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奥田民生やリリー・フランキーのようなオジサンが現実にはいない理由

2018年01月05日 06時00分更新

文● 藤野ゆり(ダイヤモンド・オンライン

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映画「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」は、文字通り奥田民生に憧れ、彼のような生き方をしたいと思っている主人公の物語だった。飄々と自分の好きなことをやり、自由に生きているように見える“かっこいいおじさん”の代表格、奥田民生。しかし、実際、奥田民生のような生き方ができる人は存在するのだろうか?(藤野ゆり/清談社)

自由でかっこいいオジサン
奥田民生は幻想なのか?

テレビの向こうには、奥田民生やリリー・フランキーといった、肩の力を抜いて、自分のしたいことを追求しているように見える「自由でかっこいいオジサン」が存在するが、現実の日本社会には、そうした生き方をしづらい風潮が蔓延している

 奥田民生的な生き方とは即ち、”力まないカッコイイ大人”のことだ。

 奥田民生は1980年代、90年代に数々のヒット曲を生み出しながらも、その振る舞いや楽曲によって、脱力感、無気力感、ゆるい、自由、マイペースなどの単語が似合う、異彩を放つアーティストとして注目を集めた。要は、無理していない。それでいてかっこいい。

「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」の原作マンガの中でも、主人公が民生に憧れるきっかけとなったのは、華やかなアーティストが並ぶ音楽番組で、ひとりだけ平気で服にラーメンの汁をつけて登場した奥田民生の、“なんでもいいような在り方にしびれたから”という描写がある。

 自由でかっこいいオジサン枠で言えば、リリー・フランキーや所ジョージ、高田純次、斉藤和義などもそれにあたるだろう。いずれも、特定の型にはめられるような人物ではないが、敢えて言えば“肩の力を抜いて、ゆるく好きなことをやって生きている”ように見える人物だ。

 しかし、こういった男性が老若男女問わず高評価を得ているにもかかわらず、現実社会ではこうした“かっこいいオジサン”に遭遇することが、ほとんどないのはなぜなのか?

現代の「評価型社会」は
自信のない人たちを生み出した

「脱力的な生き方は、現代社会ではむずかしい」と断言するのは、『創造的脱力』の著者で慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任准教授の若新雄純氏だ。そこには現代特有の“評価にこだわる生き方”が関係しているという。

「現代の日本人は『評価重視の社会』を生きているため、自分の評価や社会的価値が定まっていない状態は堪えられません。例えば『食べログ』で、星もレビューもついていない評価なしのお店と、星2.9のお店があったら、2.9が高くない数字だとしても、後者を選ぶほうが安心感がありませんか?もしかしたら、前者は評価がついてないだけで、すごく美味しい可能性もある、でもなんとなく、すでに誰かに評価されているほうが安心できる。僕たちは価値が明確化されている状態が好きなんですよ」

 ネットにより、あらゆるものに点数やレビュー、ランキングがつけられ可視化されるのが当たり前になった。評価の高いものを買っておけば安心だし、悪いレビューがついていれば敬遠する。

「誰かの評価が自分の行動を決めるのは、そのほうが損が少ない方法だから。でも脱力的なライフスタイルは、他者からの評価が見えない怖さがある」

 確かに、芸能界だからこそ奥田民生は輝いたが、一般社会だったら批判されることも少なからずあったかもしれない。多くの現代人は “評価するのは大好きだが、されるのは大嫌い”なので、無難な評価に落ち着くように画一的な生き方にならざるを得ないのではないか、と若新氏は語る。その根底には、多くの人が抱える自信のなさが背景にあるようだ。

他者の評価にこだわると
自己実現からは遠のくばかり

「奥田民生さんのように生きていける人は、根本に自分への揺るぎない自信があるはずです。脱力系の人はスタイルや表現を自由に扱い、変化させ、時にはこだわりを棄てるなど、『他人からのわかりやすさ』にとらわれません」

「一方、多くの人は『自分のそれまで』を変える前段階で不安になってしまうし、本質的な自信がない人ほど客観的評価に頼るようになる。SNSへの投稿なんてその典型ですよね。お洒落をよくわかっていない人は、『コレがお洒落だ!』という雑誌通りの服を着ていれば安心だし、自分に自信がない人は、とりあえず“インスタ映え”する写真を投稿しておけば、一定の評価が得られる。そこに自分の意思やこだわりはそんなにないのだろうと思います」

 若新氏の解釈によれば、心理学者マズローの提唱する自己実現は本来、「ありのままの状態」を体現して生きることだという。そしてそれは、社会的な評価に満足できた人がたどり着ける高い次元の欲求だそうだ。そう考えれば、“なんでもいいような在り方”を体現している奥田民生は、極めて「ありのまま」の自己実現ができている状態であり、いいかげんなように見えて、すごくその人らしくもある。それが私たちには魅力的に映るのかもしれない。

 一方で、最近話題の“インスタ映え”は、求めれば求めるほどに「ありのまま」の自分からかけ離れ、自己実現から遠のいてしまうようだ。

「キラキラした生活を演出するインスタ映えや、いいね!の数にこだわる表現は、本来の自分を受け入れていない行動です。その方法で承認欲求を満たそうとすればするほど、結局、いつまでたっても自分を好きになれないんですよ」

世の中の基準に惑わされない
「自分の基準」づくりが重要

 誰かからもらえる「いいね!」でしか自分を評価できない大人が、実際に奥田民生のように飄々と生きるにはどうすればいいのだろうか?

「自分なりの基準をつくっていくことですね。奥田民生さん的な脱力人生のすごいところは、周りの人がどう思うかではなく、服装、髪型、発言、生き方、すべてにおいて、自分でいいと思うものを素直に表現している。『いま世の中はこれがいいと思っている』に惑わされない。それがかっこいいオジサンになるために必要なことではないでしょうか」

 いずれにせよ、自分に並大抵の自信がなければ、奥田民生的な“力まないカッコイイ大人”を目指すことは至難の業といえそうだ。

 もっとも、奥田民生本人は直近のトーク番組で「マイペース、脱力系って言われるけど、全然違う。実際は大変なんですよ」と語っている。“奥田民生のような生き方”というロールモデルはただの幻想でしかなく、私たちが思っている以上に実現が難しいのかもしれない。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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