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スペシャルトーク@プログラミング+ ― 第5回

Google、Twitterをやめてスタートアップ!

MODE, Inc.上田ガク流シリコンバレーの歩き方

2016年10月17日 09時00分更新

文● 聞き手:遠藤諭(角川アスキー総研)、松林弘治

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 Yahoo!やGoogle、Twitterといった米国の有数企業で仕事をしていたエンジニアといえば、その仕事のようすを知りたくなる。しかも、Googleはまだ検索が中心、Twitterも海外展開をはじめた伸び盛りの時期。IoT関連のスタートアップとして注目されるMODE, Inc.のCo-Founder兼CEOの上田学(ガク)氏がその人だ。

 どのようにして、他人がうらやむようなキャリアを重ねることができたのか? 楽しく恵まれた環境だったGoogleやTwitterをやめて、なぜ自らスタートアップにチャレンジしたのか? 競争の激しいシリコンバレーにあって着実にビジネスを広げはじめることができるようになった秘訣は?

 総務省の異能vationプログラムスーパーバイザーとして帰国中の上田氏に会ってみると、実は、我々と同じプログラミングが大好きな同時代人だった。VC向けにダメ出しされていた頃のプレゼン資料と資金調達できた頃のプレゼン資料の比較も含めて、これからエンジニアやスタートアップを目指す人にぜひ読んでほしい話となった。

外資系コンサルに就職したんですが、毎月5人ずつ起業していきました

―― どのへんからコンピューターの世界に興味を持たれたんですか?

上田 小学3年生のときですね。ある日、父親が富士通の“FM-8”を買って帰って来たんです。当時、たぶん30万円くらいしたんですけど、それで、最初に自分で書いたプログラムは世界の国旗をBASICで書くというのをやりました。日本の旗やフランスの旗は丸とか塗りつぶしだけで簡単だけど、アメリカの旗はむずかしいじゃないですか。

―― たしかに。

上田 それを、方眼紙で描きながらというのから始めたんですが、中学校の時にまたNECの“PC-9801VM2”が、我が家にやってきたんですね。パソコン通信の“アスキーネット”で、毎晩毎晩チャットするようなヲタク不良学生でしたが(笑)、自分もフリーソフトを作りたくなった。それで、高校1年か2年の誕生日にマイクロソフトの“QuickC”を買ってもらってプログラミングをまた書くようになったんですね。

―― ああわかります(笑)。

上田 高校生のときは、いわゆるパソコン少年という感じだったんですけど、それじゃモテないだろうなぁってことで建築家になろうって思ったんですが推薦が取れなかった。それで、ちょうど情報学科ができた早稲田大学入りました。UNIXが使えるぞ! ということで、大学に行った最初の日に情報科学センターというところに行ってアカウントの申請をしたんですね。

―― 初日に行ったというのが凄いですね。

上田 で、いま考えるとUNIXが凄いじゃなくてインターネットが凄かった(笑)。端末室にはSunのワークステーションが30~40台くらいあって、全部のマシンにログインできるんですよ。だから面白そうなことをやっている人の画面を見て「おっ、これは凄いことやってるな」と思ったらそのマシンにログインするんですね。それで、プロセスとかを見てどうやっているのか盗み見できたんですよ。それで、そこにいる人達と仲良くなっていきました。

―― 学生たちなんですか?

上田 学生ですね。何も用事がなくても学校行ってる。空調がガンガン効いてて寒いんでいつも上着を持って行くっていうようなのが大学でしたね。それで、Webができたのがだいぶ後です。

―― 何年くらいですかね?

上田 91年から95年くらいが大学生の時代で、Web以前ですね。院生の1年生、マスターの1年になった時に研究室の友達が、「なんかモザイクって凄いやつがあんだよ!」って嬉しそうな顔で言ったんですよ。それが、ブラウザとの遭遇でした。すごく簡単なので、すぐさまWebサーバー立てて、当時、Web画面にカウンター作るのが流行ってたんでカウンターを作ってとかやっていましたね。研究室では、近所のモスバーガーに注文するためのサーバーとか立てていました。

―― それは何で書かれたんですか?

