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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情第428回

業界に痕跡を残して消えたメーカー ライバル同士の合併で崩壊したStardent Computers

2017年10月09日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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 今回の業界に痕跡を残して消えたメーカーはStardent Computers、あるいはKGC(Kubota Graphics Corporation)の話である。

 両社は別物で、最終的にはKGCが買収し、そのKGCも買収されたわけだが、1985年あたりから1998年あたりにかけての動向をまとめて説明しよう。

グラフィックス特化型スパコンメーカー
Ardent Computer

 プレイヤーは大きく3社ある。最初の1社が、Ardent Computerである。Ardent Computerは1985年、Allen Michels氏とMatthew Sanders III氏、Ben Wegbreit氏、Steve Blank氏の4人によってサニーベルで創業した。

 この4人、もともとは1979年にConvergent Technologiesというベンチャー企業を興したメンバーでもある。

 Convergent Technologiesはインテルの8086をベースにしたIWS(Integrated WorkStation)、さらにこれのローコスト版のAWS(Advanced WorkStation)というハードウェアと、この上で動くCTOS(Convergent Technologies Operation System)という独自OSが動くシステムを開発した。

 ついでMegaFrameという、複数の68010ベースのシステム上で、UNIX System-IIIベースのCTIXというOSを動作させたマシンを開発、さらにCPUを8086→80186→80386(IWS/AWSライン)や68010→68020/68040に強化(MegaFrameライン)する形で性能の拡充を図る。

 Convergent Technologiesは1986年、3COMに買収される方向で話が進んでいたが、土壇場で3COM側がキャンセル。その代わりUnisysが1988年に買収し、同社のネットワークシステム部門の傘下に置くことになった。

 3COM/Unisysの買収以前に、創業者兼CEOであったMichels氏はSanders氏やWegbreit氏、Blank氏ともに同社を離れており、まずはDana Computerという名前で会社を興す。

 会社の目的はPersonal Graphics Supercomputerを作ることだった。Convergent Technologiesではそれなりにハイパフォーマンスな製品を作ることには成功したものの、特にグラフィック性能はフレームバッファに毛が生えた程度のものしかなかった。

 そうした面も含めて高いグラフィックス性能を持つマシンを、それもワークステーションレベルに実装したい、というのが同社の狙いであった。

 ただDanaという名前は、すでに小さなハードディスクメーカーに先に使われており、それもあって名前をArdent Computerに改称する。ちなみに後からパートタイムのエンジニアリング担当副社長として、VAXの開発者としても有名なGordon Bell博士が同社に加わっている。

 そのArdentで開発が始まったのが、後にTitanと呼ばれるマシンである。メインプロセッサーはMIPSのR2000(後にR3000に変更)であるが、これはどちらかといえばシステムのコントロールプロセッサー的な役割である。

 中核になるのは独自のベクトルプロセッサーで、長さ64bitレジスターを8192個持ち、1word(64bit)×8192~256word(16Kbit)×256まで構成を変えて処理できるという、これはこれで珍しい構成だった。

 このベクトルプロセッサーはALU/Mul(乗算)/Div(除算)の3つの処理を同時に行なうもので、ピーク性能は16MFLOPSとなっていた。

 メモリーは試作品では当時最先端だった4Mbit DRAMを採用し、最大128MB搭載可能だった(ただし量産品は価格の問題か、入手性の問題かは不明だが、1Mbit DRAMになった)。

 当然ながらプロセッサーあるいはメモリボードはかなり巨大で「ちょっとしたコーヒーテーブル並」、重さはおおむね20ポンド(9Kg)ほどあったらしい。

 最終的に完成したTitanの寸法は50×22.5×27.5インチ(127×57.2×69.9cm)で、このシャーシに10枚のカードを装着可能だった。

グラフィックスに特化したスーパーコンピューターTitan。手前のカバーは向かって左に開くが、ボード類の着脱は本体裏面からになっていた
10本のスロットが格納できることがこのアングルからわかる

 最大構成では2枚のCPU(R3000)ボードと4枚のメモリーボード、ベクトルユニット、それと2枚のグラフィックユニット、さらにI/O(SCSIやネットワーク、RS232Cなど)ボードが入る形になった。

 OSはAT&TのUNIX Sysetem V.3およびBSD 4.3に準拠したものだったそうで、開発言語としてはFortran 77にDECのVAX Fortran準拠の拡張を加えたものとC言語が提供された。

 またグラフィックに関しては、PHIGS+とCGI(ウェブサービスの方ではなく、Computer Graphics Interfaceという1982年頃の標準規格)、さらにDora(Dynamic Object Rendering Environment)と呼ばれるArdent独自のソフトウェアパッケージも提供されたが、このDoraは仕様が一般公開されたのはKGCの時代である。

 さて、ArdentはこのTitanを5万ドルほどの価格で売り出そうとしたが、すぐに非現実的なことが判明した。要するに5万ドルで売っても赤字にしかならないという話で、最終的には最小構成で7万9000ドルまで値上げせざるを得なかった。

 おまけに1986年の時点で同社はベータテストを始めたものの、不具合や機能/性能不足が判明し、さらに開発コストをかける必要があった。

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