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飯田橋クラウドクラブ(略称:イイクラ) 第21回

ISID、SCSK、スカイアーチ、TISの4社のキーマンと座談会

SIerのキーマンが本音で語った「クラウドは業界をどう変える?」

2016年02月17日 07時00分更新

文● 大谷イビサ/TECH.ASCII.jp

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昨年12月22日にKADOKAWAオフィスで開催された「リアルイイクラ2015年納会」。「SIerと語る!クラウドはSI業界をどう変える」と題された後半のパネルディスカッションにはISID、SCSK、スカイアーチネットワークス、TISの4社のキーマンが登壇し、ビジネスの裏側にある生々しい話を展開した。(以下、敬称略)

AWSを中心にしたSIを手がける参加者のプロフィールとは?

ASCII大谷:今回のパネルのきっかけは、「AWS re:Invent 2015」の会場ホテル内で行なわれた座談会です。今回の登壇者も含め、6名の方に参加してもらったのですが、あまりに面白かったので、ぜひリアルのパネルでやってみたいと思ったのが経緯です。まず自己紹介とクラウド事業の現状について教えてください。

SCSK サービス開発部 浅野佑貴(以下、SCSK浅野):SCSKの浅野です。クラウドサービスをどう取り扱うかをいろいろ考えつつ、今はクラウドのコントローラーを作って、オープンソースで展開しています。お客様からは「浅野さん、営業の割には技術詳しいですね」と言われるんですけど(笑)、一応AWSのコミュニティでは「AWSウルトラクイズ」の2代目優勝者だったりします。よろしくおねがいします。

スカイアーチ シニアコンサルタント 福島厚(以下、スカイアーチ福島):スカイアーチというSIerでコンサルティングを担当している福島です。現在はアドバンストパートナーとしてAWSに取り組ませていただき、来年にはなんとかプレミアパートナーになりたいとがんばっています。

TIS プラットフォームサービス企画部 内藤稔(以下、TIS内藤):イイクラの方では「上から目線」というありがたいレッテルを貼っていただいた内藤です(笑)。

ASCII大谷:本当は腰が低いんですけどね。

TIS内藤:そうですよ(笑)。それはともかく、私ももともとはインフラエンジニアだったんですが、2009年くらいから自社のIaaSの立ち上げに携わっていたりします。2010年くらいに(当時のAWS エバンジェリストだった)玉川さんに出会って、AWSやばいなと思って、社内ではこっそりやってました(笑)。でも、おかげさまで今年はAWSのプレミアパートナーになり、けっこうな引き合いをいただいています。とはいえ、単純に再販だけでは儲らないので、IoTビジネスを企画していたりしています。

長年の努力が実り、プレミアパートナーになり意気揚々のTIS内藤

電通国際情報サービス(ISID) コミュニケーションIT事業部 松島宏明(以下、ISID松島):ISIDの松島です。弊社はクラウド的なものを2004年に始めていて、ベアメタルなサーバーを40台くらい買ってきて、その上でLinuxを載せて、親会社のキャンペーンサイトなどを動かしていました。なぜ2004年かというと、個人情報保護法が施行された年だからです。

ASCII大谷:ずいぶん早かったんですね。

ISID松島:はい。その後、サーバーはどんどん更新したのですが、2011年にAWSが東京リージョンを立ち上がったのと同時に、そちらに載せ替え始めました。2012年にはGoogle Cloud Platformを使い始めました。今回はAWSのSIerが多いですが、GCPはPaaSとして非常に優れています。その後、IIJを扱い始めたのは、「外資を使うとはなにごとか!」とお客様に怒られたから。結局、自社でデータセンターを持っている意義がなくなってきたので、2015年には自社データセンターのサービス終了を決定しました。今後、こういうことは増えてくると思います。

クラウドビジネスの立ち上げは基本「こっそり」で

ASCII大谷:では、続いてはクラウドサービス立ち上げの苦労や社内の軋轢について教えてください。ちゃんとみなさんコメントしてくださいね(笑)。

TIS内藤:同期の倉貫(現:ソニックガーデンCEO)は自社データセンターがあるにも関わらず、当時から勝手にAWSを使っておりまして(笑)。倉貫たちのAWSノウハウは他のAWS案件に活かせました。一方、自社のIaaSを立ち上げた時にはイチからビジネスモデルを作ったので、やり始めるとけっこう苦労がありました。

ASCII大谷:どこらへんに苦労があったんですか?

