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日本のITを変える「AWS侍」に聞く 第6回

JAWS-UG札幌から生まれた人脈で1次産業のIT化にチャレンジ

介護とリモート勤務、次は牛?波瀾万丈な田名辺さんの半生

2014年09月17日 09時00分更新

文● 大谷イビサ/TECH.ASCII.jp 写真●曽根田元

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  • 本文印刷

JAWS-UG札幌で活躍している田名辺健人さんは、東京の印刷会社に所属しながら、札幌でリモート勤務するというユニークな経歴を持つ。こうした新しいワークスタイルを可能にしたクラウドの魅力とJAWSとの関わり、そして田名辺さんが始めた新たなチャレンジについて話を聞いた。

本連載は、日本のITを変えようとしているAWSのユーザーコミュニティ「JAWS-UG」のメンバーやAWS関係者に、自身の経験やクラウドビジネスへの目覚めを聞き、新しいエンジニア像を描いていきます。連載内では、AWSの普及に尽力した個人に送られる「AWS SAMURAI」という認定制度にちなみ、基本侍の衣装に身を包み、取材に臨んでもらっています。過去の記事目次はこちらになります。

ブログ製本サービスがブレイク!そこでAWS

 北海道出身の田名辺さんが東京の欧文印刷に入社したのは、今から13年前までさかのぼる。工学系の大学に所属していた田名辺さんだが、「PC-98のプログラムがよくわからなかったのでパソコンは嫌いだった。でも、Macintosh SE/30のMathematicaで衝撃を受け、Macに惚れ、Macでできる仕事を探した」とのことで、DTPやデザインの道に進む。当初は大学の先輩の紹介で音楽事務所に勤務、ファンクラブの会報やコンサートのチラシなどを作っていたが、知人の紹介で欧文印刷に就職することになる。

JAWS-UG札幌の田名辺健人さん

 欧文印刷はマニュアル系などの印刷を手がける東京の会社だが、DTP用のMacを日本で初めて導入したり、尖ったことの好きな社風だという。田名辺氏は当初からエンジニアとして勤務していたが、「Quark XpressやInDesign、Illustratorをデータベースとからめて、カタログや名刺を自動で組版するようなシステムを作っていた」とのことで、社内システムを構築していた。しかし、2004年頃にインターネットを使って、なにかビジネスできないかという話が持ち上がり、田名辺さんの部署では名刺の受発注システムを構築。これが社外向けサービス構築に携わるきっかけとなった。

 田名辺さんがクラウドと関わるようになったのは、2006年に立ち上げた「MyBooks.jp」からである。これは提携しているアメブロやライブドア、mixiなどのブログにある旅行記や子育て日記などを印刷・製本するサービス。セルフサービスで製本まででき、子育ての記録などを記念に残したいというニーズに応えるというものだ。

 当初はオンプレミスでサーバー3台で構築していたMyBook.jpだが、実は2009年にはAWSに移行することになる。「提携先の大手が年末年始の記事を製本するというキャンペーンをやってくれたんです。そのキャンペーンが大当たりして、正月明けに仕事に来たら、大変なことになってました」という事情だ。

 オンプレミスの3台のサーバーではまったく太刀打ちできかったが、かといってキャンペーンのためにサーバーを導入するのも難しい。しかもサービスの性質上、ストレージを食うため、レンタルサーバーだと価格やスペックが見合わず、頭を抱えた。「ソフトを書き直したりしたんだけど、全然焼け石に水だった」とあきらめかけたときに、友人の助言でたどり着いたのがAWS。わらをもつかむ気持ちで、当時の北米の東海岸にしかなかったEC2を使ったら、すべての悩みが解消したという。

「キャンペーンが大当たり。正月明けに仕事に来たら、大変なことになってました」

震災、両親の病気、そして札幌のリモート勤務へ

 今までの常識を覆すクラウド体験を経て、田名辺さんはMyBooks.jpシステム全体をAWSに移すことにする。そして、2011年の東日本大震災。「本当にNASが宙を舞ったんです。震災前は、あんなものが飛ぶとは思いませんでした」とのことで、災害対策やBCPの重要性を痛感。Webサービス向けのシステムに加え、2011年3月中には社内の開発用システムもクラウドに移行する。

 2011年は震災と共に、田名辺さんに大きな転機が訪れる。北海道の実家にいる難病指定されていた両親の病気が悪化してしまい、近くでサポートする必要が出てきたことだ。とはいえ、札幌に移住するとなると、欧文印刷は辞めなければならない。とはいえ、サービスに愛着もある。田名辺さんは悩んだ。

「札幌に移住するとなると、欧文印刷は辞めなければならず、悩みました」

 そこで会社と話し合った末でてきたのが、札幌でのリモート勤務。もともとシステム自体はすべてクラウドにあるので、東京のオフィスで作業を行なう必然性は乏しい。そこで、実際にSkypeやGoogle Appsなどを使って、東京のオフィスと自宅でリモート勤務を1週間程度試し、問題ないことを実証したという。

 会社との折衝を終え、田名辺さんが家族と共に東京を出発したのが、冬の訪れが近くなってきた2011年の10月。「1週間くらいかけて、家族でキャンプしながら車で札幌までやってきた。札幌の家も決めてなかったので、宿なし状態だった(笑)」(田名辺さん)が、札幌に到着後一軒家を借りられた。「以前に比べたら、家賃半分で、広さは5~6倍。ただ、古い木造住宅なので、最初は寒くてつらかった」と振り返る。

(次ページ、JAWS-UG札幌で培った人脈がその後も活きる)


 

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