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ヤマハと電撃文庫の異色作『なれる!SE』のスペシャルコラボ!

なれる!SE ヤマハ?の歩きかた 第3回

2016年05月09日 11時00分更新

文● 夏海公司、イラスト●Ixy

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 ヤマハのネットワーク機器20周年を記念して、システムエンジニアの過酷な実態をコミカルに描く電撃文庫の異色作『なれる!SE』とコラボ! スペシャル短編を全7回にわたってお届けするぞ。楽しく読めてヤマハのことをもっと知ることができる内容になっているので、ぜひチェックしてね!
2回目はこちら

登場人物

室見立華
実力のあるネットワーク系のSEだが十代にしか見えない少女。四六時中仕事をしているワーカホリックでツナが大好き。


桜坂工兵
知識も経験もないシステム開発会社に就職した新人社会人。教育係である室見のもとで激務に追われる日々。


橋本課長
立華たちの顧客である業平産業の課長で、仕事のできるクールなキャリアウーマン。工兵の飲み友達でもある。



はい、そうですよ。ヤマハの通信機器事業は電子楽器の製作で培ったノウハウがあったからこそ始められたんです



え? ほ、本当にそうなんですか。室見さんの冗談じゃなく?



……ふん


ええ。もともと弊社は音声のデジタル信号処理を得意としてましたから。LSIも独自に作って自社製品に搭載していたんです。こうした技術を橫展開できないかという考えのもと生まれたのが1987年のアナログ回線用モデムです。で、続いて1990年頃、ISDN用のLSIや専用の回線終端装置を開発。なのでルーターを作り始める以前から通機機器事業の下地はあったんですよ



言われてみればエレクトーンとか演奏用のコンピュータみたいなもんですよね……。基板とかいっぱい入ってそうですし。ああいうのを作ってきたなら別に通信機器を作っても全然おかしくないですね



おかしくないどころか普通に正常進化でしょ。そもそもヤマハはYISってホームコンピュータを82年に出してるし。MIDIって音源データの規格もヤマハが関わって作成されてるのよ。あれだってファイルフォーマットだけじゃなくてインタフェース・通信プロトコルまで定義してるわけだし。バリバリの情報通信企業よ。知らないの?



知りません……



ふん、度しがたい無知ね



そ、そうですか?(普通知らないだろ!?)



桜坂さん、大丈夫です。私も知りませんでしたから。ともかくヤマハさんって意外と手広く事業をやられているんですね。楽器メーカーのイメージがあったので驚きました


まぁもともとが楽器会社だったのは確かですが、そこで醸成されたノウハウが各種事業に繋がっていった感じですね。たとえば我々は一時期家具も作っていたんですが、それはピアノ製作で触れた木材加工技術が応用されていたんです。他にも木製プロペラやそれを動かすエンジンまで作ったことがあります



ノウハウ……応用……あ!



どうしました? 桜坂さん



分かりました。ヤマハさんの原点はさっき見たピアノ製造工場なんですね。あそこで確立された技術が他の分野に繋がって、どんどん事業が広がっていく。その中の一つにルーターみたいな通信機器事業もある。だから今回の見学の最初にあそこを持ってきたんですね!



はい。……というか、それ、お誘いメールの中に書かせていただいたはずですけど



え?



……



……



さて、話を元に戻しましょうか。なんの件でしたっけ?



桜坂さん、現実逃避はやめましょう。さっきまで無茶苦茶、室見さんの言うことを疑ってたじゃないですか。H田さんに確認して室見さんの勘違いを正してやる! って



な、なんの話かなー?



……



すみません、マジごめんなさい。調子に乗ってました。反省しています



まぁまぁ、話のキリもいいことですし料理を注文しましょう。ここのハンバーグは絶品ですよ。さぁメニューをどうぞ



絶品? あれ、ここ普通のファミレスじゃないんですか



わ! 話に夢中で気づきませんでしたが、ここ「さわやか」じゃないですか! なんてこった! いつの間に!?



ああ、桜坂さんは静岡の方だからご存じなんですね。ええ、丁度お昼時なので次の見学地に行く前にお連れしました



有名なお店なんですか?


静岡県民のソウルフードですよ。肉質にこだわるあまり輸送距離のある県外には出店しないという伝説のチェーンです。ぶっちゃけ僕らにとってはファミレスのスタンダードがここなので、(ぴー)とか(ぴー)とか論外です。静岡県民は上京してさわやかが全国区でないことにショックを受ける、というのが定番の流れですよ



そこまでですか……



ま、ま、とにかくハンバーグを頼んでみてくださいよ。後悔はさせませんから



は、はぁ、ではこのげんこつハンバーグというのを一つ



(十分後)







ふっふっふ、どうですか、橋本課長



肉汁が凄いですね。柔らかいのに、ちゃんと肉の食感がある。ジューシーで、それでいて表面はこんがり焼けている。これはすごい、ファミレスのハンバーグとは思えません



でしょう、そうでしょう。いや、そこまでほめられるとちょっと照れますね



なんであんたが照れてるのよ……



では食べながらでよいので、先ほどの話をもう少し続けましょうか。ヤマハがモデムや通信チップを作ったあと、いかにルーター開発にたどりついたか



はい(もぐもぐ)


時代は少し下って1995年のことです。コンピュータネットワーキングはまだniftyやPC-VANというクローズドネットワーク、すなわちパソコン通信がメインでしたが、MOSAIC、Netscapeブラウザの発表や商用接続の開始でインターネットも身近になりつつありました。企業ネットワークもベンダーごとの独自規格をIPに切り替え始めていた頃で、要するにオープン化の流れが押し寄せていたわけです。そこで当時普及しつつあったISDNをWANインタフェースに、イーサネットをLAN側インタフェースに持ってきてダイヤルアップルーターを作れないかと弊社は考えました。こうして生まれたのが記念すべき最初のヤマハ製ルーター、RT100iです



似たような機械は当時、他になかったんですか?


ありましたがどれも大企業向けの製品ばかりだったんです。何せ64kbpsのインターネット接続サービスが月額50万した時代ですから。いきおい接続する機器も巨大な交換機を思わせるものになっていました。当然中小企業やSOHOユーザーは手が出ませんよね? だから我々はそうした一般ユーザー層でも買える商品を作りにいったんです



なるほど。ハイエンド商品ばかりのところにエントリーモデルで殴りこんだと



まぁ、今みたいにインターネットが必須のインフラじゃありませんでしたから。話題になってるし使ってみたいけど、さすがに云百万は出せない……そういう方が一定以上いるんじゃないかと考えたんです



その目論見が当たった?



おかげさまで。高評価をいただいてスタートダッシュできました。そこでの成功があったので次の企画、次の商品と続けられたわけです



時代のターニングポイントをうまくつかまえた商品だったんですね



いやぁ、驚きました。ヤマハって日本のインターネットとともに歩んできた会社なんですね。すごいなぁ、かっこいいなぁ



……ごちそうさま



あれ? 室見さん、食後のコーヒー、おかわり自由ですけどもういいんですか



あんまり具合がよくないからこのへんにしとくわ。移動中に体調崩しても困るし



ああ、じゃあそろそろ移動しましょうか。次の見学の時間も迫ってますし


あ、ええ、はい



(室見さん、すごく厳しい顔してる……)


(てか、僕らが喜んでヤマハのルーターの話してるのが気に入らなかったのかな。そりゃそうか。室見さん、例の案件の機器選定、まだ納得してないんだろうし)



……呑気に食事してる場合じゃないわよ、っとに(ぼそっ)



(あわわわわ)

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