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ソフトベンダーTAKERU 30周年 レトロPC/ゲームを振り返る 第4回

『TAKERU』はSteamの始祖!? “同人ソフト”の天国だった

2016年11月15日 11時00分更新

文● 宮里圭介

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MSXユーザーが依存していたというTAKERUの存在感

人物紹介

MSXアソシエーション
3号氏、4号氏のお二人

 1チップMSX、MSXPLAYer、MSXマガジン永久保存版などを制作。当時はTAKERUでMSXソフトを多数買いまくっていた。
STUDIO Sequence
M氏

 PS Vita用STGや携帯電話用AVG「ラスグレイブ探偵譚シリーズ」を制作。当時はTAKERUでMSXやDOS/V用同人ゲームを多数登録していた。

TAKERU30周年イベントにMSXAメンバーも登壇予定!(詳しくはこちら)

ユーザーにとって便利でもショップにとってはネガティブ要素も多かった

 最新ソフトはもちろん、古いゲームや低価格な同人ソフトまでそろうTAKERUは、ユーザーから見ればありがたい存在だ。とくにユーザーの多くが他機種へ移行し、新しいソフトが出なくなってしまったMSXユーザーにとっては、手軽にソフトを購入できる唯一の方法といってもいいほど存在感があった。

 とはいえ、それはユーザーから見た場合の話。ショップにとっては歓迎ばかりではなかったのではないか、というのがMSXアソシエーションの3号氏だ。

「僕が初めて購入した時は、数日前から他の人が操作しているのを遠巻きに見て、買い方をしっかり頭に叩き込んでから操作したんです。ソーサリアンを選んで5000円くらいお金を入れて。そしてFDへと書き込んでいたのですが、3枚目くらいで止まってしまって……ホント、真っ青ですよ」

MSX用のソーサリアンも、TAKERUで数多く売れたソフトのひとつ。市販価格と比べると安いとはいえ、それでも5000円近かった。

 当時高校生だっただけに、5000円は大金だ。そんな金額を自動販売機に投入するというのも勇気が必要だったが、その途中で止まってしまうというアクシデントは本当に怖かったという。

「『ヤバイ、壊しちゃった……』と思ったのですが、泣きそうになりながら店員さんに伝えたところ、何事もなかったかのようにリブートさせておしまいでした。それでちゃんと、続きからFDへと書き込まれて事なきを得ました」

 これはいい店員に当たった時で、もっとひどい店員の場合、「俺もわからないんだよ、この機械」といわれて終わり、という話もあったという。一応パソコンショップを中心に置かれていたとはいえ、店員のすべてがTAKERUに精通しているわけでもなく、対応はかなりの差があったようだ。

 また、消耗品の補充が頻繁に起こるというのも店員泣かせの仕様だろう。当初はFD1枚というのが普通だったが、ソフトの規模が大きくなるにつれ複数枚セットが当たり前になり、FDの消耗が激しくなっていた。また、長期間稼働していればプリンターの調子が悪くなりやすく、頻繁に紙詰まりも起こっていたようだ。さらに、ただでさえ購入に時間がかかって回転が悪いというのに、同人などの安いソフトが増えてきたため客単価が減少。「手間ばかりかかって儲からない」状態になりがちだった。

FDを補充するのは、操作画面左にあたる部分。縦に2段分用意されていたとはいえ、複数枚組が当たり前になっていたころには、すぐに補充しなくてはならなかった。

TAKERUのプリンター部は、普通のプリンターをそのまま設置したような形式。A4のトレーにマニュアルの専用紙が補充されていた。

 とはいえ悪いことばかりではない。TAKERUが数少ないソフト入手経路となっていた旧機種ユーザーの集客面では効果があったし、順番待ちの間に店内を見て回るため、関連商品が売れるということもあり、ショップによっては複数TAKERUを置きたいというリクエストもあったようだ。

1997年の2月、ついにすべてのTAKERUが終了

 長きにわたってユーザーを支え、そして後年は同人ソフトの配信という面でも活躍したTAKERUだが、1997年の2月にすべてのサービスを終了。ついに撤退することになった。インターネットの普及やソフトの肥大化、通信販売の拡大などの要因が複数重なったうえ、プレイステーションやセガサターンといった家庭用ゲーム機が強かったというのもあるだろう。

全国のTAKERUが一斉に2月末に終了したのではなく、1~2月にかけて、少しずつ撤去していったようだ。ロングテールの「名作文庫ソフト」、ニッチの「同人ソフト」、オリジナルの「宝魔ハンターライム」、旧機種向けとなる「MSX2、X68000用」が強調されている点から、TAKERUの強みをしっかりと理解していたことがうかがえる。

 そんな中、最後の営業日に行われたのがTAKERUの「さよならイベント」だ。1997年の2月28日、平日の金曜日10時からという人が集まりにくい時間帯で、しかも通知はほんの1週間前に会員向けに送られただけというものだった。会場は秋葉原のラオックス。そんな急な通知と平日開催だというにもかかわらず、30~40人ほどが集まっていたというのだから驚きだ。それだけTAKERUを強く支持していた人たちがいたという証拠といえる。

レアだと思われる、TAKERUさよならイベントの案内。20日付の書類で28日のイベントを告知するという、かなりギリギリな案内だった。

 販売最終日ということで、みんな並んではソフトを購入していたという。また、最後はTAKERUにみんなで寄せ書きをし、トラックに乗せて撤去されていく姿を見守ったそうだ。なお、残念ながら寄せ書きのあるTAKERU本体は失われてしまっている。

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