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10周年を迎えたレノボ・ジャパンは未来型企業を目指すという

2015年11月12日 09時00分更新

文● ASCII.jp編集部

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 レノボ・ジャパンは11月11日、10周年記念の記者会見を都内で開催した。中国のレノボが、米IBMのパソコン事業を買収したことを受け、レノボ・ジャパンが発足したのは2005年の4月28日(関連記事)のこと。

未来型企業を目指すためのキーワードは共創だという。

 レノボ・ジャパンの留目真伸代表取締役社長は、10年の軌跡を振り返り、「新しい時代のグローバル企業を作る。これに尽きる」とコメントした。2011年1月に発足し、国内での転機になったNECとの合弁事業にも言及しつつ、「日本人としてグローバル時代をどう生き抜くか。日本のモノづくりを世界規模にして競わせたら何ができるか。その表現の10年だった」とも語った。IBMからのPC事業買収は、レノボがローカルからグローバルの企業へと変わるきっかけであったと同時に、多様性を前提に考え、様々なバックグラウンドの人々が個性を打ち出しながら進む試みだったという。

国内でのPC販売金額は実に4倍、個人向けでは4割のシェア

代表取締役社長の留目真伸氏

 世界のPC市場で現在TOPの位置を占めるレノボ。シェアに関しては2009年の8%から2015年の20.6%へと伸長した。さらに国内市場では、2005年第3四半期の時点で6.2%だった販売台数のシェアが、IdeaPadによる個人向け市場への参入、そしてNECレノボ・ジャパングループの設立などを経て、2015年第3四半期現在で29.0%のシェアへとさらに伸び率が大きい。売上高では実に4倍、さらに個人向けPCに限定した台数シェアでは4割に迫るシェアを持つ。買収による拡大という面があるとはいえ、PCを中心としたIT製品の分野で独壇場を築いている。

 「われわれはパソコンの会社。これは変わらない。ただし、パソコンとはそもそもパーソナルなコンピューターの略。(狭い意味でのPC製品に限定せず)スマホ・タブレット・PC・サーバー・クラウドなどを使ってパーソナルなコンピューティングをいかに浸透させるかが重要。これはミッションであり今後も変えない」

 しかしこうした好調な業績を背景に持ちつつも、企業としてレノボ・ジャパンは転換する必要があると留目氏は話す。

 「一方で、人々がやっていることは変わってない。(これだけ技術が進化した現在でも)コンピューティングパワーのサポートを受けている時間は1日のうちごくわずかだ。技術はすぐそこにあるのに(真の意味での)パーソナル・コンピューティングが実現していない」

 デジタルライフやデジタルワークが進まず、日本のIT活用力が落ちているというこれまでも折に触れてきて主張してきた懸念を改めて示した形だ。

夏のビーチも秋のハロウィンも、次の時代の共創の可能性になる

 こういった状況を踏まえた「Vision2020」、つまり次のレノボ・ジャパンのミッションとして留目氏が示したのが「DREAM」のコンセプトだ。DREAMは「Digital Revolution for Empowering All Mankind」(すべての人々に力を与えるための、デジタル革命)を縮めたもの。レノボ・ジャパンは2020年に向けてすべての人々がコンピューティングパワーを常時使える環境を整え、「未来型企業」を目指していくというものだ。

 その中心になるワードが「共創」。他業界、スタートアップ、生活者などICTの発想を超えた「ものごとづくり」に取り組んでいく。「グローバル企業から未来型企業へ脱皮し、オープンでフラットな共創の世界を作ることが次の時代のレノボ・ジャパンが掲げる目標」だという。

 共創プロジェクトはまだ具体的な形が見えていないが、いくつかの萌芽がみられる。例えば、Lenovo House@由比ヶ浜やSHIBUYA HALLOWEENといったイベントから派生した「地域や都市へのコミットメント」だ。

 これらはもともと、若者のいる場所にデジタル機器を浸透させていくことを主眼にしたプロモーション活動だったが、1年目、2年目と回を重ねる中で、アプリなどを使った地域や街の活性化、ビーチやショップのIT化といったことが実現でき、現状の枠をさらに超える可能性も見えてきたとする。由比ヶ浜であればスポンサー企業の誘致や企業コラボ、インバウンド対応アプリの提供、ITの興味のある人材が集うシリコンバレー化といった地域の活性化。渋谷であれば若手クリエイターが活躍し、店舗のデジタル化、最先端技術の輸入など都市の未来化。これらを共創によって実現する。

 またビジネス分野では法人向けソリューションを拡充する形で業種を超えた先進的なソリューションの開発、個人向けでは新しいITの活用法を模索できるスタートアップ企業などへの援助を通じてITの新しい可能性を示していける。

 もっとも具体的な施策についてはまだ語られていないため、レノボ・ジャパンの言う共創がどのような形で実を結ぶのかは未知数である。共創というが、B2Bソリューションは、そもそも水平分業というか、協業なしには実現しないものでもある。IT業界の外との積極的な協業という意味では新しさがあるが、その枠をどこまで広げようとしているのかも今のところ分からない。追って出てくるであろうレノボ・ジャパンの発表を待つしかない部分だ。また、デジタルライフの拡大のためには、個人の意識を改革するというさらに大きな課題と向き合わなければならない。

日本でThinkPadが生まれたのは必然だったが

hinkPadの父というべき存在の内藤在正氏

 実は今回の会見は、これまでのレノボ(≒ThinkPadに代表されるIBM時代からのPC事業)と、これからのレノボという2本立ての内容になっていた。

 会見では留目氏に先立つ形で、レノボ・ジャパン取締役副社長でThinkPadの父でもある内藤在正氏が登壇し、ThinkPad開発の歴史について紹介している。

 内藤氏はプレゼンの中で「ThinkPadが日本から生まれた理由」について言及した。ThinkPadの開発が始まった1990年代の初め、日本にはIBMの基礎研究を担う数多くの拠点があり、LCD、HDD、低消費電力CMOS、高密度実装基板、チップセット技術、小型製品製造試験などポータブルPCを作るうえで重要な数多くの技術が研究されていた。さらにバッテリーや高効率電源、FDD、キーボード、カーボンファイバーなども日本のメーカーがリードしていた分野で重要な企業が存在した。つまり、ポータブルPCを作るための「要素技術」のすべてが日本にあった。

 だから最初の「ThinkPad 700C」は日本の産業と総合力の賜物だった。日本で開発し、生まれるのが必然だったプロダクトだったと言える。

 では、2015年のいまITの分野で日本発の動きが出る必然はあるのか。あるとしたら何なのか。パソコンの利用法が変わらない、デジタルライフが浸透しないといった課題に取り組むうえで求められるのは、やはりThinkPadが誕生したときに匹敵する「日本発の必然」が必要なのではないかと感じる。「ThinkPadによって、会社の外に仕事を持ち出す自由がもたらされた」と内藤氏は話すが、レノボ・ジャパンが未来型企業を目指すのであれば、日本でなければできないものを世界に対して発信していくものであってほしいと思う。

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