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四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第156回

QUEENブライアン・メイのギターを日本人製作家が作るまで

2016年10月29日 12時00分更新

文● 四本淑三

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自分の作りたいギターができるまでやる

―― 自分のために?

伊集院 そうです。あのギターがほしかったんです。だから22のときにギターの専門学校に入りました、大学を辞めて、それまでバイトで貯めたお金でね。ちょうどボンダイブルーのiMacが出た頃です。インターネットが普及し始めた時期で、海外の人達とやり取りができるようになって。

―― ああ、懐かしい話ですね。まだ速くてもISDNだったり。

伊集院 そうしたら海外にレッド・スペシャルのコミュニティーがあって。僕もファンのひとりとして参加していたんですけど、1990年代にGuildが再発したシグネチャーモデル(BM01)のトレモロユニットがオリジナルに近くて、その仕組みがどうなってるんだろうとか、そういうやり取りをしていましたね。

―― やっぱりディープな話が共有できるネットの影響は大きかった?

伊集院 ネットがなければレッド・スペシャルは作れていないです。レッド・スペシャルを作ってくれたら買いたいとか、あれば自分もほしいとか、そういう人の欲求を知ったのもネットです。

―― お客さんもいたと。でも、なにゆえそこまでレッド・スペシャルなんですか?

伊集院 ブライアン・メイが自分で作ったギターだから、オリジナルは世界に1本しかない。そのギターを、ずっと使い続けている。いまは何10億と稼ぐ人が、ほとんどお金をかけずに作ったギターを、ずっと使っているんですよ。

 唯一無二なんです、すべての面で。設計から、構造から、なにひとつほかのギターと同じところはない。トレモロユニットも自分のデザインだし、ブリッジも自分のデザイン。

 その彼と同じギターがほしければ、それは自分で作るしかないんです。僕はものを作るのが好きだし、だったら自分でと思うのは、僕の中ではものすごく自然なことなんです。そのために、まずギターを作る技術を身に着けようと。

―― ただレッド・スペシャルを作るだけのために。

伊集院 そうです。まだ、当時は若かったですから。将来のことをそんなに考えてなかったですし、すごく短絡的な、いまほしいから作ろうという、まあ子供と一緒ですよね。

―― じゃあレッド・スペシャル以前にギターを作った経験は?

伊集院 ないですよ。

―― でも、専門学校に行かれたんですよね?

伊集院 いや、専門学校に2年行ったって、売り物のギターは作れるようにならないですよ。

―― 文学部に行っても小説家になれないのと同じですね。では、レッド・スペシャルを作れるようになるまでなにをしましたか。

伊集院 あきらめない。

―― なるほど!

「あきらめない」。あなたも座右の銘にしてください

伊集院 いや、ホントそれだけなんですよ。ギター作りは正解のない世界なので。あきらめずに自分の作りたいギターができるまでやる。それだけです。ちょっと手先が器用で、ちょっと楽器が好きで、ほかより良いものができたからって、ダメなんです。やっぱり強いビジョンがあって、夢があって、野望があって……。まあ、それくらいじゃないと。

―― なにかミュージシャンと一緒ですね。

伊集院 ほんとにそう、一緒です。あきらめない人が、最終的にミュージシャンになっているのと一緒。だから、あきらめなかったからギター製作家になっている。そういうことです。でも、僕はかなり特殊だと思います。ギターが好きなわけではなくて、レッド・スペシャルが好きなだけ。自分のレッド・スペシャルを作って、自分と自分の周りの人たちのために作れたら、それでいいと思っていました。

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