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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第430回

業界に痕跡を残して消えたメーカー CG業界を牽引したSGI

2017年10月23日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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 今回のお題はSGI(Silicon Graphics, Inc.)である。前々回にも少し名前が出てきた。その前にもCray Inc.絡みでも名前が出てきている。

UNIXベースのワークステーション「O2+」。2001年の日本で発売当時の価格は136万2000円~263万9000円

 ちなみに先にお断りしておくと、SGIという会社は現在も存続している。ただしこちらの正式名称は“Silicon Graphics International Corp.”であり、この名称になったのは2009年のことである。

 破産したSilicon Graphics, Inc.の資産をRackable Systemが買収するとともに、SGIの名称を生かすべく社名をSilicon Graphics International Corp.に変更したからだ。ちょうどSGIからCRAY部門を買収したTera Computer Co.がCray Inc.に改称したようなものだ

 今回の記事は2009年の旧SGIの破綻までを説明する。以降SGIと書く場合、旧社名であるSilicon Graphics, Inc.を指す。

ジオメトリー計算用チップを
売るために会社を設立

 SGIは1982年、James H. Clark博士によって設立された。Clark博士はこの直前までスタンフォード大のelectrical engineering学科の准教授の座にあり、ここで生徒を指導しながら3Dグラフィックスに関する研究を進めていた。

 特に1979年から6人の学生と取り組んでいた研究の成果は、1981年にGeometry Engineという名前のチップとして結実する。名前の通り、3Dレンダリングの際に必要となるジオメトリー計算を行なってくれるものだ。2000年代に入ると普通にPC向けのGPUには搭載されている機能だが、当時としては画期的なものであった。

 このGeometry Engineはあくまで研究目的であるが、Clark博士はこれを研究の分野だけに留めて置きたくなかったようで、商用製品化を進めるためにスタンフォード大を去り、SGIを設立した。

 1983年、SGIが最初に世の中に送り出したのがIRIS 1000である。もっとも当時SGIには、3Dグラフィックスに強い人間はいたが、Unixベースのワークステーションの開発に長けた人材はほとんどいなかったようで、ずいぶん開発には苦労したらしい。

最初のSGI製品となった「IRIS 1000」。これは本体のみ。10本のスロットを搭載し、寸法は25.4×53.6×68.6cm、重量は45.5Kgだった。他にターミナルが付属する

 創業メンバーの一人であるRocky Rhodes氏曰く、イーサネットのドライバーを1つ作るのにもかなり時間がかかったそうだ。また完成したものの、やはり不安定さは残り、ちょくちょくクラッシュしたらしい。ちなみにCPUには8MHzのMC68000が搭載されていた。

 この経験を元に、翌年にはIRIS 1400/1500をリリース。こちらは筐体の幅がほぼ倍になり、20本のスロットが用意された。CPUもMC68010に強化されている。SGIの定義によれば、このIRIS 1400が同社初のワークステーションとなった。

 翌1985年の8月には、同社が大きく飛躍するきっかけとなったIRIS 2400がリリースされた。このIRIS 2400、当時の説明ビデオがYouTubeに上がっているのでご覧いただくとわかるが、現在のレベルで言うとかなり見劣りするが、1985年という年を考えるとなかなか画期的であった。

 ビデオの冒頭にある飛行機の離陸シーン、筆者は「TANAKAのフライトシミュレータ」を思い出した(さすがにこれをご存知の方は、筆者と同じく50歳代であろう)が、あちらはワイヤーフレームにすることで描画処理を極限まで減らしていたのに対し、こちらはしっかりシェーディングまで行なっているので、かなりレベルが違う。

 このIRIS 2400(IRIS 2000シリーズ)は、筐体が共通(ただし20スロットの幅広の方)で、プロセッサーも当初は同じくMC68010の10MHzながら、Iris Graphicsボードが新たに追加されている。ここには当初は6MHz、後に8MHzに高速化されたGeometry Engineチップが搭載され、これにより高速な3Dグラフィックス処理が可能になった。

 ちなみにメモリーは拡張カード1枚あたり2MBないし4MBとされ、最大16MBまで増設可能だった。またIRIS 2000シリーズではGUIが提供され、Window Managerも用意された(先のビデオでも少し出てくる)。

 ラインナップとしてはIRIS 2000/2200/2300/2400とラックマウント用のIRIS 2500が提供され、同年秋にはCPUを16MHzのMC68020にアップグレードしたIRIS 2300T/2400T/2500T(TはTurboの意味)が用意される。

 IRIS 2000シリーズは、瞬く間にグラフィックス・ワークステーションの市場を獲得した。少し後になるが、1988年頃のグラフィックス・ワークステーションは、おおむね4万5000ドル~10万ドル程度の価格レンジの製品を指したが、この市場の半分をSGIはおさえたという。

 この成功は、製品の良さもあることながら、営業センスも大きく作用した。Clark博士は、自身がCEOとしてSGIを率いていくことそのものにはあまり興味がなく、あくまでも技術者でありたいと思ったようで、1984年にHPのエクゼクティブだったEdward McCracken氏を引き抜いてCEOに据え、自身はCTOとして開発側にまわっている。McCracken氏の下、SGIは急成長した。

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