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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情第393回

業界に痕跡を残して消えたメーカー アマチュア向けモデムの生みの親Hayes

2017年02月06日 11時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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 前回は格安モデムの雄であったSupra Corporationについて解説したが、今週はそうした格安モデムを含む、近代モデムを作り上げたHayes Microcomputer Productsを取り上げたい。

Hayesの代表作「Smartmodem 300」

アマチュア向け低価格モデムの生みの親

 Hayes Microcomputer Productsを創業したのはDennis C. Hayes氏と、彼の同僚で友人でもあったDale Heatherington氏の2人である。Hayes氏は元々ジョージア工科大学に在籍中、AT&Tの長距離回線向けの仕事をCo-op Programで行なっていた。

 Co-op Programはインターンシップに似ているが、インターンシップは企業側が主体になる就業体験プログラムなのに対し、Co-op Programは教育機関側(この場合はジョージア工科大)が主体になって行なうという違いがある。

 それはともかく、電話回線の仕事は在学中に始めていたわけだ。次いでやはりCo-op Programで、FDS(Financial Data Sciences)という会社で4bitのマイクロプロセッサーを利用したシステムに関わることになる。

 卒業後、Hayes氏はNational Data Corporationに勤務し、ここでマイコンをベースにしたシステム同士をネットワークでつなぐ、というビジネスに携わる。ちなみにまだ1970年の中ごろの話だから、ここでいうネットワークはインターネットでもなければイーサネットでもない。要するにマシンとマシンを電話回線でつなぐ類のネットワークである。

 実のところ電話回線を利用して複数のマシンをつなぐアイディアは1940年代にすでに発明されていた。最初にこれを実現したのはGeorge Stibitz氏で、彼は1940年にニューハンプシャーにテレタイプを置き、ニューヨークに置かれたコンピューターとの間を電話回線でつないで利用できるというアイディアを実証している。

 折りしも米国ではソビエトとの冷戦が始まろうとしており、全米に分散した多数のレーダー基地からのデータを防空システムのセンターで一括処理するための仕組みが必要だった。この目的に電話回線が使えることをStibitz氏が示してくれたおかげで、モデムという製品が急にラインナップされることになった。

 もっとも初期のモデムはなかなかすごいものだった。まずAT&Tが1958年に発売した110bpsのモデムは、ベル研究所で改良されて150bpsまでスピードを引き上げられた。

AT&Tが1958年に発売した110bpsのモデム。2つのキャビネットで1つのモデムを構成していたらしい

 ついで1960年にはやはりAT&Tが300bpsのモデムを開発し、これは1962年にBell 103として一般に販売開始された。

Bell 103。一見カプラーに見えるが、そうではなくまず普通に受話器で通話もできたようだ。通信は、受話器奥のスイッチで切り替えたようだ

 ちなみにこのBell 103は、送信側が1070Hz/1270Hz、受信側が2025Hz/2225Hzという異なる周波数を使ってデータを送受信するFSK(Frequency Shift Keying:周波数偏移変調)方式の変調を利用して全二重(つまり双方が同時に送受信できる)を実現しており、この規格はその後ITU V.21として標準化された。

 現在も300bpsの通信をモデムを利用する場合、このBell 103互換が利用されることになる。このBell 103は言うまでもなく高価であり、一般のホビーユーザーが購入できるような代物ではなかった。その一方で、1970年代に入ってマイコンが普及するようになると、当然モデムを付けたいと思うマニアが出現することになる。

 解決策は安価なモデムを「誰かが」作ることだ。Hayes氏とHeatherington氏は1977年、アマチュア向けとなる80-103Aというモデムを完成させ、これに279.95ドルという価格を付けて売り出す。

当時の80-103Aパンフレット。完成品だけでなく、基板とマニュアルが49.95ドルで提供されるあたりがアマチュア向けだ

 これはあくまでもホビーレベルの製品であり、IMSAI 8080のS-100バスに装着して利用する構造だった。この80-103Aの製造も当初はホビーレベル(Hayes氏の自宅の台所で製造していたらしい)だった。

 こうしたホビー市場に目を付けたのは、Hayes氏自身がマイコンのホビーユーザーだったこともあるのだろうが、あっという間に注文が殺到する。そこで2人はNational Data Corporationを退職し、このモデムの販売製造をする会社としてDC Hayes Associatesを1978年1月に設立する。

 設立翌年の1979年には、同じくS-100バス用のMicroModem 100とApple II向けのMicromodem IIを発表し、これでさらに売上げを伸ばすことになった。翌1980年には社名をHayse Microcomputer Productsに改名している。

MicroModem 100。ロゴがDC HayesではなくHayese Microcomputer Productsになっているところを見ると、1980年以降に生産されたロットと思われる

 ちなみにこれらのモデムがいずれも拡張カードだったのには理由がある。旧来のBellのモデムや、コンシューマー向けにぼちぼち登場した電話カプラーの場合、使い方は下記のように結構な部分で人手が必要だった。

  • (1) 電話をかける
  • (2) 相手が出て、モデムの呼び出し音が聞こえる。場合によってはまず人が出て、そこで「モデムに切り替えてくれ」と頼むと回線が切り替わり、「ピ~ヒョロロ♪」(*)という音がするので、そこでこちら側のモデムに切り替えるか、もしくは受話器をカプラーにセットする。
  • モデムで接続が始まる

(*) この擬音への異論は認める。実際の音の例としては、1964年製のモデムを使ったデモがYoutubeに上がっている。この動画の5分12秒あたりで音が聞ける。他にも探せばいろいろあるので、聞いたことがない方は探してみてもらいたい。

 これを自動化するためには、例えば受話器をオンにする、電話をかけるもしくは着信を受ける、通話からモデムによる通信に切り替える、接続が終わったら通話に戻す、受話器をオフにする、といった処理をモデム側で行なう必要がある。

 こうした処理には、モデムカードをマイコンの中に組み込んでしまい、ソフトウェアで制御するのが一番簡単だったからだ。

 この処理を部分的ではあるが行なってくれたのが、NovationというメーカーのCATシリーズという電話カプラーベースの製品だったが、Hayesのものはこれをさらに推し進めた形だ。

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