上田 Perlで書きました。

―― なるほど。

上田 研究は、本当は並列計算機だったんですけどWebがすごく楽しかったんで、並列計算機でWebクローラーを書くっていうすごく無理矢理なテーマを設定して検索エンジンを自分で作ったりしていました。

―― 早稲田といえば、千里眼とか?

上田 千里眼をやってたいのは、また別の研究室の田村さんですね。僕がやっていたのはそれより後です。そんなこんなで、卒業する頃にはインターネットがどんどん流行っていて、就職をしました。ただ、97年は、まだインターネットバブルの前なので、インターネットの仕事というとプロバイダーくらいしかなかった。

―― そっちには行かなかった?

上田 結局、外資系のコンサルティング会社に就職したんですね。ところが、そうこうしているうちにインターネットブームがやって来て、コンサルティング会社から人がどんどん辞めて起業するんです。毎月5人とか辞めていきました。

―― おー。

Googleの電話面接は大変だった

上田 みんないろんな会社を立ち上げていたので、「自分はこのままやっていていいのかな?」と思ったんですね。それで、99年にeGroupsに就職しました。オンラインでメーリングリストをやっている会社ですが、アメリカのサービスを持ってきて日本語化する仕事です。

―― そこで、アメリカということになる。

上田 行ったり来たりですね。そこで、みんなでわーっと開発をしていて、向こうのやり方に触れる機会になりました。採用のときも、アメリカから電話で面接で話が通じているのか通じていないのかも分からない。それで、とりあえずコードを送れって言われて1個一生懸命書いて送ったらそれで採用されました。

―― いいですね。

上田 向こうもスタートアップなんで国際化が全然できてないんですね。しかも、日本語は、メールがISO-2022-JP、WebはShift JISとか、アメリカ人には理解不能。

―― UNIXはEUCですし。

上田 そういうのを、アメリカ人が書いたシステムを何とか日本語化しないといけない、それで考えた挙句、自分でエンコーディングを作りました。

―― なるほど。

上田 たとえば、UTF-8って、文字ごとにどの文字種か分かるんですけど、もともとJISかShift-JISかってことはわからないんです。それで、文字列の塊ごとに頭にヘッダー情報をつけて、それを見るとここからこの先何文字かは元々何々コードだったっていうのが書いてあるというのを作りました。そのeGroupsは、2000年に米国Yahoo!に買収されるんですが。後で、Yahoo JAPANの方が日本に持ってくるときに凄い大変だったみたいなんです、というのはよく分からない謎のエンコーディングが使われているんで(笑)。

―― なるほどー。

上田 私は日本でやっていたんですが、買収したYahoo! USから、もう全部こっちでまとめるからアメリカに来てくださいと言われて、シリコンバレーにたどり着いたんです。2001年に引っ越しました。

―― シリコンバレー生活が始まったわけだ。

2001年頃、Yahooにいたころ。

上田 それから2年くらい向こうにいて開発をしていたわけですが、その頃から、Googleが少しずつ出てきたんですね。それで、ここは少し記憶が曖昧なんですけど、日本語が分かるエンジニアの募集が出ていたような気がするんですよ。その時に「あ、これ俺のことじゃん」って思ったんですよ。

―― いいですねぇ。結構自己中なんですか。俺のことって(笑)。

上田 いや、でも日本語わかるエンジニア募集って英語で書いてありましたからね。

―― 2000年代でも、日本語が分かるエンジニアって多くなかったんですか? 日本語の処理が分かるという意味ですけど。

上田 すごく少なかったと思います。ところが、応募したらですね。音沙汰なくてですね。Googleふざけるなって思ってたんですよ、他にいないだろうと(笑)。1カ月くらい放置されたあと連絡がきて「面接します」と。それで、衝撃だったのが電話で面接されたのが、女性の方で最初からすごい難しい技術的な質問してくるんですよ。なんか本当にマシンのローレベルの「こうやってる時スタックはどうなんだ」とか。凄い人がいるんだなと思いました。

―― 計算機アークテクチャの基礎の部分ですね。

上田 「なんだこの会社は、只者ではない」って思って。

―― 英語は、もともと堪能って感じだったんですか?

上田 いや、英語は。

―― やっぱ行ってから、できるようになった?

