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あなたは一週間スマートフォンなしで過ごせる?

2014年08月10日 07時00分更新

Matt Asay via ReadWrite

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一週間「スマートフォン断ち」してみた。以下がその記録である

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まず一週間スマートフォン断ちした話を進める前に言っておかなければいけないことがある。実の所、ズルをした。

言っておくが大きな不正ではない。ReadWriteの編集長、オーウェン・トーマスが一週間モバイルデバイス無しで過ごしてみて、その体験を記事にするよう呼びかけていたので、私が協力した。全然大したことじゃないだろう思っていた。

しかしこれがしんどかった。

スマホのない生活なんて

私自身、iPhoneやKindle Paperwhiteについてかなり依存していることから、ある程度の禁断症状に襲われる事は予想していた。

しかし世間がますますモバイルデバイスありきになってきているという点は想定外だった。空港でのチェックインから、電話を掛けること(忘れられがちかも知れないが、これも立派なスマホの機能だ)、旅行先(例えばアトランタとか)での自分撮りに至るまで、スマホは持ってて当然になっている。

持ってないならないで方法はあるが、その手間に見合うものではない。

携帯デバイスを使えない一週間は気分のいいものではなかったが、妙な充実感があった。自分がなぜモバイルデバイスを使うのかについて再考させられる一時だった。

1日目:安息日を忘れずに、携帯デバイスから離れよ

私は信心深い方なので、日曜を大事にする。「汝、携帯デバイスを触るのを休め」というのは厳しい戒めではないだろう。少なくともこれまではそう思っていた。しかし朝の6:30にもなると早速支障が出てきた。通知機能をOffにするのを忘れていたため、スマホはメッセージの受信ですでに唸りをあげていた。

これらの着信は、今回の企画のルールがあるため、無視しなくてはならない。

非常に非キリスト教的なボヤキを入れた後、Macのメッセージアプリとスカイプを立ち上げてこの件は解決した。

私は自分でも分かってるアップル信者であり、この企業は私のような人間がiMessageを通じて他のMac、iPad、iPhoneユーザーと容易にメッセージをやりとりさせてくれる。Android、あるいはWindows Phoneを使っている知り合いとはSkypeを使う必要があるが、この場合問題となるのが、テキストを送ることはできても受け取ることが出来ない点だ。これはお金を払ってSkypeナンバーを持っている場合でも変わらない。結局知り合いが私に連絡をとろうとすると、週一くらいしかチェックしないSMSに送らざるをえないのだ。

電報のほうがまだ手っとり早いのではないだろうか。

電話を掛けることも出来ない。今週に限って使える電話を持ってないからだ。かつて公衆電話が至る所にあったが、西側諸国に置いては既に見られなくなっている。更には携帯電話を持っているため、家にも電話はない。(恨むぞオーウェン・トーマス!)

メッセージの送受信が出来るGoogle Voiceはベターな選択のようだが、一から設定するのはやりたくない。

この日は時間が経つと共に悪いものになっていった。教会での暇な時間を、私自身サポーターでもあるアーセナルFCのニュースを隠れてチェックする事で潰すことも出来なかった。夜にはKindleで読んでいたツルゲーネフの「父と子」を読み進めることも諦めざるを得なかった。やろうと思えばMacのKindleアプリで読むことも出来るのだが、デスクトップでの読書は辛いのだ。

というわけで、その日は早く床につくことにした。電話もないのに起きてて何をするというのだ。

Uber

スマホがなければUberも使えない

2日目:携帯デバイスを持たない日と月曜日はいつも鬱な気分になる

しかしなぜ私はオーウェンの話を引き受けたのだろう。あまり移動しない人にとって、なんと言うことはない挑戦に思える。しかし私は仕事であちこち駆けまわっており、今週もそれは変わらない。

まずニューヨークまで飛行機で行かなければならず、この時点でまず問題がある。私はいつもデルタ航空のアプリでチェックインを行っており、このアプリを使ってシートの変更やアップグレードの状況確認なども行えるのだが、今日はこれを使えないので搭乗券を印刷しなければならない。

