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「日活ロマンポルノ」は今なぜ復活したのか?

2017年02月17日 06時00分更新

文● ダイヤモンド・オンライン編集部(ダイヤモンド・オンライン

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単なる成人映画の枠を越え、日本のサブカルチャー史に名を残す作品として語り継がれている「日活ロマンポルノ」。その新作が28年ぶりに公開され、話題を呼んでいる。なぜいま、「新生ロマンポルノ」なのか。変化の波にさらされる映画業界で、“持たざる映画会社”である日活が生き残るための戦略を探った。(ダイヤモンド・オンライン編集部 松野友美)

新作1作目「ジムノペディに乱れる」(行定勲監督)にはロマンポルノを代表する女優:風祭ゆきさんがカメオ出演している(写真提供:日活)

 昨年12月の平日、19時。100年近くの歴史を持つ新宿の映画館・武蔵野館に、映画好きの記者は赴いた。ここでは、日活ロマンポルノの新作『ジムノペディに乱れる』が上映されている。登場人物たちの日常がはかなくも美しい情景描写と共に描かれるなか、10分に1回という高頻度で「濡れ場」が登場する。時には笑えるシーンもあり、どのタイミングで唾を飲んだらいいのか、「初心者」は迷ってしまう。観客の大半は息をひそめて83分の作品に見入っていた。

 後半、主人公の男が植物状態の妻の目の前で看護師と激しいセックスをしたところ、嫉妬深い性格の妻の意識がわずかに戻ったというギャグのようなシーンで、前方の席にいた50代と思しき男性だけが「かはっ!!」と堪え切れずに笑い声を漏らしていた。

 普段は1本1800円だが、この日は映画サービスデーのため1本1000円で観られるということもあり、130超のシートは満席だった。往年のファンと思しき50代、60代男性の1人客もいるが、意外に感じたのは、ロマンポルノとはイメージが結び付かない女性客や若者も多いこと。スーツを着た会社帰りの30代前半らしい女性が1人、20代半ばや40代と見られる女性の2人連れが何組か、そして1人で来たらしい大学生の男性がいた。

映画館に飾られたポスターには出演者のサインが並ぶ。上映前には監督や女優による飛び入りの舞台挨拶が行われるなど、ファンには堪らない仕掛けを感じた

 「土日祝日・サービスデーは一般映画と同じようなお客さんが多く、それ以外の平日は男性率が高いです。女性客は監督や出演者のファンの方という印象です」(武蔵野興業株式会社工業部主任・西島新氏)

 1970年代に大量に製作され、多くのファンを魅了した日活ロマンポルノは、日本のサブカルチャー史に名を残す存在だ。時代の移ろいの中、製作終了となったのは1988年のこと。それがここにきて、28年ぶりに新作が上映されている。今、なぜロマンポルノなのか。作品としての魅力と、製作会社である日活の戦略を分析してみよう。

 そもそもロマンポルノと言っても、「聞いたことはあるけれど見たことはない」「ポルノと聞くとやはり卑猥な感じがして……」という読者も多いことだろう。まずはその歴史を振り返っておこう。ロマンポルノは映画会社の日活が1971年に打ち出した、当時の映倫規定における成人映画のレーベルだ。劇場で公開されたフィクション作品で、現在の映倫審査では原則としてR18+指定(18歳未満の入場・鑑賞を禁止)となっている。

 その誕生から終焉までは、テレビやビデオなど新しいメディアとの戦いの歴史だった。1960年代のカラーテレビの拡大に伴い、それまで大衆娯楽の中心だった映画館は集客に苦戦。時を同じくして、ピンク映画が一般映画のシェアを食い始める。こうした状況下で多くの映画会社が苦戦を強いられるなか、日活も経営難に陥っていた。そこで一般映画路線を大胆に転換し、『団地妻 昼下りの情事』(西村昭五郎監督、71年)・『色暦大奥秘話』(林功監督、71年)を第一弾として「日活ロマンポルノ」の製作に踏み切る。これが大当たりしたのである。

 しかし、80年代以降、今度はAV(アダルトビデオ)市場の拡大に押されてロマンポルノは衰退。88年に一度製作は終了した。振り返ると17年間に約1100本が生み出されていた。