上田 そうですね。大学生の頃少し勉強はしてたんですけどね。

―― 難しい質問がどんどんくるわけだ。

上田 そうなんですよね。で、オンサイトの面接に行ったらですね、今度は中国系のエンジニアの方が出て来てこれまた難しい質問をしてくる。「超巨大な行列計算」をとか。

―― Googleの大好きな超巨大ですね。

上田 「ホワイトボードでやれ」って言われて、もう打ちのめされて落ちたと思ったんですけど、受かったんですね。

―― 何がよかったんですかね?

上田 ああ、これがですねぇ(笑)。実は、eGrpups時代の上司がGoogleにいたんですよ。僕が謎エンコーディングを開発したときに、すごく評価してくれた上司です。彼は、Yahoo!に買収されたあとに、自らスタートアップをやって1年ぐらいしてその会社がGoogleに買収されていたんです。で、向こうで面接するとき“リファレンス”というんですが、誰々に聞いてくださいというのを書くんですね。身元保証人ともまた違うんですけど。そのリファレンスにその人の名前を書いたんですね。そしたら、彼から電話がかかってきて「ガク、お前もう1回一緒に仕事しようよ」と言われて、何をやるかは言えないけど「一緒に仕事するなら採ってやる」って言われて、それで採用が決まったのでした(笑)。

―― ラッキーですねぇ(笑)。

上田 ラッキーでしたね。でもまたメールの仕事です。

上田 メールインフラストラクチャー、つまり裏側ですね。MIMEエンコーダーとか書かされて。MIMEエンコーダー職人だったんですね。たぶん3個くらいの会社で書きました(笑)。

―― なるほどぉ。

上田 Googleグループを担当して、メーリングリストサーバーの下の方を書いてたという感じですね。それを2年くらいやって、もうメールは勘弁と思ったのです。

「Googleに10年いたらヤバイ」と思って辞めたんですよ

上田 それで、Googleマップのチームに移してもらって、そこから6年間やりました。

―― それは、何年くらいなんですか?

上田 2005年ぐらいですね。

―― まだiPhoneが出る前。Googleマップは結構メジャーだったんですかね?

上田 いや、Googleマップは2004年に出て、日本でローンチされたくらいの頃ですね。

―― それまでみんな地図はどうしていましたかね?

上田 地図はですね。アメリカはMapQuestというサイトがあってクリックするたびに新しい画面に切り替わるというものでした。

―― 上下左右に矢印があって。

上田 そうですね。

―― それで思いだしたのは、私の元同僚で回路のシュミレーションソフトを作って売ってる人がいるんですね。シュミレーションが本業だからグラフィックなんかやりたくないんで、Googleアースを使っていました。北九州空港の上空にチップが浮いているんです。ただ、Googleアースは商業利用には制限があるので紹介しろというので、一緒にGoogleを訪問したことがありました。それくらい軽快でしたからね、「聞かないでください」と言われましたけど(笑)。

上田 (笑)。

―― フライトシュミレーターで使うコントローラーでチップに繋ぐ配線の間を飛んだりするんですよ。

上田 回るやつで、飛べるんだ(笑)。

―― その頃は、ほかにはGoogleってどんなサービスやっていましたか?

上田 僕が入社したときは検索しかなかったんですよ。検索とイメージ検索と、あとは、当時、Froogleと呼ばれてたショッピング検索がありましが。社員も1000人くらいですからね。

―― 今何人ぐらいいるんですか?

上田 分からないですけど5万人とか? 僕は、Googleグループを担当していましたけど、隣の部屋でGmailのチームがいて、そこも4、5人でしたね。それで、ローンチした日も僕は夜遅くまで仕事してて、なんか「今からローンチするよー」っと言われて「ちょっとアカウント作ってみてー」って言われて。で、アカウント作って「できた! できた!」っていうやりとりしてたんで、たぶん僕は世界で5番目くらいのユーザーかもしれません。

―― なるほど、楽しそうですねぇ。

2005年のGoogle時代。

上田 そんなことがあり。Googleマップの時は最初にちょっとだけエンジニアやってましたけど、それからマネジメントになっちゃったんですね。

―― やはりそうなる。

上田 2年目ぐらいの時から日本のGoogleの東京オフィスの立ち上げを手伝っていて、採用活動とかずっとお手伝いしてたんですけど、東京ベースの地図のチームのマネージャーになったわけです。主に日本の開発チームとアメリカのチームとを繋ぐような役割をしていたんですが、日本独自のことをやると、本体から煙たがられる傾向があるんですね。

