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業務を変えるkintoneユーザー事例 第16回

業務改善のノウハウがすごかった大阪のkintone hive

バス運行、訪問看護、IoT管理の現場でkintoneはどう活用された?

2018年01月25日 09時00分更新

文● 大谷イビサ/Team Leaders

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訪問看護での情報共有を進めたほすぴす

 2番目に登壇した医療法人 思葉会 在宅緩和ケアセンターほすぴす 所長の市橋正子氏は、訪問看護の社会的背景から話を進める。人生50年と言われた時代が400年続いた日本は、戦後の医学の進歩により、平均寿命が劇的に伸びた。今後は団塊の世代が高齢化を迎え、多老多死の時代に突入する。現在、自宅で死を迎える人はもはや少なく、病院で亡くなるのが普通になっている。医療費財政が限界を迎えているため、今後医療機関が増える見込みは低いため、病院で亡くなるのも難しい。亡くなる場所すらなくなるというのが課題感というわけだ。

 そのため、厚労省では自宅を中心に、地域ぐるみで医療・介護・生活などの支援を進める「地域包括ケアシステム」が推進されている。このうち訪問看護は病気が治らない人に対する在宅での「退院支援」と、24時間体制での「看取り」が2つの業務だ。「医療器具を使って痛みなどを家で緩和し、最後まで過ごすことを目指します」(市橋氏)。

 市橋氏がkintoneに行き着いたのは、病院、介護施設、訪問看護など、さまざま事業において利用者のカルテが共有されていなかったからだ。大阪のタクトシステムズが作ったkintoneの電子カルテでは、利用者についての日々の記録、地図を見ながら電話がかけられる利用者台帳、決まった書式への計画・報告書、電話の経過、訪問時も利用できる検査の所見などの機能を持つ。市橋氏は、「kintoneのほかにもいろいろなカルテを使っているので、もっと共有できないかと思っています。少なくともレセプトコンピューターをつなげれば、どんなに楽かと思います」と今後のkintone事例に期待する。

医療法人 思葉会 在宅緩和ケアセンターほすぴす 所長 市橋正子氏

訪問介護で必要な記録と連絡

利用者の情報をkintoneで共有できた

IoT事業に必要なデバイス管理を実現したオプティックス

 隣同士がkintoneについて語り合う「隣のkintone」を終えた後半戦は、デバイスメーカーのオプテックス 戦略本部 開発センター長 中村昭彦氏からスタートした。

 防犯や自動ドアのセンサーで高いシェアを誇るオプティックスだが、最近はIoT事業を推進している。たとえば、安全運転をすると、保険料が安くなるソニー損保の「やさしい運転 キャッシュバック型」というサービスのために、車載用の「セーフメーター」というセンサーを開発した。車載されたセンサーをドライバーが意識することで、事故率や保険料も低くなり、燃費も向上するという。

 IoTデバイスは出荷後に機能強化したり、ファームウェアを更新しあり、データ解析をフィードバックするといった運用が必要だ。しかし、オプティックスのようなデバイスメーカーはもの作りは得意だが、ITの知識が不足しているという課題がある。そこでアールスリーインスティテュートの協力により、kintoneによるIoTデバイス運用・管理サービスを構築した。具体的には走行ログをAWSに、デバイス管理やログの活用などをkintoneで行ない、ファームウェアの更新などもkintone側から行なえるようにした。

 kintoneの導入により業務改善がスピーディに進んだほか、製品個体ごとの管理とAWSとの同期も可能になった。さらに生産管理や販売管理などの業務システムをほとんど触ることなく、大量の受注処理はExcelで一括登録できるようになったという。「まずは最小限の投資でkintoneを試していただくのがオススメ」と中村氏は語る。

オプテックス 戦略本部 開発センター長 中村昭彦氏

セーフメーターのシステム概要

kintoneを活用することでIoTデバイスの管理を実現

自分の百歩より、みんなの一歩の力強さと可能性

 最後に登壇したのは、Cybozu Days 東京で開催された「kintone AWARD」でグランプリに輝いた京屋染物店 社長の蜂谷悠介氏だ。大正4年の創業時、1万4000社あった染物屋は約300社にまで減少しているという厳しいビジネス環境の中、さまざまな試行錯誤がことごとく裏目に出て「社長にはついていけない」とまで言われた。そんな逆境の中、蜂谷氏が「闇を照らす明かりそのもの」と呼ぶkintoneと出会い、ビジネス的に立ち直るまでのストーリーは先般話題となったドラマの「陸王」を見るような胸アツな内容だった。詳細は東京のkintone AWARDの記事を読んでいただくとし、ここでは蜂谷氏の締めのフレーズを振り返る。

京屋染物店 社長の蜂谷悠介氏

 「当時の私は馬鹿でした。振り返りもしないくせに、自分が百歩進めば、他の人も着いてくると勝手に思っていました。kintoneを導入して学んだのは、私が百歩進むよりも、みんなで踏みしめる一歩の方が断然力があるし、すごい可能性に満ちているということです。サイボウズのみなさんに、この大阪でお礼を言えることに感謝し、みなさんにもそんな可能性を感じてもらえるような会社になっていきたいです」(蜂谷氏)。

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