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Wikipedia仮想通貨が仮にできたらどうなるか

「ICO」の正体 その5

連載
アスキーエキスパート

国内の”知の最前線”から、変革の先の起こり得る未来を伝えるアスキーエキスパート。数多くの事業提携M&Aと資金調達を手がける森・濱田松本法律事務所の増島雅和氏によるICO(Initial Coin Offering)が持つイノベーションの可能性についてお届けします。

仮想通貨の本源的な価値とは果たして何なのか

 仮想通貨におけるトークンは、プロダクトやネットワークに対するアクセスのための通貨であること、これによってトークンに価値が乗るということを前回の【その4 ICOは「投資」ではない】でご説明しました。言い換えれば、トークンの価値というのはそのプロダクトとこれが築き上げたネットワークの価値と紐付いているということになります。

 ネットワーク理論の専門家によると、ネットワークの価値というのは多義的なもので、自身もまだまだ勉強が必要なのですが、その価値はネットワークの目的によって異なってくるそうです。その1つは情報の獲得に関わるもので、素早くかつ広範囲に情報を伝播させ、こうして伝播された情報を獲得することによる効率性の実現です。

 ネットワークが実現するこのような価値を、ネットワーク以外の方法で誰かが単独で実現しようとすると、それにはおそらく膨大なコストがかかります。それを非中央集権的なネットワークに代替させることによって、同等のものを特定の者が仮に単独で行なった場合に比べて、より良いものになったり総体的なコストが下がったりすれば、それはそのネットワークが実現した価値ということになりそうです。

 考えてみれば、ビットコインが行なったことというのもおそらくはそういうことです。ビットコインというのは、ペイメント(送金)という機能を中央管理者や媒介者を置くことなくグローバルに行なうことができるアプリケーションということができます。

 このようなペイメント(送金)をグローバルに行なうという機能は、これまでは堅牢な銀行と銀行間のネットワークによって中央集権的に処理していました。そこにビットコインが登場し、ネットワークを用いて非中央集権的に処理できるようにしたことによって、銀行という産業全体がペイメント(送金)という機能に対して費やしていたさまざまなコスト(中央集権的なコンピュータシステムの開発や維持・更新などのほか、人的なオペレーションの整備、それらのガバナンスのための仕組みなど)を、マイナーに分権的に担わせることによって、ハードウェアなどのコンピュータリソースと電気代から主として構成されるコストに置き換えるということを実現しました。

 ただしビットコインブロックチェーンそのもののガバナンスのためのコストがこれまで十分に織り込まれていなかった可能性があり、こうしたものも織り込んでいく必要はあるものの、この両者の比較に着目することで、ビットコインネットワークが実現しようとする価値というのが理解できるのではないかと思います。

 分散型台帳技術を用いたプロダクトが、プライベートなものを含め、こうした形で中間者を排除した仕組みを機能させることによって、何らかのコスト削減を実現する点に価値を訴求していることも、こうした分析におそらく関係するはずです。

仮想通貨の価値について考える仮設例

 仮想通貨の価値について考えるための仮設例を1つだけ考えてみましょう。

 百科事典があったとします。これはある出版社が各方面の専門家に依頼して世の中の森羅万象について記事を書いてもらって、それを編纂して印刷し、販路に乗せてマーケティングを展開し、読者はこれにアクセスするために百科事典の購入代金を支払います。出版社は、百科事典が読者の手に届くまでのさまざまなコストを負担するかわりに、販売代金による収益をすべて自らのものにするというビジネスモデルです。

 人々に正しい知識を提供するという社会的に意義のある活動ですが、これをビジネスとして成り立たせるために、一連の活動を全て取り仕切ることでコスト負担のリスクを取るかわりに、そのプロダクトが予想以上に人気を得られた場合には、アップサイドを丸取りするというビジネスモデルと考えてください。

 このビジネスを、仮想通貨トークンを用いて分散化することを考えます。人々に正しい知識を提供することを趣旨に掲げて少数の人々があつまります。彼らは世の中広くにいるさまざまな専門家に森羅万象について解説する記事の提供を求め、その対価として仮想通貨トークンを渡すことにします。記事はほかの人々の査読を得て正しいものであることを検証した上で内容を確定しますが、この査読者にも仮想通貨トークンで報酬を支払います。記事のアップデートを提供してくれた人にも少額の仮想通貨トークンを支払うことになるでしょう。

 こうしてできあがった記事はインターネットに掲載されます。インターネットでは、こうして出来上がった記事にアクセスしたい人、引用したい人、リンクを張りたい人は、それぞれのアクションごとに少額の仮想通貨トークンを払うことにします。これによって、記事アクセスしたい人は、取引所で仮想通貨トークンを入手しておき、記事にアクセスするごとに仮想通貨トークンによる自動支払いを行なうとともに、その引用やリンクを貼ることで自らの記事の正統性を担保したいと考える場合、それぞれごとにその対価を仮想通貨トークンとして自動支払いできるという世界を創ることができるでしょう。

