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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情第426回

業界に痕跡を残して消えたメーカー PCとHPCの中間でうまく立ち回ったPyramid Technology

2017年09月25日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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 前回のApollo Computer Inc.で思い出したのがPyramid Technologyである。あまり知名度は高くないかもしれないが、今回はここを取り上げたい。ちなみに現在も存在する、台湾のPyramids Technology Corp.とはなんの関係もない。

DECのシェアを奪うべく誕生した
スーパーミニコンピューター会社

 1981年にPyramid Technologyはカリフォルニアのマウンテンビューで創業した。創業者は旧HPの社員、ということになっているが、実際にはHal Nissleyという起業家が、スタンフォード大時代の友人(でHPに勤めていた社員)の頼みもあって同社を創業したというのが正確である。

 もっともNisseley氏は創業後、すぐにCEO兼チェアマンの座を退いており、その後にはRichard D. Dolinar氏が就いている。その他のメンバーとしてはRobert Ragan Kelly氏(技術担当副社長)、Al Gaynor氏(財務担当副社長)などがおり、さらに1985年には元HPのDave Crocket氏を新たなCEOとして迎えており、そういう意味では「旧HPの社員」という表現は間違っていないのかもしれない。

 同社が目指したのはスーパーミニコンピューターの市場である。ターゲットは言うまでもなくDECである。ただ同じスーパーミニコンといっても、ConvexAlliant Computer Systemsなどとはやや異なる。これらのメーカーは「ミニ」スーパーコンピューターを開発しており、一方DECやPyramid、その他多数のメーカーは「スーパー」ミニコンピューターを開発していた。

 要するに整数演算か、浮動小数点演算かという話である。市場のパイは明らかに整数演算の方が大きい(もっともその分競争も激しい)。

 スーパーミニコンピューター市場に向けてPyramid Computerは1983年、90xシリーズを発表する。CPUは独自の32bit RISC構成で、ボード3枚から構成されていたそうだ。内部はパイプライン化され、命令処理は2サイクル。動作周波数は当初3MHzで、将来的には10MHzまで上げられるとしていた(が、10MHzまで行く前にモデルチェンジしてしまった)。

 1MBないし2MBのメモリーボードを最大4枚まで装着可能で、UNIX System Vが動作し、最大構成では128ユーザーの同時利用が可能とアピールされていた。

 周辺回路用にはSSP(System Support Processor)と呼ばれるI/O用プロセッサーが搭載され、この先にマルチバスが出ていたらしい。SSPの先にはMC68000ベースの診断システムもつながっていたそうである。

 この90xシリーズ、最小構成で9万9000ドルからフル構成で30万ドルという価格であった。これが高いか安いかの判断基準が難しいのだが、例えば同じ1983年にDECのVAX-11/780は18万4000ドル、VAX-11/750が8万4900ドル、VAX-11/730が3万8900ドルというデータ(*)がある。

(*) 出典は“CPU Price Performance 1944-2003 - John McCallum

 VAX-11/750ではフル構成にしても128ユーザーは多分無理(VAX-11/780でもかなり厳しいだろう)ということを考えると、DECのVAXシリーズよりは多少お値ごろ感はあるかな? という感じだ(もっとも90xシリーズが本当に128ユーザーで使いものになったのか、に関しては不明だが)。

 ちなみに発表から半年後の、Computerworld 1983年9月12日号に同社は広告をだしている。

Computerworld誌に出した広告。本格的に売れ始めて、サポートの人員が足りなくなったということだろう

 90xシリーズに続き、1985年にPyramidは9815(1P)~9845(4P)のシステムを提供し始める。こちらは、プロセッサーは90xシリーズの改良型で、動作周波数は7MHzまで引き上げられたが、それよりも最大4PのSMP(対称型マルチプロセッサー)構成を取れるようになったことが大きい。

 この3年後の1998年、同社は9815TA~9845TAという改良型を投入する。TAシリーズでは最大7MIPS(9815TA)の性能が出せるとしており、4Pの9845TAでは25MIPSになる、というのが同社の説明である。具体的になにを改良したのかははっきりしないが、Virtual Cache Subsystemをインターリーブ構成にしたことだけはわかっている。

 この結果、アプリケーションは従来の98x5シリーズに比べて35~75%高速になり、通信関係は60%~100%高速化したとされている。価格は、エントリー向けの9815TAで12万8000ドルから、ハイエンドの9845TAは42万5000ドルからとされ、この発表に合わせて従来の9815(9815TAの投入に合わせて9810に改称された)は11万ドルに値下げされた。

 28%値下げして11万ドルなので、その前は15万3000ドルほどで販売していた計算になるわけで、900シリーズと比べるとずいぶん価格が上がった気もするが、インフレもあったし致し方ないところだろうか。

 この頃になるとソフトウェア環境も充実しており、Sybase/Infomix/その他のデータベースやCAD/CAEシステム、生産管理システムなど多数のアプリケーションの移植が進んでおり、それなりに売上も立っていた模様だ。

 1985年度のPyramidの売上は3500万ドルで、その前年に比べて3倍の売上だったそうなので、これは急成長といっていい。その後は多少成長率は鈍化したものの、1988年度における売上は7980万ドルで、平均年率30~35%の成長率を維持しているため、1985年度が爆発的すぎただけ、という見方もできる。

 もっともこの時期、例えばSun Microsystemsは年率100%の売上の伸びを記録しているので、これに比べるとぱっとしない、という見方もできる。

 この成長期を指揮したのが、DataquestのCEOの職をを辞して1985年にCEOになったE. David Crockett博士である。Cockett博士はIBM→HP→Dataquest→Pyramidといった、おもしろい職歴を誇る人物であるが、在任中に新規株式公開も実現しており、やるべきことを全部やったという感じで1987年に辞任、その後はベンチャーキャピタルに転じる。

 後任はVerticom IncのCEOだったRichard H. Lussier氏が就くが、彼は1989年にAT&Tの協業を勝ち取ることに成功する。当時AT&Tは独自の3Bシリーズというミニコンを販売していたが、売れ行きはあまり芳しくなかった。1989年の協業により、AT&TがPyramidの従来の製品を販売するとともに、両社は共同で、業界標準のプロセッサーを利用したシステムを新規開発することになる。

 これは売上こそ急成長しているものの、まだベンチャー企業から脱皮したとは言い切れない同社にとっては、開発費を自社だけでまかなう必要がないだけでも大いなる福音となる話だった。

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