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人工知能はゲームで世界と身体を学ぶ

2017年02月24日 00時29分更新

文●三宅 陽一郎

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AIはまだ現実社会での応用が難しいが、ゲーム業界ではすでにさまざまな場面で使われている。AIはグーグルやフェイスブックの研究だけが突出しているのではなく、FINAL FANTASY XVのAIも進化しているのだ。

「人工知能(AI)」という言葉があふれかえるほど使われている。しかし、漠然とAIといっても、以下の4分類のように特徴を明らかにすると議論がすっきりとするだろう。

  • リアルタイムか非リアルタイムか(ほとんどのAIは非リアルタイム)
  • ニューラルネットか記号処理か(ほとんどのAIは記号処理)
  • 汎用型か問題特化型か(ほとんどのAIは問題特化型)
  • 身体があるか身体がないか(ほとんどのAIは身体がない)

ゲームの話に入る前に、この分類について簡単に解説しておこう。

まずAIはリアルタイムか非リアルタイムかで分類できる。ゲーム中のキャラクターは1/60秒ごとに意思決定しているし、ロボットもできるだけ速く反応するように設計される。株式売買用AIもリアルタイムといっていいだろう。一方で、将棋用のAIは判断に数秒かかっても構わないし、自動翻訳やパターン認識のAIもリアルタイム性は求められない。世の中のAIのほとんどは非リアルタイム型だ。

AIには、記号(シンボル)によって知識を記述し、記号間を論理や因果律、関係によって結ぶことで知能を構築する「記号主義」(知識処理ともいう)がある。一方で人間の脳のニューロンの化学電気回路を模したニューラルネットワーク等の「コネクショニズム」がある。検索エンジンやIBM Watsonは記号主義のAIであり、コネクショニズズムの代表は深層学習(Deep Learning)だ。世の中のAIのほとんどは記号主義で構築されている。

さらにAIは、将棋やリコメンド・システム(個人の嗜好を解析して推薦する仕組み)など、ある問題に特化しているか、あるいは知能全体を作ろうとしているかでも分類できる。ロボットやゲームのキャラクターのAIは知能全体を作る立場だが、世の中の人工知能のほとんどは問題特化型だ。サービスに特化しやすい。

AIは、身体のある知能か、身体のない知能かでも分類できる。生物は皆、お腹がすいたり、敵から身を守ったりと、身体とその生理によって環境に住み着いているから、知能が考える問題は身体から発生する。身体がない人工知能は、世界と関わっていないから、自分自身の問題がなく、人間から問題を与えられる(「フレーム」という)しかない。今、身体のあるAIは、ロボットやゲームのキャラクターくらいで、世の中のAIのほとんどには身体がない。

 ゲーム・キャラクターのAI

私が作っているデジタル・ゲームのAIは、リアルタイムで動作し、記号主義的な方法で作られ、汎用的で、ゲーム内に身体がある、というカテゴリーに属する。何より重視されるのは、キャラクターがゲーム世界でしっかり生きることだ。ゲーム内のキャラクターはポリゴン(小さな三角形)の集まりと、身体を運動させるボーン(骨格)でできている。デジタル・ゲームのAI開発者は、いわばポリゴンとボーン製の「張子」のキャラクターに、生物のような知能、大袈裟にいえば生命を与えたいと思う。

以下では、2016年11月に発売された「FINAL FANTASY XV」(スクウェア・エニックス)を例に解説する。

まず、ゲーム内のキャラクターは目と耳などの感覚が与えられ、周囲の環境と状況をリアルタイムに認識できるようにされる。また、突進して来る敵を認識したり、仲間の窮地を察知したりできるようにする。そして何より、キャラクターは自分がその世界で何ができるかを認識できるようにされる。認知科学で「アフォーダンス」と呼ばれる情報が世界に散りばめられており、剣を振ったり、崖を跳び越えたり、秘薬で魔法をかけたりできる、という行動可能性を認識する。その上で、感覚から得た情報により、自分の行動を決定するのが意志決定の役割だ。現在の最先端のデジタル・ゲームでは、意思決定は「ビヘイビア・ツリー」や「ステート・マシン(状態機械)」など、ノード間をつなぐグラフとして設計する。マウスで操作できるAI設計ツールがあり、ゲーム・デザイナーがキャラクターごとに作る。キャラクターの知能は、「感覚」「意思決定」「行動」によって構築される。