 記事を読むのにまでトークン支払いを要求すると十分なネットワークが構築できないということであれば、記事へのアクセス自体は無償で、これに対するリンクや引用に対して仮想通貨トークンによる自動課金ができるということにしてもよいかもしれません。

 Wikipediaは、我々がインターネットを通じて多くの正しい知識を獲得することに役立っていますが、その運営のためのサーバコストの負担などによって、持続性に対する危機と常に隣り合わせの存在です。彼らは現在、こうした負担を寄付に頼っていますが、もし彼らがトークンエコノミーのモデルを取り入れて、ICOによるトークンの売上をこうした運営コストに充てることを考えたら何が起こるでしょうか。

 この場合のWikipediaトークンが、仮想通貨取引所において取引可能になったとき、Wikipediaネットワークにまつわる価値がWikipedia仮想通貨の時価総額として顕在化することになります。果たしてその価額はいったいどれほどのものになるでしょうか。

 上記は単なる思いつきで全然練られたプランではありませんが、人々がICOによって課題を解決することができるかもしれないと期待しているものには、このようなトークンエコノミーを分散型で構築するものが含まれます。

 こうしたネットワークを構築するために必要となるプロダクトの開発やマーケティングのための費用を調達する手段が、ICOが担うべきと考えられているものです。ICOありきではなく、プロダクトやビジネスモデルがあって、これを実現するためにネットワークに参加するコミュニティーメンバー=賛同者を募るのがICOという活動です。モデル全体を見なければ、ICOの正体は見えてきません。

株式時価総額と仮想通貨時価総額との関係

 仮想通貨についてよくわかっていないことの1つに、仮想通貨の時価総額というのが何を表示したものなのかという問題があります。

 株式についてはその配当という仕組みと残余財産の分配という仕組みを通じて、発行会社の収益力、もっと言えば「どれだけ儲けられるか」が価値の本源であるということがわかります。これに対して、仮想通貨は利益が配分されるものではないので、発行会社が「どれだけ儲けられるか」ということとは異なる別のものによって価格が付き、それが維持されるということになりそうです。

 法定通貨になぞらえることが許されるのであれば、それは一言で言えば「信認」ということなのでしょうし、通貨の強さということでいえば、それは担税力のアナロジーでどれだけそのトークンにより主催者に対する支払いが行なわれるかということなのかもしれません。

 いずれにしても、そこで付された時価総額というのは、その仮想通貨が持つエコシステムの強さを表現する指標ということになるのではないかと思われます。

 ここで大切なのではないかと思うのは、仮想通貨の時価総額がどのように決定されるのであれ、それが株式の時価総額とは異なる基準やロジックによって決まりうるということです。

 たとえば先ほどのWikipediaのファウンデーションが仮想通貨の発行主体となることを考えてみてください。Wikipediaは非営利のネットワークなので、そもそも時価総額というものが観念されない主体として存在していました。しかし、時価総額がないというのは無価値ということではまったくなく、そこには確固とした価値があるわけです。けれども株式というものがないことによって、そうした価値が数字により見える化されず、それによって経済社会においては認知されない存在になっているように思います。

 こうした非営利のネットワークが仮想通貨を発行し、市場を通じてそのネットワークの価値を明らかにし、人々が仮想通貨の売買を通じてその価値を取引することができるようになるとすると、経済の見え方が変わってくるのではないでしょうか。同様のビジネスを株式会社の形態で行なう場合と、非中央集権的なネットワークの形態で行なう場合とで、株式の時価総額と仮想通貨の時価総額が存在するという状態が実現することによって、金銭価値のほかの価値との一層の相対化が進むのではないかと思います。

 現在は、金利の低下などのさまざまな背景のもとで、金銭がコモディティー化してきているという指摘があります。これはより大きくは資本主義がモデルチェンジのタイミングに来ているということが背景にあるかもしれませんし、データや信用といった非金銭的なアセットの価値が資本よりも価値あるものと見られつつあることと関係しているかもしれません。

 仮想通貨の価値については、今後のさらなる研究と議論に待たなければならないことが多くありますが、ソーシャルキャピタルのような、これまでの資本主義の仕組みでは直接的には価値として顕在されにくかったものが、仮想通貨によって価値が見える化できるようになるということかもしれず、こうした新たな「価値のモノサシ」の出現は、意味不明な単なるバブルであるとして否定し去るのはまだ我々はこの現象を十分にできていないように思われるところです。

アスキーエキスパート筆者紹介─増島雅和(ますじままさかず)

著者近影 増島雅和

森・濱田松本法律事務所 パートナー弁護士。
シリコンバレーの法律事務所勤務を経て、金融庁監督局で金融行政に携わる傍らで日米合弁シンクタンクの研究員として日本の産業競争力向上に関する政策提言などを行う。現在は金融機関のM&Aアドバイスを主として手がける傍ら、スタートアップの事業成長支援、金融機関を含む大企業のオープン・イノベーション支援に携わる。
日本最大のFinTechインキュベーションオフィスFINOLABの運営パートナーFINOVATORS代表、日本クラウドファンディング協会理事等を務める。

※この記事はStartup Innovatorsにて9月21日に掲載された記事を編集したものです。

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