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なぜJustin.tvの終焉がベッドルームvlogの終わりを意味するのか

2014年08月21日 16時37分更新

文● Stephanie Chan via ReadWrite

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下世話な話の魅力は信憑性に勝る

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ストリーミング動画サイトのJustin.tvが、先月その7年間(と6月1日から2ヶ月間に渡る警告)の歴史に幕を閉じた。 筋が通る推測として、まだ決定したわけではないがGoogleがJustin.tvの姉妹サイトであるTwitch.tvを買収する事が背景としてあるのではないかと噂されている。

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Justin.tvが終わることで、ベッドルームからのビデオブログ、もしくはvlogの時代もまた、終わりを迎えるのかも知れない。

2007年に始まったJustin.tvは、新種の民主主義的ライブストリーミングとして急激に人気を博した。誰でもWebcamを設置し、自分のありのままの姿を放送できた。放送は主に自宅内からで、Webcamを持っている物同士ならコミュニケーションを取ることも出来、彼らオーディエンスもライブに参加する事もあった。またそれを覗き見するような感覚に皆湧いたものだ。

投稿のクオリティが上がり、広告やマネジメント、エージェントが幅を利かせるようになり、投稿者が皆基本的にスターになるまでは、Youtubeもベッドルームvlogもその原理は同じものだった。

投稿の多くは若干の編集のみで、ほとんどは自分のカメラの前でベッドルームに腰掛け、取り留めもないことをするくらいのものだ。

ネット上の架空の物語、Lonelygirl15は、ベッドルームvlogが口コミで広がっていく手法を丁寧に踏襲し、2006年にYoutubeのスターダムに上り詰めた。視聴者はティーンエージャーの女の子が自分の人生について語るのに引きこまれた。

ベッドルームvlogの信憑性とそのリアル感から、視聴者は彼女が普通の女の子であると信じこんだ。後にこれは当時のオンラインビデオの状況を真似て作られたドラマであることがわかったが、そうだとしても、Youtubeでもっとも購読されている投稿の一つとなった。

視聴者は検閲されてない人生というアイデアに引き寄せられる。これは個人の日記のビデオバージョンと言ってもいい。しかし日記は更にオープンな形でブログとして(そして更には個人のサイトで)公開されるが、ベッドルームvlogの持つ素のリアル感や「意識の流れ」といった特性は、これから先、作りこまれた仕事に敗れることになるのだろうか。

ベッドルームvlogでネット上で成功出来たのはもはや過去の話だ。気まぐれで一所に留まらないオーディエンスが今欲しがっているのは、音楽であり眩しい映像であり、終わることのないめまぐるしい展開だ。Youtubeが巨大な存在になり、オーディエンスは作りこまれたコンテンツを欲しがるようになった今、ベットルームvlogは存在感を失った。

Justin.tvの終焉は、ベッドルームvlogにとどめを刺すのかも知れない。
vlogはオンラインビデオが正当なメディアの情報源として認められるのに貢献した。これらの中で生き残っていくのはきちんと作りこまれたものだけだろう。

Stephanie Chan
[原文]


※本記事はReadWrite Japanからの転載です。転載元はこちら


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