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高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み 第12回

映画「スティーブ・ジョブズ」を観る前に知っておくと10倍楽しめる

ジョブズ復帰とMac OS X、映画にないドラマチックな秘話とは

2016年02月10日 09時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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ジョブズ会心のプレゼンがMac OS Xを生み出した

 1996年当時、次期OSの筆頭と目されていたのが先述したジャン=ルイ・ガセー率いるBeの「BeOS」であった。

 ガセーがAppleを辞めて1990年に設立したのがBeで、1995年、BeOSを搭載したデュアルプロセッサーのマシン「BeBox」が発表される。BeOSは当時のAppleがノドから手が出るほどほしかったマイクロカーネルや64ビットファイルシステムなどを実装。その後、PowerPC版の登場によってMac上でもBeOSが動作するようになるが、同じマシンでもMac OSとは比較にならないほどの処理速度を実現していた。

1995年、Beが発表したデュアルプロセッサーマシンBeBoxに標準搭載されていた「BeOS」。高度なマルチスレッド化/マルチタスク化によって圧倒的なパフォーマンスを誇っていた

 こうした経緯からガセーは、Appleは必ず次世代Mac OSの基幹構造にBeOSを採用するだろうと高をくくっていたようだ。

 実際、Appleの首脳陣はガセーとBe買収についてのかなり具体的な交渉を何度も行なっており、筆者もその可能性が高いだろうと思っていた。しかし、Appleは同時に裏でジョブズのOPENSTEPも天秤にかけており、結局、現在の「Mac OS X」の基幹技術としてOPENSTEPを採用することを決定した。

 このとき、ジョブズがAppleの経営陣に行なったプレゼンはまさに一発逆転の素晴らしいものだったと言われている。

 1996年末、年末進行のために編集部で寝泊まりしいていた筆者は、早朝、Appleから送られてきた1枚のFAXを目にする。

 それは「Apple、NeXTを買収。ジョブズがAppleに復帰」という内容のものだった。そして正月明け早々の「MACWORLD Expo/San Francisco 1997」で、アメリオの基調講演の途中、ジョブズがステージに登壇する。このイベントに筆者は運良く取材に行っており、プレスの特権としてステージ真下のかぶりつきでその様子を見ていたのだが、初めて見るジョブズのプレゼンに膝の震えが止まらなかったことをいまでも鮮明に覚えている……。

Appleに復帰を果たしたジョブズが初めてプレゼンを行なった「MACWORLD Expo/San Francisco 1997」。ギル・アメリオCEO(当時)による基調講演の途中、6分40秒あたりでスティーブ・ジョブズ登場。さらにApple創立20周年を記念した「Twentieth Anniversary Macintosh」が発表される際、38分30秒あたりでスティーブ・ウォズニアック登場。「Twentieth Anniversary Macintosh」に対するジョブズの無関心ぶりが笑える

 そしてジョブズはその年のうちにAppleの暫定CEOとなり、開発コード名「Rhapsody」の名の下にOPENSTEPのMacへの移植作業が開始される。アメリオはジョブズに追い出されるかたちとなり、上級幹部もNeXT時代からのジョブズの腹心たちにすべてすげ替えられた(映画の中で何度か「アビー」として登場するアビー・テバニアンはジョブズ復帰後にAppleのソフトウェア部門の最高責任者となりMac OS Xの開発を指揮した)。

 こうして2001年、Mac OS Xがリリースされるわけだが、映画「スティーブ・ジョブズ」はあくまでもハードウェアとしてのマシンの発表会を主題としているため、OSをめぐるこれらのエピソードは描かれていない。

 しかし、Appleへのジョブズ復帰の背景には上述した実に波乱に富んだドラマが存在している。今回のこの原稿が、これから映画を観ようとしている方々の予備知識として役に立てば幸いである。

OPENSTEPは開発コード名、RhapsodyとしてMacへの移植が開始される(初期はサーバー用OS向け)。前掲のNEXTSTEPのインターフェースに非常によく似ている。これが現在の「Mac OS」そして「iOS」の前身/原型となっていく


著者紹介――高橋 幸治(たかはし こうじ)

 編集者。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、1992年、電通入社。CMプランナー/コピーライターとして活動したのち、1995年、アスキー入社。2001年から2007年まで「MacPower」編集長。2008年、独立。以降、「編集=情報デザイン」をコンセプトに編集長/クリエイティブディレクター/メディアプロデューサーとして企業のメディア戦略などを数多く手がける。「エディターシップの可能性」を探求するミーティングメディア「Editors’ Lounge」主宰。本業のかたわら日本大学芸術学部文芸学科、横浜美術大学美術学部にて非常勤講師もつとめる。

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