 時代の変化によって役目を終えたロマンポルノだったが、その後、作品をリアルタイムで観ていない若い観客の心を捉えていく。名画座を中心に過去作品の上映リクエストの声が出てきたことに注目した日活は、2012年に「生きつづけるロマンポルノ」と銘打った、過去作品の特集上映を行った。

新作2作目「風に濡れた女」(塩田明彦監督)は、スイス・ロカルノ映画祭で若手審査員賞の3等を受賞した(写真提供:日活)

 2016年には「ロマンポルノ・リブート・プロジェクト」がスタート。2021年が日活ロマンポルノ誕生50周年に当たるため、この節目を前にしての新規企画だ。28年ぶりに製作された新作5作では、『GO』『世界の中心で、愛をさけぶ』などで知られる行定勲監督をはじめ、塩田明彦監督、白石和彌監督、園子温監督、中田秀夫監督の5人がメガホンをとった。16年11月26日から東京・横浜の映画館を封切りに9大都市で上映が始まり、冒頭の『ジムノペディに乱れる』はその1作目。順次、リレーのように新作を公開している。

ピンクの乗っ取り、テレビの台頭
経営危機を乗り越えるための選択

 こうしてロマンポルノは復活したわけだが、技術が進歩し、メディアの主役が変わり、時代とともに競合他社の戦略も変化しているなか、「昔の名前」でどこまで勝負できるかは未知数だ。ニュースでロマンポルノの復活を知った記者も、正直、「お客が入るのか?」と疑問を持った。しかし冒頭のように、実際に映画館に足を運んでみると、シートは埋まり、客層も多岐に渡っている。興味を持って関係者に取材をしていくと、ロマンポルノには「単なるポルノ映画」では片付けられない強みがあり、それが息の長い集客につながっているようだ。

 強みは主に2つ、「作品性の高さ」と「時代への対応力」である。時には環境的な追い風にも助けられながら、苦境の中でその強みを活用してきた日活の姿が浮かび上がる。

 1つ目の「作品性の高さ」については、製作開始当初から現場にあった独特の風土が関係している。もともと日活は、1960年代まで、石原裕次郎、小林旭などのスターを起用した青春文芸やアクション映画を製作・配給してきた。そこで培われたスタッフのクリエイティビティ、技術力、撮影設備などがフル活用され、一般映画の醍醐味も味わえる質の高いドラマとエロスが混ざった映画が生まれたのだ。

 現場は、低予算で作品を量産しなければならないという、経営難の会社ならではの課題を抱えていた。既存の設備を使い、監督やスタッフなどの必要な人材を効率的に組織化してつくることが重視されたのである。

 そこで行われた最も重要な意思決定は、若手を監督に起用したことだ。日活には、社員でない若手の助監督がたくさんおり、さらにその下には、日活映画好きのフリーの助監督候補が山ほどいた。ベテランはギャラが高いが、若手なら会社としても安く使える。彼らに積極的に声をかけ、ロマンポルノを撮らせたのだ。

 もちろん、ロマンポルノ路線への転向には関係者からの反発もあった。しかし一方で、新たな活躍の場に喜びを感じ、一般映画の製作と変わらない熱意を作品に込めようとする者も多くいた。

 「『自分がつくりたいのはそういう路線じゃない』と言って辞められた方もいらっしゃいます。逆に、今までは先輩たちがいてなかなか助監督から上がれるチャンスがない中で、『よし、俺がやってやる!』という社員もいた」(日活 映像事業部門 企画編成部 サブリーダー 高木希世江氏)

 撮影現場は、若手にとって「学びの場」にもなった。ロマンポルノでは、ギャラが高い役者は使えない。演技経験が少なく下手な若手俳優(それが中心だった)に向かって、監督がこまめに演出する必要があった。また、映画好きで一流の技術を持つスタッフの知見も借りながら、予算がない中でいかに切り抜けるかというマネジメント力を培う機会もある。従来からエロスに挑戦していたSP(シスター・ピクチャー)と呼ばれる60分程度の映画を撮ってきた経験も、ロマンポルノに活きた。

