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高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み 第15回

PV至上主義批判を中の人たちはどう打破するのか

ニュースサイトから釣りタイトル記事がなくならない理由

2016年03月08日 09時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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SNSの反応を読者の縮図と考えるのは安直

 いまやたいていのニュースサイトには気になった記事をソーシャルメディアにシェアするためのボタンが付いており、その数字を見れば、当該の記事がどれくらいウケているのかだいたい推測/想像できる。

 Twitterはツイート数を表示するためのAPIを除去してしまったから、正確な数値を確認することはできないものの、タイトルで検索をかけさえすれば、読者がどんなコメントを付けてシェアしてくれたのか把握することは容易だ。

 しかし、一部の読者のコメントのありがたさは重々肯定しつつも、それらを全体の縮図として呑気に認定してしまうのはいささか乱暴であり、あまりに浅薄、あまりに安直な発想に過ぎるのではないか?

ありがたいことに毎回筆者の連載記事もTwitterなどでシェアされコメントを付けてくれる読者も少なくないが、大多数はコメントなしであり、そうした読者の反応の内実を知ることはできない。ましてや読者の顔など想像もつかない Photo by Phil Campbell

 これはウェブメディアにおけるPVだけに限ったことではなく、ある側面のある傾向だけをおぼろげに素描することはできても、「全体像などとても精査/明示できるものではない」という、実に悩ましい話なのである。すべての指標はサンプルの1つでしかない。テレビの視聴率も「観る」の強度/深度までは調査のしようがなく、一冊の同じ雑誌でも熟読されるものもあればほとんど開かずに捨てられるものもある。

 冒頭の“ある程度の母数を確保できなければ良質なコミュニケーションが成立する確率は低い”を逆に言い換えれば、“ある程度の母数が確保できれば良質なコミュニケーションが成立する確率は高い”ということは事実であり、同時に、それだけの話に過ぎない。

「ウェブ編集」が確立された代償としてのタイトル詐欺

 PVだけが唯一の指標じゃないという議論が近頃盛んに取り沙汰される背景には、実はもうひとつ重要な問題が潜んでいるのではないかと思われる。

 それは、巷間よく話題にのぼる「クリックベイト」(いわゆる「釣り」)の横行と蔓延だ。

 「PVが多い=メディアとしての影響力が大きい」という単純な図式は、当然のことながら、制作者側をさまざまな創意工夫に駆り立てる反面、悪質な「タイトル詐欺」も派生させる。こうした状況への不信と嫌悪が、PVだけが唯一の指標じゃないという言説を後押ししていることも事実だろう。

 しかし、ここには「ウェブ編集」の確立と成熟、そして次なるステージへの転換の萌芽が内在していることも忘れてはならない。

 1990年代初頭のインターネット黎明期、急速な勢いで成長しつつあったデジタル業界では「ウェブデザイン」という新領域が誕生し、HTMLのバージョンアップ、「Flash」などのアニメーション作成ソフトの登場、回線速度の劇的な向上などと相まって、紙メディアとはまったく異なるウェブ特有のデザインが開拓されていった。

 その際、よく語られたのは“ウェブデザイナーはいるのになぜウェブ編集者はいないのだろう?“ ということだった。

 実際、紙メディアとは一線を画すネットならではの文章の技法や話法が一般に認知され始めたのは2000年代も後期に入ってからではないだろうか? それまでネット的な言語感覚はアンダーグラウンドな存在としてやや軽視/蔑視されていた掲示板文化などの中で密かに育まれてきたものの、2010年前後を境にバイラルメディア的なニュースメディアの中に一気になだれ込んだ。

 その結果、「ウェブならではの文章の技法や話法」はPVを追求するあらゆるウェブメディアに浸透していく。「ウェブ編集者」などという職種が求人欄に掲載されるようになったのは実はつい最近のことなのである。

 本来は歓迎すべきウェブ編集の確立と成熟は、他方であらゆるニュースサイトにおける言語/文章のスタイルの画一化を生んだ。程度の差こそあれ、いまやほとんどのウェブメディアが閲覧より一瞥に重きを置くクリックベイト的な手法を採用している。そうした語り口がそろそろ飽和状態を迎え、読者の側も食傷気味に陥るだろう。

 PVだけが唯一の指標じゃないという議論は、PVに代わる新しい指標の模索をうながしていると同時に、あまりに均一化してしまったウェブ編集の方法論の再検討、そして新しいステージへの移行をも迫っているように思えてならない。

たとえば、ウェブ編集における典型的なタイトルの技法「10の理由」をGoogleで検索してみると、あきれはてるほどの結果が表示される。筆者も含め、みんなこうしたスタイルにはやや食傷気味ではないか?


著者紹介――高橋 幸治(たかはし こうじ)

 編集者。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、1992年、電通入社。CMプランナー/コピーライターとして活動したのち、1995年、アスキー入社。2001年から2007年まで「MacPower」編集長。2008年、独立。以降、「編集=情報デザイン」をコンセプトに編集長/クリエイティブディレクター/メディアプロデューサーとして企業のメディア戦略などを数多く手がける。「エディターシップの可能性」を探求するミーティングメディア「Editors’ Lounge」主宰。本業のかたわら日本大学芸術学部文芸学科、横浜美術大学美術学部にて非常勤講師もつとめる。

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