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販売促進のキーマンが語る国産PCサーバー誕生秘話と革新の歴史

顧客の声からこだわりは生まれる!Express5800の20年を探る

2014年09月17日 15時00分更新

文● 大谷イビサ/TECH.ASCII.jp 写真●曽根田元

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【1994~1998年】オープンシステムの旗手としてNo.1を目指す

 オープンシステムの旗手として生まれたExpress5800が背負ったのは、シェアNo.1を獲得するという使命だ。そのため、世界初を目指し、顧客の声を活かした商品開発のほか、プロモーションや販促、パートナー開拓にも注力した。

【1994~1998年】オフコンからオープンシステムへ

 まず取り組んだのはExpress5800の認知度アップだ。「他社と同じことはやらない」をテーマに、PCサーバーとして国内初のTVCMを打ったほか、Webページを立ち上げたり、日経新聞の見開き全面広告の掲載など型破りなプロモーション施策に挑んだ。プロゴルファーの福嶋晃子さんを広告に起用したのもこの頃である。

 そして、「ExpressWorld」というプライベートイベントでは、10万人の入場者を目標に掲げた。販売店やパートナーとともに1997年から始めたイベントは3年間続き、当初1万人だった入場者数は3万人まで拡大した。「世界初の8Wayのサーバーを16ノード並べて、128CPUを1つのシステムに見せるといった新商品リリースの場でもありました」(寺村氏)。オープンシステムへの時代のうねりを、まさに体現するようなイベントだったようだ。

世界初の8Wayのサーバーを16ノード並べて、128CPUを1つのシステムに見せたExpressWorldの展示

 また、ファーストコンタクトセンターやリセラー向けのサポートセンターもいち早く立ち上げた。導入前の相談や商談に対してスピーディな顧客対応を可能にしたほか、NECフィールディングによる保守網を全国津々浦々に行き渡らせたことで、どこでも安心してサポートを受けられるようにした。

 垂直立ち上げのためには、ISVなどのパートナー作りも重要だった。たとえば、UPSやバックアップ、運用管理といったサーバー商品に不可欠なソフトウェア/ハードウェアベンダーとの連携強化、アプリケーションベンダーとの協業を進めた。もちろん、オープンシステム・PCサーバーのビジネスを立ち上げたいと考えるマイクロソフトやインテルとの強力のパートナーシップもこの時期から生まれたものだ。「当時のサーバベンダーはUNIXサーバーを中心に販売していましたが、 国内で積極的にPCサーバーにフォーカスしていたのはNECでした。当初から、マイクロソフトやインテルとは戦略的な協業体制を敷いていました」(寺村氏)。こうした協業をはじめ、単一メーカーとしての立場を越えたさまざまな活動が、結果的に国内IAサーバー市場形成に大きく貢献することになる。

 もっとも大きいのは、販売店の開拓だったという。「全国にあるオフコンの販売店様を訪問し、商品を説明して回りました。オフコンを売っていただいた販売店様が、今までと異なるPCサーバーという商品を無理なく売れるような仕組み作りに取り組みました」(寺村氏)とのことで、パートナー制度や教育プログラムを創設し、時には販売店といっしょに顧客の元に出向いた。

「オフコンを売っていただいた販売店様がPCサーバーを無理なく売れるような仕組み作りに取り組みました」(寺村氏)

 商品・施策面で積極策を展開し、好調な滑り出しを切ったExpress5800シリーズだが、1995年には700シリーズ、1997年には50シリーズ、600シリーズを発売。1998年にはEnduranceシステムを発売した。こうした中、積極的な商品の投入と地道な施策により、発売して3年目でシェアNo.1を獲得。1998年には累積10万台を突破し、現在に至るまで18年間シェアNo.1※をキープし続けている。

【1999~2003年】ダウンサイジングと価格競争の激化

 1999年頃からはダウンサイジングがもてはやされ、本命とされたWindows 2000の登場でPCサーバーの市場はますます拡大。NECは2001年にPCサーバーで世界初のftサーバーを発売、2002年に国産初のブレードサーバを投入し、ラインナップを拡充した。

【1999~2003年】ダウンサイジングと価格競争の激化

 この時期、特筆すべきは、価格競争が激化した点だ。2002年頃、ダイレクト販売を売りにした低価格サーバーが台頭し、PCサーバーは中小企業やSOHOまでその裾野を拡げた。これを受け、NECは2001年にはじめて10万円を切るサーバーを市場投入し、2002年7月にはダイレクトWebサイト「得選街」を立ち上げた。2003年にはWeb販売メインの低価格なGモデルを追加し、「こだわり」と「低価格」の二極化ブランディングを進めた。「お客様が自分でサーバーを買うようになり、スモールビジネス向けの販売層に変わってきて、価格が重視されるようになってきました。そこで、メインのラインとは別に、価格重視で作ったのがGモデル。1つの契機だと思います」(寺村氏)。

ダイレクト販売を意識した低価格なGモデルの広告

(次ページ、【2004~2014年】仮想化と省電力、そしてクラウドへ)


 

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