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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 ― 第325回

スーパーコンピューターの系譜 開発中止となったBurroughsのBSP

2015年10月12日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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 スーパーコンピューターの系譜。今回からは、これまで取り上げてこなかったスーパーコンピューターのシリーズを紹介したい。まずはBurroughsのBSPである。

画像はBurroughsが手がけたBSPの前身「ILLIAC IV」

9大メインフレームメーカーのうちの1社
Burroughs

 Burroughs(バローズ)という会社は、古い人なら聞き覚えがあるかもしれない。ちなみに創立時の名前はAmerican Arithmometer Companyなのだが、創立したWilliam Seward Burroughs氏が1898年に逝去した際に社名をBurroughs Adding Machine Companyに変え、それが残った形だ。

 さらに余談であるが、このWilliam Seward Burroughs氏の孫がWilliam Seward Burroughs II、日本では「裸のランチ」とや「ジャンキー」などの著作で有名な作家ウィリアム・バロウズである。

 なぜ会社は「バローズ」なのに人名は「バロウズ」なのかは謎だが、最初に翻訳した人の訳し方がそのままになっているのであろう。

 Burroughsそのものは“Burroughs Adding Machine Company”(バローズ加算器会社)という名前からもわかるとおり、機械式計算機を作る会社で、そこから事務機械全般に手を伸ばし、最後にコンピューターに移行することになった。

 このあたりはIBMがパンチカードを作る会社からスタートし、途中さまざまな事務機械(IBMの電動タイプライターは、古い人には大変懐かしいと思う)などに手を出しつつ、最終的にコンピューターメーカーに移っていった歴史に近いものがある。

 1960年代、米国には大きく9つのコンピューターメーカーがあった。IBM、Honeywell、NCR Corporation、CDC、GE、DEC、RCA、Sperry RandとBurroughsである。

 このうちDECはメインフレームを製造しておらず、残った8社のうちIBMを除く7社の売り上げ合計を足してもIBMに及ばないということで、“IBM and the seven dwarfs(IBMと7人の小人)”という呼ばれ方をしていた。

 CDCのその後は、連載274回で説明した通り。Honeywellは防衛産業に傾倒してゆき、最終的にコンピュータ事業を仏Bullに売却してしまう。NCRはAT&Tに買収され、RCAもGEに買収される。Sperry Randはその後UNIVACと名前を変え、さらにBurroughsと合併してUNISYSとなる。

 GEは? というと、あっさり計算機ビジネスから撤退。DECもCOMPAQに買収され、その後HPに買収されるといった具合に跡形もなく消えている。

 それはともかくとして、こうした企業統合の中で、それでもメインフレーム向けの製品ラインを維持しているのはIBMとUNISYSのみである。

※お詫びと訂正:記事初出時、Honeywellは最終的にGEに買収される。と記載しましたが、正しくは仏Bullに売却となります。記事を訂正してお詫びします。

1972年当時、3100万ドルかけて開発し
15MFLOPSの性能だった「ILLIAC IV」

 話をBurroughsに戻そう。同社の主力製品はメインフレーム機で、1961年に発表したB5000以降B5500、B6500/6700、B7700、...と数字を増やすごとにどんどん性能を高めたシステムをリリースする。

 その一方、B2500やB1700、B700...と性能を下げた小型かつ廉価なマシンもラインナップしていき、1980年代にはIntel 8086/8088をベースにしたB20/B25というパーソナルコンピューター(IBM PCとは互換性なし)を出すなど、幅広い展開を見せていたのは、コンピューターメーカーとしては当然だろう。

 そしてラインナップを増やすとなると、当然科学技術計算向けのスーパーコンピューターも視野に入ってくる。

 もっとも同社の場合、ここでいきなり黒歴史入りのモノが出てくる。インテルのParagonを解説した連載283回の時に、イリノイ大学のILLIAC IVという悪評高いシステムがあることを紹介した。実はこのILLIAC IV、イリノイ大学とBurroughsの共同開発なのである。

ILLIAC IV。画像はComputer History Musiumより

 ILLIAC IVは128プロセッサーものシステムで、「ヘネシー&パターソン コンピュータアーキテクチャ 定量的アプローチ」(通称:ヘネパタ本)によれば、64個の64bitプロセッサーを並べて巨大なSIMD演算をさせるという、ある種猛烈な構成だったらしい。

 最初は1000MFLOPSを実現する計画だったが、1972年に安定稼動時の実性能は15MFLOPS程度。コストは1966年には800万ドルと見込まれていたのが、1972年には3100万ドルまで膨れ上がったという。

 ちなみにヘネパタ本によれば、この金額を2011年の貨幣価値に直すとそれぞれ5400万ドル、1億5200万ドルに相当するとの話だった。これだけの金額をかけて15MFLOPSでは、さすがに「もっとも悪名高いスーパーコンピューター」とまで言われても仕方がないかもしれない。

 もっとも1度の失敗でへこたれていたら話にならないわけで、ILLIAC IVの開発作業がほぼ完了した1973年の初頭に、Burroughsの開発陣は次のアーキテクチャーに取りかかる。4年後の1977年にこれはBSP(Burroughs Scientific Processor)として発表された。

→次のページヘ続く (複数のスカラープロセッサーでベクトル処理を可能に

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