ゲーム・キャラクターの身体性

ゲーム・キャラクターには身体がある。身体のある知能は世界にきちんと参加できる。ゲームの場合の世界とは、ゲームの環境のことだ。身体と環境は、立っている、地面に倒れている、はしごを昇っている、崖をジャンプしている、というようにさまざまな関係がある。キャラクターの行動は常に環境との関係において表現される。環境でどう行動するかは自由だが、同時に実現可能な関係には制限がある。たとえば、モンスターが右腕で攻撃する場合、右腕がどこまで届くかをモンスターは知っている必要がある。そのためには一度、実際に右腕で攻撃し、どこまでが攻撃の当たる範囲なのかを、モンスター自身に認識させておく。

移動中に曲がる行動を考えてみよう。もし、キャラクターがただの点であれば、いつでもどこでも曲がれる。しかし、モンスターには身体があり、あらかじめ定義された旋回半径がある。早く走っていれば旋回半径は大きくなり、遅くければ小回りが利く。そこで、いろいろな速度でキャラクターを走らせて、どれぐらいの旋回半径で曲がれるのかをキャラクター自身に認識させる。この知識があれば、曲がれないと思えば速度を落とせるし、余裕があるなら速度を上げて曲がるようになる。つまり、キャラクターに身体がある以上、自分の身体運動の能力を知っておく必要があるのだ。

映画監督のような「メタAI」

ゲームには、それぞれのキャラクターのAI以外にも、さらにふたつAIがある。ひとつは「ナビゲーションAI」で、ゲームの環境内で、現在地から目的地まで最短の経路を算出するのが役割だ。大雑把にいうと、カーナビと同じような機能のAIだ。もうひとつの「メタAI」は身体のないAIで、ユーザーの周りで起こる状況を俯瞰的に把握し、ゲーム全体をコントロールするのが役割だ。

デジタル・ゲームの世界は、ふたつの見方がある。現代のデジタル・ゲームの世界は物理法則や現実と見間違うほどの描画表現がされており「現実世界を完全にシミュレートしたもの」とも見える。逆に「ゲーム内の世界は映画のセットのようなもので、プレイヤーを楽しませるために作られている」とも見なすことができる。ゲーム世界を映画セットとして見れば、キャラクターは役者であり、メタAIは映画監督に相当する。

ただし、プレイヤー自身に没入してもらい、映画だと感じさせない点は異なる。プレイヤーがピンチになれば、メタAIが周囲にいる味方キャラクターから適切なひとりを選んで助けに行かせる。また、たとえば雨が降ってきたら、雨が降ってきた場合の会話をするように指示を出し、キャラクターはあらかじめ準備された台本通りに芝居するなど、状況に応じた会話でプレイヤーをゲームに引き込む。戦闘中でも、余裕があれば余裕のある会話を始める。ゲームのAIは、キャラクターAIとメタAIの協調によって成り立っているわけだ。こういったシステムを分散協調AIという。

デジタル・ゲームで見えるAIの未来

デジタル・ゲームである以上、デジタル・ゲームのAIは完全に現実で生きるAIではない。しかし、精緻に組み上げられた現実に近いバーチャル空間を用意し、その中でデジタル・ゲームはAIの研究を続け、進化させる。チェスや将棋、囲碁といった箱庭を通して急速に人工知能が発展したように、デジタル・ゲームを通してAIが進化しているのだ。さらに現実をシミュレーションしようとするデジタル・ゲームが内包する研究テーマは、やがてAIが現実で直面することになる問題と関わっている。キャラクターの知能やメタAIの分野では、他の追随を許さない高いレベルの知能が発展しており、やがてゲームのAIは箱庭から現実に出て活躍することになる。現実という無限に複雑な世界に出る前に、バーチャル世界の夢の中で、AIは予行演習を繰り返しているのだ。

Google は Google Inc. の商標または登録商標です。
Facebook は Facebook, Inc. の商標または登録商標です。
IBM, Watson は International Business Machines Corporation の商標または登録商標です。


転載元(MIT Technology Review)の記事へ

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