―― そういうのはありそうですね。

上田 本体からすると謎の仕様が入ってくるっていうので嫌がられるので、なるべくそれを起こさないように考えて、日本人が欲しいけど、アメリカでも嬉しい機能を作るようにやっていました。例えば、Googleマップって写真が出なかったんですね。ラーメン屋さんを検索すると、日本人的にはラーメンの写真が見たい。でも、これ日本独自のフィーチャーですとかっていうと問題になりそうなので、アメリカのデータでもやってみて「この機能入れましょうよ」と。それを、東京チームでやらせてくださいってピッチをして、そういうのを繰り返していきましたね。

―― ピッチって、毎週、開発ミーティングみたいなことをやるんですかね?

上田 毎週ではないんですけどやっていましたね。

―― Googleってどうやってフィーチャーが増えて行くのですか?

上田 フィーチャーはですね。みんな勝手にいろいろ作っていくんですね(笑)。

―― なんと勝手に増えていく!

上田 みんな面白いことを言い出すんですよね。でもやっぱり、賛同が得られるものと得られないものとあるんですけれども、それをうまく、みんなを納得させるのがマネージャーの仕事ですね。

―― Google社内でもオープンソースの開発的みたいに、いまのメインのリリース版があって、こういうものを足したいとかブランチ切って、これをマージして欲しいんですけどというのを、誰かがリソースマネジメントしている?

上田 というか、それを売り込む感じですね。「この機能はは凄いんだ」と「Googleマップは写真が出たほうがいいですよね」っていう形でマネジメントを説得して、エンジニアの人たちが作ったのをどんどん入れて行くわけです。

―― なるほどそういうことですか。

上田 それが、たぶん5年前ですよね。当時38歳くらいでした。で、凄い環境いいじゃないですか? エンジニア天国みたいなところですよね。凄く楽しかったんですど、「このままいたら、これで終わりだなぁ」って思ったんですね。それで、Googleを辞めることにしました。

―― 環境が良すぎると。

上田 昔からいるからみんな知ってるし、やりたいこともやらしてくれる、上司とかにも恵まれてる。

―― それだけ聞くとめちゃいいですよね。

上田 でも、それを繰り返すっていうのはどうかなーって思ったんですね。

―― ご結婚されてるんですよね。

上田 結婚してます。でも、「Googleに10年いちゃやばい」って思ったんですよ。

―― うーん。

Twitter、そして旅の計画サイトを作ったけど毎日使わないという難しい問題があった

上田 次はスタートアップに行こうと考えていたんですが、いろいろあってTwitterに拾われることになったんですね。

―― それはきっかけはあるんですか?

上田 これもリファレンスなんですけど(笑)。実はあるスタートアップに行くことになってて、やっぱりリファレンスを出せとなったんですね。そこでGoogleやめてスタートアップをしていた友人にお願いしたんですが、その会社が、またやっぱりTwitterに買収されたんですね(笑)。

―― また買収ですか。

上田 それで、「リファレンスお願いします」ってメールを書いたら、電話がかかってきて「Googleを辞めるんだったらウチにきなよ」って言われたんです。すぐに副社長から電話がかかってきてカフェで会ったら、開口一番「うちにこい」って言われて、Twitterに入りました。

―― 早いですね。

上田 ツイッターでは主に2つの分野のチームを担当していました。1つは、芸能人とか政治家とかの本物ですよというチェックマークがついてるじゃないですか。そういったユーザー向けの機能を作るチームをやっていました。

―― たとえば?

上田 彼らのツイート価値は非常に高いので、大勢のフォロワーを持つユーザー向けのTwitterクライアントとかそういったものを作ってサポートしていたわけです。

―― ある種ダッシュボード的なものがあるんですね。

上田 もう1つは、基本的にプロダクトはアメリカ向けに作られているのでアメリカ以外のマーケットで受けない国っていうのが結構あるんですよ。例えば、Twitterってフランスとドイツで受けてなかった。

―― なぜですか?