 76年に日活に入社し、『犯され志願』(82年)などのロマンポルノ作品を監督し、現在は日本映画大学で教鞭を執る中原俊教授(65)は、「ロマンポルノは、映画を勉強するに格好の題材だった。とっさのときにどうするかとか、学ぶ機会は(ロマンポルノの現場以外で)そうなかったんです」と振り返る。

 そうして撮影されたロマンポルノは、第1作『団地妻 昼下がりの情事』からクオリティの高さが注目され、若手の助監督たちがこぞって参加、しのぎを削るようになった。田中登監督、曽根中生監督なども、ここで助監督から監督に上がるチャンスを手にしている。

 最高の才能が集まった現場での低予算のスモールスタートは、人を成長させる。臨機応変にやらざるを得ない環境が、監督含めスタッフの腕を磨き、気づけば作品の質を高めていたのである。

 この流れは、日活の経営合理化にも一役買った。ロマンポルノが軌道に乗ると、日活は目をかけた助監督たちを次々と監督にし、フリーの助監督を社員にし、ついには助監督の新規採用を始めた。これは、「あまり当たる作品をつくれなくなったベテランの監督や古手の助監督に出て行ってもらうための算段」(中原氏)でもあった。

 雇用の効率化、組織の新陳代謝が売れる作品の量産を後押しするという好循環が生まれ、ロマンポルノは70~80年代の日活の経営を支える超人気作品となったのだ。こうした経緯があったからこそ、製作終了後もファンからのリクエストが絶えず、今回の「復活」へとつながったのである。

 もう1つの強みは、「時代の変化への対応力」である。

新作5作目として公開を控える「ホワイトリリー」(中田秀夫監督)。女性同士の純愛を描いている(写真提供:日活)

 日活映像事業部門長の永山雅也氏は、「時代が変わってきた。幅広く過去の作品も観られる土壌があるという期待と、観客の幅も女性や若者に広がっているという実感もある」と自信を見せる。

 ロマンポルノはAVの台頭によって終焉を迎えたが、1100本に及ぶ過去の作品は日活の資産となり、一部の映画館におけるリバイバル上映やビデオソフト化など、二次的な収益をもたらした。そこに、2000年代に入ってからの鑑賞制限の緩和が奏功した。二次利用にあたって日活が映倫の再審査を受けたところ、作品によっては今の基準に照らすとR15+指定(15歳未満の入場・鑑賞を禁止)のものもあることが判明。ロマンポルノ上映当時の一般指定と成人指定(18歳未満の入場・鑑賞を禁止)の2種類のレイティングしかない時代から、基準が多様化していたため、観客のすそ野が広がったのだ。

 客層の多様化も追い風だ。そもそも今回のロマンポルノ復活のきっかけには、日活が2012年に過去作品の特集上映を行った際、関係者が「女性や20代・30代の若者の観客がついている」という感触を掴んだことがあった。

 80年代~90年代にかけて学生映画や自主製作映画が加速し、今では大御所監督の作品のみならず、フレッシュな感性が光る若手監督の作品にも観客の関心が向けられる土壌がある。とりわけ感受性の高い若者や女性は、ロマンポルノに「時代が一回りした新しい感性」を見出していると考えられる。

 こうした環境変化を見据え、今回の新作にあたって日活が考えた作戦は、「作品のつくり方の工夫」「若者・女性を取り込む工夫」だ。

 現在上映中の新作5作については、映倫再審査の教訓を踏まえ、一般映画のR15+やR18+と同じように観られるつくりにしている。そうすれば、集客のすそ野が広がるからだ。また、上映後も作品をより多くの用途で活用できるよう、放送用のR15+版と劇場用のR18+版を念頭に置いて構成を考え、監督によってはそれぞれシーンカットを撮り分けてもらっているという。

 新しいファンになりそうな若者や女性の目線も、企画段階から意識した。「だれが見ても面白いと思うもの」をつくるため、旧作では女優主体だった製作ポリシーを新作では監督主体にし、ストーリーを重視。プロジェクトも、客層に近い女性や若手のスタッフが中心となり、40代半ばの社員が最年長という構成で動いている。

「エロが主体に見えると女性のお客様は遠のいてしまう。チラシ1つをとっても、身体の露出が多い写真を使うと手に取りづらい人もいるので、デザインにはすごく気を遣いました」(日活 高木氏)

