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こうして僕は作曲家になった、DTMと景山将太の出会い

2017年10月09日 09時00分更新

文● 編集● 貝塚/ASCII.jp

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『黒騎士と白の魔王』では、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の生演奏を録音した

ーー生で録っているんですか?

「そうなんです。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の生演奏を録音しているんですよ」

ーーそれはすごい! オーケストラ向けのアレンジになると、トラック数も大きくなりますよね。

チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の生演奏をレコーディングした

「生で録るっていうのは開発当初から決まっていたので、今回の場合は、生で録ることを前提に作曲していました。このプロジェクトでは、オーケストレーターの方を立てていて、オーケストレーション、譜面作成をしていただく中で、スピーディーに作業を進めていただけるように工夫をしていました」

ーーどのようなテーマで作曲されたのでしょう。

「依頼があったときに『ダークファンタジーなので、重厚なサウンドが欲しい』と言われたんです。ところが、僕は今までの作風が、すごくポップな印象の作家だったんですね。

 一番最初に『ダークで重い音楽でもいけますか?』って聴かれたんですよ。『待ってました!』と思ったんです。いままでの作品では見せられなかった、新しい自分の表現の引き出しが世の中のユーザーの皆さんに見せられたと思うし、すごくこの作品を気に入っていますよ」

ーー確かに、景山さんというと、ポケモンのイメージは強いかもしれません。

「いままでの僕の作品では、仲間との死別や、攻撃的で重苦しいテーマというのはあまりなかったかもしれませんね。作家としていままで描いたことのない新しい世界を表現できることは、とてもいい経験でした。

 僕はもともと、シナリオや絵に音をつける作業がすごく好きなんですね。この作品では、海外でのオーケストラレコーディングや、今までに描いたことのない新しい表現など、独立の目標にしていたことが叶ったなと思っています」

ーーひとつの作品に対して、たくさんの楽曲を制作されると思いますが、このゲームはどこから作りましたか?

「プロットと、コンセプトアート、世界観資料を見ながらイメージを広げつつ……でも、最初に書いたのは、やっぱりメインテーマだったかな」

 ゲームフリークを退社した景山氏が、SPICA MUSICAを立ち上げたのは、2014年1月のこと。いまではいくつものプロジェクトを抱えている景山氏だが、独立当初は活動していくスタイルについて、色々と悩むことも多かったという。

やっと独立してよかったと思えた

ーー独立されてSPICA MUSICAを設立してからは、お仕事のスタイルも変わったのではないでしょうか。

「ゲームフリークは、もちろん嫌で辞めたわけではなくて、すごく大好きな会社だったんです。周りの同僚・先輩や同期・後輩にもとても恵まれていたし、とても楽しい雰囲気でものづくりができていた。もしも、これが居心地の悪い会社だったら、きっと『あんなところにいるくらいなら』と思ったでしょうね。でも好きだったからこそ『辞めなければ、こんな大変な思いはしないで済んだのにな』って思ってしまうことも残念ながらありましたね」

制作に活用しているAKGのK712

ボーカルのレコーディングに使うというマイクもAKG。C414を愛用

ーーでも、作曲家としてやっていきたいという気持ちが優った。決め手はあったのでしょうか。

「30歳過ぎというのは、会社に勤めていると役職に就いたり、マネージメント的な仕事が増えてきたりして、作曲(現場の仕事)が思うようにできなくなってくるタイミングです。

 だから、フリーの作曲家で活躍している方は、そのくらいのタイミングで独立する人が多い。40代、50代まで、社内で作家だけを続けているという人は少数派で、やっぱりマネージメント側に回ることが多いんですよ。

 30代はこれからのキャリア形成をどうしていくか、人生の選択をするタイミングなんですよ。実は僕もすごく悩んでいたんです。経営やマネージメントの方も興味がなかったわけじゃなくて、むしろ、『自分にはこれも向いている』という感覚もあって。独立する前は、両方頑張ろうと思っていました。作曲家としても、経営側としても、100点満点を取ろうって。だから、最後のプロジェクトでは両方頑張って、時間がない中、必死で時間を捻出して曲を書くことになったんですけど(笑)。

 でも、ポケモンという看板だったり、会社という看板を外しても作曲家としてやっていけるかどうか、どうしても試してみたくなったんですよ。それは、僕の人生でまだ試せていないことだと思って」

ーー会社で重要なポストについていれば、なおさら勇気のある選択ですよね。

「周りには『恵まれた環境で、評価もされていて、なんで辞めるのかわからない』って言われました。それは確かにそうだし、ポジションを失う恐怖もあったんですけど、もっと歳をとったときに『作家一本でもいけたけどね』って言ってる自分は、なんか嫌だなと思ったんです(笑)。

 独立した後は不安定な時期も多かったですし、『辞めなきゃよかったな』って思うこともありましたけど、一昨年、去年あたりからプロジェクトも増えてきて、やっと、『独立して楽しいな』って思えるようになりましたね」

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