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kintoneな人 第2回

クラウドだからこそ実現できる「ハイスピードSI」の価値とは?

普通の受託開発会社をクラウドダイブさせる金春氏にとってのkintone

2017年03月28日 07時00分更新

文● 大谷イビサ/TECH.ASCII.jp 写真●曽根田元

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kintoneとAWSのインテグレーションを積極的に手がける大阪のアールスリーインスティテュート。長らく普通の受託開発の会社だったにも関わらず、AWSとコミュニティ、そしてkintoneに出会ったことで突然変異を遂げている。アールスリーの金春利幸さんにkintoneにたどり着くまでの長い道のり、クラウドとコミュニティにかける想いを聞いた。(インタビュアーTECH.ASCII.jp 大谷イビサ)

大手SIerへの失念から受託開発会社の起業、そして淡々と12年

 金春氏への対面でのインタビューは実は2回目で、初対面だった3年前にはJAWS-UGの人としてお話を聞いた。しかし、その後は金春氏も会社も大きく様変わりし、kintoneへの全力コミットを開始するようになるのだが、そこまでの経緯を再度おさらいしておこうと思う。3年の月日が経ち、金春氏ともユーザーコミュニティで親睦を深めてきたことで、より深く話を聞くことも可能になったことだし。

 アールスリーを立ち上げた金春氏のビジネスキャリアは、大手SIerからスタートする。当時はJ2EEが出始めた頃で、オブジェクト指向設計もまだあまり進んでなかった時代。新人としてR&Dの部門に配属されたものの、大手SIerの仕事現場を目の当たりにした金春氏は、その会社にたった1年で見切りを付けて、学生時代の知人とともにアールスリーを創業する。

「残業しまくってる同僚の方が給料が高かったり、1日中フリーセルやってる部長が普通に社内にいるんです。新しいモノを作るプロジェクトも、結局コード書いているのは下請けのプログラマー。こんな環境でいいものが作れるわけがないと思いました。少人数でも技術をわかっている人で作ったほうが、大手よりも高品質なものを安価に提供できるのではという仮説が自分の中にあったんです」(金春氏)

 こうして生まれたアールスリーでは顧客の問題解決を中心に据え、金春氏は今でいうフルスタックエンジニアの道をひた走る。なにせ当初は3人しかいなかったため、1人で上流設計もやり、インフラを構築し、コードを書いて、自らテストし、営業までやってきた。こうしてスキルと実績を重ねつつ、受託開発を続け、気がつけば創業から12年の月日が経っていた。ひたすら目の前の仕事をこなし続けてきた結果、止まってはいないが、進んでいたわけでもないという毎日を金春氏は振り返る。

「赤字になったこともなく、かといって売り上げが倍になったこともない。リーマンショックの影響もそれほど受けず、とにかく淡々と受託開発をやってきました。でも、あまりにも淡々と12年もやってきたので、正直飽きてきたんです(笑)。一方で、こうした受託開発って今後徐々に減ってくんだろうなという感覚はずっとありました。プログラムを書かなくても、ある程度のものができてしまう世界が来るだろうと」(金春氏)

普通の受託開発会社を変えた2つのクラウドとの出会い

 そんな漠然とした思いを抱えていた2012年、金春氏がまず出会ったのが勢いを増していたAmazon Web Services(AWS)だ。当時は開発用に使うサーバーの台数が増えて困っていた頃。顧客と直接契約していたアールスリーの場合は、保守まで担当していたので、サーバーがどんどん増えていたという。こうした中、仮想サーバーをWebブラウザ上から簡単に立ち上げられるAWSのインパクトは大きかった。

 その後、アールスリーは大阪でまだまだ少なかったAWSパートナーとなり、金春氏自体もAWSのユーザーグループであるJAWS-UGの運営にも深く携わるようになった。オオタニが最初に金春さんに取材したときも、ちょうどこの頃。2015年度にはJAWS-UGの代表になり、JAWS DAYSのような大型イベントにも関わってきた。しかし、いくらクラウドに移行しても、開発会社としての悩みは解消できなかったという。

「AWSでインフラ調達はすごく速くなったし、社内でサーバーを管理する必要もなくなりました。でも、インフラがいくら早く用意できても、上物を作るスピードは速くならないんです。提案にAWSを入れても、それが強みにはならないという課題感はずっとありました」(金春氏)。

 そんな課題を解決できる選択肢として遡上に上がったのが、サイボウズのkintoneだった。2011年に登場した当時は正直歯牙にもかけない存在だったが、2年が経ち、kintoneが使えそうな案件が来たときに情報収集してみると、開発工数の短縮化に貢献できそうなことがわかったという。

「これは(サイボウズの)伊佐さんにも言ってますが、登場した当初のkintoneを見たときは、正直ダメだと思いました(笑)。そこでいったんkintoneのことは忘れたんです。でも、2014年に再度見た時は、REST APIがあった。これならkintoneをプラットフォームにして作り込めるのではないかと考えたんです。しかも僕たちはフルスクラッチで作る能力があるので、いざとなったら作ればいい。できることはkintoneでやり、できなかったらAWS上で作り込む。これならかなりの範囲をカバーできるのではないかと思いました」(金春氏)

 こうして2014年からkintoneに関わることになった金春氏。これに対してサイボウズの歓迎は熱狂的だった。ほとんど触ってない段階にも関わらず、kintoneのエバンジェリストになってくれないかという依頼まで来た。これは当時から金春氏が積極的に関わってきたJAWS-UGのノウハウを、kintoneに持ち込んでほしかったからだという。

「正直、エバとか名乗っていいのかなとは思ってました(笑)。でも、僕自身もkintoneでけっこういけそうだなという感触は得ていたので、じゃあやってみるかと。そしていざ関わり始めたら、サイボウズさんって全力で支援してくれるんですよ。あの社風はすごいと思いました」(金春氏)

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