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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 ― 第359回

業界に痕跡を残して消えたメーカー 新製品発表の反面教師となったオズボーン

2016年06月06日 11時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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 今回取り上げるのは、Osborne Computer Corporationである。企業としてはそう長く存続したわけではなかった(1980~1985年)。

 そのうえ、製品は大きく言えば1つだけなのだが、同社の散り方はマーケティングのあり方に非常に大きなインパクトを与えたという観点で、欠かすことのできないメーカーだ。

Osborne Computer Corporationのヒット作「Osborne 1」

出版社を売却した資金で
コンピューターメーカーを創設

 Adam Osborne氏(2003年没)は1972年、Osborne & Associatesというコンピューター向け書籍専門の出版社を作り、自身がそこでさまざまなコンピューター向けのマニュアル本を出版する。

 彼はこのビジネスをうまく軌道に乗せ、最終的に1979年に大手出版社であったMcGraw-Hill Publishing Company(現S&P Global)に会社を売却することに成功する。

 ただ彼はコンピューター関係のライターというだけではなく、自身もシリコンバレーで形成されていたHomebrew Computer Club(自作コンピューターを作るホビイストのクラブ)に頻繁に顔を出していた。

 ちなみにこのクラブの常連メンバーにはSteve Wozniak、CromemcoのHarry GarlandとRoger Melen、IMSAIのThomas "Todd" Fischer、Morrow DesignsのGeorge Morrow、BYTE shopのPaul Terrell、Processor TechnologyのBob Marshといった面々が名前を連ねている。

 いずれも創成期のマイコン企業、もしくはその関連企業の中核を成したメンバーだ。どの企業も当時は従業員を片手で数えられるか、まだ創業してない段階での話なので、未来のコンピューター企業の巣とでも言うべきものだ。

 そしてMcGraw-Hill Publishing Companyに自社を売却してそれなりに手元に資金を蓄えたOsborne氏も、自身でマイコンを作ることを決意する。

 Osborne氏が望んでいたのは、低価格なポータブルコンピューターである。ここで言う「ポータブル」は「アメリカ人男性なら持ち運びできる」の意味なので、昨今のノートPCを想像してはいけない。

 参考にしたのは、XeroxのNoteTakerである。NoteTakerはあくまでも研究目的で製造されたもので、総生産台数も10台ほどでしかない。これをもっと現実的な価格と構成で実現しようというわけだ。

Xerox NoteTaker。5MHzの8086と256KB RAM、7インチの640×480ピクセルディスプレー、340KBのFDDなどをまとめた構成で重さは22Kg(!)である

 この目的のために、Osborne氏はOsborne Computer Corporationを1980年に設立、Lee Felsenstein氏を雇って製造に取り組む。

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