TIS内藤:ものづくりはできるんですが、ビジネスモデルがうまくできなかったんですよね。どうやって売り上げあげるんだとか、どうやって請求事務フローを回すんだとか、そういうのが苦労が多かったです。でも、その苦労があったからこそ、AWSビジネスを立ち上げるのがスピーディにできた。小規模な金額を月額課金で回すみたいなことがやれてますね。

ASCII大谷:ビジネスモデル構築の試行錯誤を早い段階でできたんですね。

TIS内藤:当時は倉貫のほか、Amazon EC2/S3のすべてという書籍を書いていた並河という者もいて、AWSユーザーとしてはかなり先進的な会社だったんです。

ISID松島:私は社内で放っておかれたので、けっこう簡単でした。何十台ものサーバーを買い換えるとなると、定価ベースで1億円くらいします。稟議通すのすごい大変なんですよ。私は2004年から2011年の間に、その稟議を2回通して、もういやだ、もうやりたくないと思いました。そこで、私が運用を担当しているお客様と個別に折衝し、自社のデータセンターのサーバーから少しずつAWSに移したんです。でも、社内では特に注目されることはありませんでした。

いつの間にかAWSへのマイグレーションを進めていたISID松島

ASCII大谷:そんなことありえるんですか(笑)。

ISID松島:はい。AWSの場合、価格が安いので、経費として流れてしまうので、稟議が通ってしまうんです。あと「AWS!AWS!」といろいろ騒いでくれた元エバンジェリストの渥美のチームが駆けづり回ってくれたので、東京リージョンが始まって2年くらいで自社のほとんどのパッケージを各プロジェクトチームがAWSでも稼動できるようにしました。月に1回しか動かない連結会計システムは、まさにAWS向けのシステムです。だから、うちの場合は、軋轢なく、かなり素直に行けましたね。

ASCII大谷:福島さんはどんな感じでしたか?

スカイアーチ福島:私自体が3年くらい前にスカイアーチに移籍してきたんですが、そのときに無口な社長から「AWSで利益上げろ」と言われて、クラウドやり始めました。それまで私は自分でケーブル配線して、Linuxインストールするようなガチなインフラエンジニアだったんですが、いきなりクラウド使うことになったんです。でも、AWSにログインしたら、今までのオンプレの機器が要らないことがわかりました(笑)。

ASCII大谷:かなりショックですね。

スカイアーチ福島:でも、弊社の50~60人くらいのエンジニアはオンプレでしかトレーニングしていないので、どうやってAWSを理解してもらって、サービスとして成立させるかという大きな課題がありました。これはものすごい大変で、1年半くらいエンジニアにささやき続けて、ようやくサービス化できた感じです。

ASCII大谷:なるほど。福島さんが切り込み隊長だったんですね。

スカイアーチ福島:何人か個人的に触っている人はいましたけど、基本はそうですね。あと、当時はニフティクラウドの売り上げの方が、AWSより全然高くって(笑)。今は逆転していますけど、ニフクラさんとは仲良くやっています。

ASCII大谷:マルチクラウド的な立ち位置ですね。次、期待の浅野さん。

SCSK浅野:はい。軋轢の方が面白そうなので(笑)。クラウドが出てきた時、弊社では「これからはハイブリッドクラウド」と言ってまして、自社のデータセンター+パブリッククラウドじゃないとダメでしょという形で軋轢を産まないようにしていたわけです。なので、パブリッククラウド始めた時は、こっそり始めていました。

ASCII大谷:やっぱり「こっそり」ですか(笑)。

SCSK浅野:でも、始めた当初は私が開発部隊で、パブリッククラウドの事業が始まった時に、初めて運用やデータセンター部隊に移ったんです。つまり、周りは自分のことを誰も知らない。これが功を奏しまして、こっそり開発部隊と面白そうな案件をクラウドでやり続けていたら、いつの間にかボリュームが出てきて、無視できなくなってきた。そんな感じでちょっとずつ社内で認知されるようになってきました。だから、軋轢は今もありますが、実績を作れば文句は言われない。つくづく、いい会社だなと思っています(笑)。

ASCII大谷:いい会社ですねえ(笑)。

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