上田 カルチャーの違いがあって。そこで、例えばドイツのサッカーのブンデスリーガーのスコアをリアルタイムで出しながら、オンライン観戦をする機能を入れたりしました。

―― 有名人のところの話は、今年1月にプリンスが亡くなったときとかそうですが、CNNとか見てても、第一報で流れるのがプリンスの知り合いのツイートですよね。レコード会社のプロデューサーや同じミュージシャンのツイートがバンバン紹介されます。アメリカは、有名人のつぶやきのバリューが高そうです。

上田 そうですね。

―― それからどうなったのですか?

上田 それで、2年ぐらいたってですね。またチームが30人とかになってきたわけですよ。

―― またでかくなった。

上田 最初は小さなチームだったのですが、「あ、これ前の会社でやっているのと同じだな」て思ったんですね(笑)。それで、「おんなじことやってる余裕はない」と思ったわけです。時間がもったいないなと。

―― その頃のTwitterっていったらもうブレークしていますからね。

上田 なので、本当のスタートアップに行こうとってことでTwitterを辞めました。

―― なるほど(笑)。

上田 転職先が決まってから辞めると、すぐに働きゃいけないので、今回は、とにかく辞めました。それが、2013年ですね。それで、一週間くらい家でボーっとしていたけわですけど。

―― ちなみに、GoogleとかTwitterの頃っていうのはどのくらい忙しいんですか?

上田 日本の感覚からすると、どちらも全然忙しくないですよ。本当に。Twitterも、サンフランシスコにあって僕ら南に住んでたんでシャトルバスで通ってて、帰りのバスが5時とかしかなく、それでしか帰れないんで5時とかに帰っちゃうんですよ。

―― 驚愕の事実じゃないですか! 家に帰ってどうすんですか? 5時に帰って。

上田 子供と遊んだり、夜はプログラミング。

―― 夜はプログラミング!

上田 趣味のプログラミングです。

―― なんだそれは(笑)。

2011年Twitterオフィスの様子。

上田 そうです。それは仕事がマネジメントになったのもあるんですが、自分のコード書くのはまた別なのですよね。

―― それ何書いてるんですか?

上田 なんでも作ってました。

―― 個人で便利なものとかそんな感じ?

上田 そうですね。僕はWikiが大好きで、Wikiが“WikiWikiWeb”とか呼ばれてた頃から「これすごいよー」って言って会社のうちのチームで使ったりとかしてたんですね。あと、自分用wikiインプリメンテーションを何回もやってですね。最初はPerlで書いて、次はPythonで書いて、Ruby on Rails で書いて……。それから、RubyのSinatraで書き直してと、もう1回書き直そうかぐらいの感じなんですけどね。

―― それを作ってどこかに公開するとか?

上田 そういうのは僕はあんまり興味なくて、自分が使えればハッピーという感じですよ。

―― そこまではやらない。

上田 それで、今度こそスタートアップやりたいってことでアプリを作ろうと考えたんですね。アプリというか、僕は旅行が大好きなんで旅行の計画サイトをやろうと。

―― なるほど。

上田 それを、1人で毎日毎日家で作ってたんですね。それを公開してみて、やっぱりユーザーはつかないんですよね。なかなか難しい。本当に、ユーザー100人、200人とかっていう世界なんですね。

―― 旅行の予約なんですか?

上田 基本的には予約計画サイトですね。Googleカレンダーみたいなやつなんですけど。何月何日にどこに行ってとか。

―― 良さそうじゃないですか。

上田 そうなんですよ「あ、ここのホテル予約してないな。じゃあここは何泊。それで、どっからどこへ移動してパリには何日……」とかっていうものですが。そうすると、現地に着いたら予約してなかったみたいなことがない。というサービスで自分では結構使えるなと思ったんですけどね。

―― それに類似したというか近い目的のサービスはあったと思うんですが、いきそうでいかないジャンルなんですかね?

上田 そうなんですよね。旅行って年に数回しかないイベントなんで、毎日使わないっていうすごく難しい問題があるんですね。それで、作って3カ月くらいやってたんですけど、まぁユーザー増えない。

―― なるほどぉ。

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