 時代の変化を作品に取り込む「対応力」も、生い立ちから工夫の連続を余儀なくされて来たロマンポルノの現場で培われた遺伝子と言えるだろう。新作の興業収入の目標は非公開とのことだが、日活では「同プロジェクトは新作のみならず、クラシック作品の認知拡大とリバイバル上映も含め、長い目で見た収益の底上げを見据えている」という。

「作品性の高さ」「時代への対応力」という2つの強みを武器に、これから日活はロマンポルノでどう戦っていくのか。関係者によると、旧作をライブラリで見る、新作を映画で見るという2つの機会をファンに提供できる両輪のビジネスモデルを確立すること、50~60代の往年のファンを大事にする一方、30~40代の新しいファンも積極的に取り込んでいくことだという。

 その際、重視するのは「商品は変えても、ブランドは変えない」ということだ。彼らが想像していたよりもロマンポルノのブランド力は大きく、それが自社を支える最大の資産であることに気づいたからである。新作の製作が決まったときにはロマンポルノに代わる新しい名称も検討されたが、結局「ロマンポルノ以上にインパクトがあり、知名度のある言葉はない」という結論となり、レーベル名も変えなかったそうだ。

 実は企業自身、自社に眠っている「価値」にあまり気づいていないことは多い。顧客、取引先、同業他社などのほうが気づいており、世の中に愛され続けるなかで、企業自身が改めて価値に気づかされるということもある。日活のパターンはまさしくそうではないかと感じた。

持たざる会社だからこそ
ゲリラ戦を続けていく

 それにしても、メディアを取り巻く環境変化に加え、経営母体も度々変わるなど、日活の経営は「チャレンジ」の連続だった。平成に入ってからも、ナムコ、インデックス・ホールディングスを経て、現在は筆頭株主が日本テレビ、第二位株主がスカパーJSATとなっている。70年代のロマンポルノへの参入もそうだったが、そのチャレンジ魂の根底には何があるのか。

裸体の女性のイラストを使用し、蛍光色のポップな印象を受けるロマンポルノ・リブート・プロジェクトのポスターと日活の永山氏(左)、高木氏

「日活の一社員としての感覚ですが……」と笑いながら、永山氏が話してくれた。

「うちの会社は『持たざる会社』なんですよね。調布の撮影所、そして衛星放送というプラットフォームはありますが、すでに大半の不動産資産は整理されてしまっているので、映像だけで食べて行けるように頑張っている会社です。他の会社と同じことをやっても、映像以外に安定した収入があるわけでもないので、映画という成熟産業の中でどうやって生き残るか、知恵を絞って考えるしかないのです」

 確かに、東宝の不動産、東映の戦隊ヒーロー特撮・アニメなどのテレビ作品、松竹の歌舞伎、角川の出版といった映画以外の強みが、日活にはない。

「だから、ある種ゲリラ戦を続けていくというか、大局では勝てないけれども局所で勝つという戦いを、社員がそれぞれの部署で繰り広げているというのが、今の日活ではないかと思っています」(永山氏)

 局所で勝ちに行き、他の会社ができないことをやる。世の「持たざる会社」が普遍的でオンリーワンの価値を生み出すためには、思い切った決断も必要だった。それでも「映画を作り続ける会社として生き残る」という意思が社員に根付いていたのだろう、外部環境、資本、作品が変わっても、それは今日に至るまで続いている。

「映画館の裏はいかがわしい場所だから、行っちゃだめよ。映画館からこっちよ」

 子どもの頃、母親にそんなことを言われた昭和生まれ世代は少なくないだろう。「商店街の前には『明るいもの』と『暗いもの』を分ける結界のように映画館がそびえ建ち、そのあたりが繁華街、裏が飲み屋街という造りの街が日本中にあった」(中原氏)という。繁華街には松竹、東映、東宝、日活、大映、さらに洋画など多くの映画館があった。そしてその外れにひっそりと、ピンク映画館が薄暗い光を放っていた。実はそこにこそ、今に続く日本のサブカルチャーの源流の1つがあったのだ。映画館は消えたが、形を変え、観客も変えて、その流れは生き延びている。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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