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『新装版 計算機屋かく戦えり【電子版特別収録付き】』刊行記念インタビュー第2回

日本独自のコンピューター素子を生んだ男、後藤英一

2016年09月02日 18時00分更新

文● 遠藤諭(角川アスキー総合研究所)

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待ち望まれていた新素子・パラメトロン

 一般に、コンピュータの歴史は4つの世代に分けられる。

 この4つの世代は、4回の大きな技術革新によって区切られている。第1世代は真空管、第2世代はトランジスタ、第3世代はIC、第4世代はLSIの時代である。こうした新しい素子が出現するたびにコンピュータの性能は飛躍的に向上してきた。

 第2世代のトランジスタを米国のショックレーが発明したのは1947年。しかし、ごく初期のトランジスタは高価なうえに不安定で、実際に、コンピュータに使用されるようになったのは50年代後半。FUJICのところでも触れたように、本格的に第2世代に突入するのは1960年代に入ってからである。

 そんな50年代半ばに発明されたのがパラメトロンという名の素子だった。パラメトロンの最大の特長は真空管とは比べようもないほど安定している点にあり、また、まったく独創的な日本独自のコンピュータ素子である点も珍しかった。

 これを発明したのは、当時、まだ東京大学理学部物理学科の高橋秀俊研究室に所属していた後藤英一という大学院生である。

 はたしてパラメトロンとはどんな素子だったのか? それはどのようにして生み出されたのか? すでにある技術を応用して製品化することにはたけているが、基礎技術を生み出すことではあまり実績がないといわれる日本で、まったく独自の技術が生まれたことは、それだけでも大いに注目に値する。しかも、それは50年代、世界の科学者たちが期待し注目するところとなったコンピュータ開発競争の真っ只中に登場したのである。まだ戦後を引きずっていた時代に、日本の技術が起死回生のホームランを飛ばすことになったのでは……と、想像をめぐらせたくなる。

 パラメトロンを使ったコンピュータは、1957年(昭和32年)に電気通信研究所の「MUSASINO1号」が完成。素子を考案した東大高橋研究室が「PC−1」(58年)「PC−2」(61年)を開発。日立、富士通、日本電気などのコンピュータメーカーもこぞってこれを採用し、次々にマシンが出荷された。安定性が武器のパラメトロンならではの開発サイクルの短い展開であったが、そのときたしかにパラメトロンコンピュータの時代が日本には存在していたのだ。

 振り返ってみると、パラメトロンコンピュータが出荷されたのは2年間とごく短い期間で、やがてトランジスタの出現とともに第2世代、さらにはICによる第3世代の大きな波に飲み込まれてしまう。パラメトロンの普及が日本だけにとどまり、また、コンピュータ開発の関係者にしか認知されなかったのはそのためだ。

 とはいえ、パラメトロンによって、日本でだけ独特の1世代が築かれたことは、日本のコンピュータ界にとってかけがえのない貴重な経験となったはずである。

 若くして産業界に大きな影響を与えた後藤氏は、その後もあふれる独創性をいかして幾多の発明をしている。今年で65歳になるが、いまも現役で、磁束量子コンピュータの研究を続けている。この研究はジョセフソン素子の研究のなかで最も有力視されているものの1つで、ジョセフソン素子とはシリコンの素子に比べて実行速度で2桁、消費エネルギーで8桁もすぐれているという代物である。しかも、この研究には、かつてのパラメトロンの技術が生きている(!)というから驚かされる。

——後藤さんはなぜパラメトロンを作ったのですか?

「そのころ、日本にはコンピュータがなかったんだ。そこで東大の高橋研究室で作ろうということになってさ。だけど大学の研究室じゃ、予算が足りない。当時真空管は1個1000円、トランジスタだと1個8000円もしたんだ。それに、真空管はすぐに消耗するだろ。トランジスタはまだ不安定だったし。そこへいくと、昔からラジオ製作なんかでなじみのあるフェライトコアは1個5円だった。じゃあ、フェライトコアを素材にしたらどうだろうってことで理論を創ったんだ。フェライトコアは安定した素材だし、焼き物なんで、1度うまく作れば壊れないんだ。パラメトロンという呼び名は、パラメーター励振という原理を利用するからつけた」

——子供のころからラジオ製作などをしていた?

「子供のころは、やっぱり数学とか理科が得意だった。ラジオ製作なんかをはじめたのは15歳ぐらいだったかな。その後、ラジオ部品だったフェライトの飽和現象を利用したり、スイープジェネレータ(掃引発振器)を自分で作ったりしてたから、それらを利用して何かできないかとは思っていた」

——パラメトロンはどんな構造なのですか?

「1個のパラメトロン素子は、2個のフェライトコアと1個のコンデンサーで作る。フェライトコアのドーナツにコイルを10回巻いてね。それをハンダでつなぐんだ。これに励振電流を通すことで、電気的な振動を発生させるんだな。2分の1分周といってさ、フェライトコアの磁気的性質を利用した周波数を2分の1にする現象を使うんだ。すると180度異なる位相が2つできるから、それで0と1の2進数が記憶できる。それに、2つの状態ができたりなくなったりして切り替わるときには、一種の増幅作用がある。あとは入出力ができれば、多数決の論理演算ができるんだよ」

——フェライトコアはどんなものを使ったんでしょう?

「使用したフェライトコアは、東京電気化学工業(TDK)に作ってもらった4ミリ外径のものだったんだけど、あとから考えてみると、これが非常にパラメトロン向きの性質を持っていた素材でね。この素材を使っていなかったら、パラメトロンの成功は難しかったと思うね。パラメトロンが成功してからそれに合った素材を作ってもらうのは楽だけど、成功する以前に適切な素材から研究して作るっていうのは困難なんだ。TDKのものを使ったのはまったく偶然だったけど、とてもラッキーだったよ」

——コンピュータを作るのに、パラメトロン以外の方法は考えなかったのでしょうか?

「そりゃあ、ボツになった案は多いよ。電話交換機に使う回転スイッチと真空管回路を組み合わせた機械電子式計算機とか、10進法を使ったデカトロンコンピュータとかさ。そういう案がうまくいくかどうかはいまならさっとコンピュータでシミュレートするところだけど、そのコンピュータ自体を作ろうってんだから、これは全部手作業。数式で計算してシミュレートしたんだ。それでいけそうな案を絞り込んだ。物理学科で、物理や応用数学に詳しくなっていたのが大いに役立ったね」

現在東京農工大に保存されているPC−2のパラメトロンボード。


【高橋秀俊研究室】東大の高橋秀俊教授(1915〜85)が主宰した研究室。計算機の研究のほか、強誘電体、音声科学、回路理論など幅広い研究を行なっていた。
【フェライト】ラジオや通信機の高周波用コイルの磁心に使用される、鉄、コバルト、マンガンなどの金属酸化物。
【パラメーター励振】最初に微量の電気振動を与えるとブランコをこぐように電気信号が大きくなっていく現象。

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