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渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」 第44回

【前編】『この世界の片隅に』片渕須直監督インタビュー

片渕監督「この映画は、すずさんが案内人のテーマパーク」

2017年05月27日 18時00分更新

文● 渡辺由美子 編集●村山剛史/ASCII編集部

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この映画は、お客さんに体験してもらう「テーマパーク」

白土 調査は何人ぐらいのチームで行われたんですか。

片渕 3人ぐらいですね。画面構成を担当する監督補の浦谷さんと、細部については資料考証協力の前野さんと、それくらい。

―― えっ、たったそれだけで! ここまでお話を伺って調査の重要性は大変理解できたのですが、それにしても気の遠くなるような作業です。そして、商業作品ですから、時間やお金というコストの制約がありますよね。いくらでも高められるクオリティーに対して、「ここまででOK!」と決断することが仕事の監督業と、どこまでも深みに入って調査を続けていくのが仕事の設定考証業を同時にこなすということは、時間管理とクリエイティブがぶつかり合うわけですが、それはどのように折り合いをつけたのですか?

片渕 幸か不幸か、この映画は、クラウドファンディングの時期まで資金調達に難航したので、時間だけはたくさんあったんです。

―― なるほど(一同笑)

白土 でも、やり出すと、際限がないだろうという作品だと思います。僕にとっては理想郷のようでもあり、地獄のようでもあり。

 そこで、これほど考証に精力を捧げたような映画は、おそらく片渕監督が再度つくらない限りは当分出てこない気がするんですが、「アニメにとって考証がどういう効果を生むのか?」ということが、まだ僕には正直わからないところがあるんです。監督はアニメにおける設定というものをどのようにお考えでしょうか。

片渕 これは1つの手法であって、『この世界の片隅に』の場合は、その手法が生きる題材だった、ということだろうなとは思うんですよね。僕も別の題材だったらこういう調べ方はしないでしょうし、違う魅力を持った映画はもちろんあるはずです。

 こうの史代さんの原作が、たくさん調べるという手法とピンポイントに合致していたということじゃないかなと思います。いつの場合もそうであるとは限らないです。

ただ、世の中のことをいろいろ知っていたほうが、ものを語るときには有利になるのは間違いないなと思います。“世の中のことをどういうふうに知るか?”という1つの方法として、今作では昔のことをちゃんと理解するべきだと思って、たくさん調べるという手法を使ったということですね。

白土 ありがとうございました。

片淵監督の背後に写っている壁一面の書籍群も作品用の資料

片渕 設定ということで言えば、映画の上映が始まってから気がついたことがあります。

 映画を観たお客さんには、この映画を“体験”として捉えていただいている気がするんですよ。当時の時代に自分が行って、半分実在しているように感じるすずさんと一緒に何かを体験してきた、そんな気持ちを味わっていただいたのかなと思います。それは、僕らが作品中にふんだんにディテールを詰め込んでいて、その結果として、作品のなかに1つの体験するに値するだけの世界ができていたんじゃないかなと思うんです。

―― 設定を密にしたことで、お客さんが、すずさんと一緒に“体験”している気持ちになったのですね。SNSでも、年配のご婦人が上映中に、「ああ! その布、切ったらあかん」とすずさんに向かって声を出したというエピソードを聞きました。

片渕 すずさんが本当にいる人のように感じられるのだなと思います。

 何かテーマパークみたいなもんだと思っているんです、この映画って。

 僕たち作り手は、その時代を描いているテーマパークの入り口はこちらですって言うだけ言って、映画の中でお客様を解き放つ、みたいな。案内人はすずさん。

 映画の間は、ジュラシック・パークみたいなもので、どっち向いてもいいんです。それができるぐらい、どこから見てもディテールが描かれていることが、オープンワールドの空間を保証したんです。

 僕らが設定考証でやっているのは、すずさんがしている体験を、お客さんに“本当のこと”として体験してもらえるような世界を用意することだったのだと思います。

〈後編に続く〉

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