでCommunity Biotechnology InitiativeのDirectorを務めるDavid Kong氏を訪問した。いわゆるCommunity Biotechnologyでは比較的安価な器具を使って専門技術を持たない人々がBiotechnologyに親しみ、そしてより柔軟な発想を持って様さまざまな境界領域の研究をしている(いわゆる「DIYバイオ」だ)。

 この日も世界中のコミュニティーで採取した菌の生育パターンを使ってヒップホップのリズムを作り、世界中の「バイオ」のコレボレーションを音楽で表現するデモを見せてくれた。筆者は酵母での研究を長年していたが、日本の研究室でこんなことをやりたいと言っても、誰も理解してくれないどころか、頭がおかしくなったと思われると思う。それくらいぶっ飛んでいて面白かった。

 さらに、面談に先立ってKong氏が担当する大学院のコース“Bio Lab of the Future”の第1回講義を聴講したが、これも面白かった! 多国籍なのは当たり前だが、所属も学年もバラエティーに富んでいて、とにかくなにか面白いことをやってやろうという雰囲気に満ちていた。

 Center for Bits and Atomsの教授であるNeil Gershenfeld氏によるFabLabの話に始まり、その後はMIT発ベンチャーであるGinkgo Bioworksの共同創業者であるJason Kelly氏が、Biotechnologyの技術を使った事業展開、そして事業を始めた背景について語った。前者はいわゆるMaker’s movementのど真ん中の活動であり、後者は最近の合成生物学を駆使したバイオ企業だ。

 日本ではMaker's movementとバイオ研究はまったく文脈がつながらず、筆者もいわゆる普通の起業家育成イベントや、IT系の投資家に対してバイオの説明をする機会があるが、まったく話が通じないことがある。しかしボストンでは両者をつなぐ試みが進んでおり、さらに、この境界領域のビジネスを進めているGiokgo Bioworksにいたっては400億円を超える資金調達まで行なっている! 

 情報としては知っていたものの、実際に話を聞き、それが生まれたMITの教室で話を聞くことで、「これはやばい」と感じることが出来た。この動きは、権威主義的な「研究」では起こり得ないような発想の飛躍を起こすには「馬鹿げていると思われるようなことでも、とにかく試してみることが必要だ」ということを示しているように感じる。

 Community Biotechnologyを始めとするDIYバイオの動きははBiotechnologyの世界では極めて難しいと思われていたRapid Prototypingを現実のものとし、実際に成果につなげつつある。今後、本欄でも詳しく取り上げてみたい。

MITメディアラボにて;David Kong氏(向かって右から2人目)と参加者達

MassBIOも最初は小さなスタートアップの集まりだった

 さて、過去3年間に渡りヘルスケア領域のスタートアップエコシステムの構築に向けて様々な企画運営を行ってきたが、海外でこの手の支援を行っているのは公的機関とともに、バイオ系企業の業界団体であることも多い。しかし日本国内にはライフサイエンス系のベンチャーが自ら運営する団体がない。

 おもに大企業が運営に深く関わっている一般社団法人バイオインダストリー協会(JBA)がベンチャーも積極的に支援している以外は、政府、自治体が企画運営する支援プログラムばかりだ。海外とのやり取り、特に今回のMassBIOとの情報交換を行なう上では仕組み上の苦労があり、できれば関西のライフサイエンス系の企業が手を取り合ってこの手の活動を行っていただけないか? と模索していた。

 だがこの状況を一変する情報が今回のボストン訪問では得られた。訪問先であったParexel International社のJosef RickenbachdCEOとEmpiriko社のPam Randhawa CEOのアドバイスだ。

 35年前、ボストン地域には大きな企業の集積はなかった。数少ないベンチャー企業だったBiogen、Genzymeという、今や大企業となった企業6社が連合し、原材料を安く入手するための共同購入事業としてスタートさせたというのだ。当時のスタートアップ企業連合は資金だけでなく、その事業推進の上でも恵まれていなかったであろうことが推測される。そして当然顧客もボストン地域にはいないので、フランス、日本の企業との取引もあり、当初から国際的な展開を行なう業態として誕生し、ともに成長してきたというのだ。

 さて、上述したツアーに参加した企業6社も非常に志が高く、1週間をともにしたことで京都のライフサイエンス産業を大きく成長させる意気を高めて帰国した。そこで今回、MassBIOにならってKyotoBIOとしてこれら6社が結集することとなった。まずは定期的な勉強会の開催を予定しているが、今後は経営上の相互扶助、大企業との協調した交渉の場の提供、後進スタートアップへのアクセラレーションプログラムが実現すれば素晴らしいと、勝手ながら筆者は妄想している。

アスキーエキスパート筆者紹介─小栁智義(こやなぎともよし)

著者近影 小栁智義

博士(理学) 京都大学大学院医学研究科「医学領域」産学連携推進機構 特定准教授。より健康で豊かな社会の実現を目指し、大学発ベンチャーを通じたライフサイエンス分野の基礎技術の実用化、商業化に取り組んでいる。スタンフォード大学医学部での博士研究員時代にベンチャー起業を通じた研究成果の事業化に接し、バイオビジネスでのキャリアを選択。帰国後は多国籍企業での営業/マーケティング、創薬、再生医療ベンチャーでの事業開発職を歴任。現在は大学の産学連携業務に従事し、国立研究開発法人日本医療研究開発機構「創薬技術シーズの実用化に関するエコシステム構築のための調査研究事業」分担研究代表者も務める。経済産業省プログラム「始動Next Innovator」第1期生。大阪大学大学院卒。

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