また思いも寄らなかったことだが、スマホがなければUberでの配車も出来ない。今朝のタクシーの手配は、様々な理由もあり複雑だ。結局Uberとデルタ航空の件ではルールを破ることにした。(すまないオーウェン、最後までやりきろうという意思はあるが人とは弱い生き物なんだ)

昔は飛行機が飛び立ったら携帯電話を仕舞うしかなかったが、今日ではFAAが機内での携帯デバイスの使用についての規則を撤廃したため、高度10,000フィートに達してGogo Wi-Fiコネクションでネットにつながるまでの耐え難い30分をどうするかを考えなければならなかった。

JFケネディ空港で長いタクシー待ちの行列があったので、ここでもズルしてUberを使い、市内にあるMongoDBのオフィスに向かう足を得た。
この時点ではまだ、携帯デバイスを永遠に手放す事は可能であるように思われた。

… 少なくとも娘とウェストビレッジで食事をするために道を探さなければならなくなるまでの話だ。ラップトップを使ってバルブートまでの最短経路を探し、それを記憶して外に飛び出した。しかし誰かにあった瞬間記憶は飛んでしまい、またGoogleマップで道を探すハメになった。

 これまでの戦績 : 筆者 vs. 携帯デバイス 0 – 4

3日目 (火曜日)

携帯デバイスが使えないという悪夢は目が覚めた瞬間から始まった。普段、携帯は目覚ましも兼ねている。オーウェン・トーマスのおかげで昨晩は目覚まし時計の設定の仕方を調べなければならず、もし設定が失敗していたらと考えホテルにもモーニングコールを頼んだ。そして朝の5時、その両方にたたき起こされた。

決していい気分ではない。

エクセサイズの時に音楽も聞けず、ラガーディアからアトランタまでのフライトのチェックイン、更に空港からミーティングが控えてるBuckheadへの交通もままならず、ランチの約束に遅れる連絡も出来ない。

このチャレンジでいいことが一つあったとしたら、InstagramやFacebookで知り合いが旅行を楽しんでいる様を見ずにすんだことだろう。どちらもラップトップからみることはできるが、あのアイコンや通知がなければ、チェックしようという気にならない。

しかしながら知り合いと繋がりが無くなるということは、家族とも同様に繋がりをなくすということだ。末娘への本の読み聞かせは、一週間ひたすら耐えた私を癒してくれる、愛してやまないルーチンである。それもオーウェン・トーマスとホテルのチャチなWi-Fi(これも彼のせいという事にしておこう)のせいで台無しにされてしまった。普段ならKindleの朗読をFacetime越しに聞かせてやるのだ。

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代わりにKindle Cloud ReaderとSkypeを試してみたが、音質は酷いものだった。Skypeの音声が何度も途切れるのを我慢していたものの、結局諦める事になった。

4−7日目(携帯無し生活のプラス面)

この週の残りは時間が経つに連れ、ある意味で良くなり、またある意味では悪くなっていった。悪くなっていったというのは、時が経つに連れ西側諸国はモバイルありきで作られているということを嫌というほど分からされた事だ。

たとえ表を走るとか自転車に乗るといった様なシンプルな楽しみにおいても、タイムや走行距離を計測するのであれば携帯デバイスは必要になってくる。(Run/Ride nakedというムーブメントもあるが、私はこういった計測を行っている)

iPhoneが手元にあるだけでより簡単に、より便利になることは多くある。

しかしながら(ほぼ)携帯なしの生活を一週間おくったなかで、気づいたことがある。自分で考える事の大事さだ。ニック・カーがいうように、Google(もしくは携帯デバイス)は我々を馬鹿にしようとしてるのかも知れないが、ハッキリ分かることは携帯デバイスによって自分がかつてより落ち着きなく、思慮深さに欠けるようになっているという点だ。携帯デバイスを断ったこの一週間、或る種の平穏を再発見することが出来た。

携帯デバイス無しでの最初のフライトは悲惨なものだったが、4回目のフライトにもなると、一種の救いのようにも思え、待ち望むようになった。

そして、少なくとも今しばらくのところはだが、私の習慣もリセットすることが出来た。ユタまで車で帰る時、赤信号のたびにスマホをチェックする事はなくなった。

実の所、静寂を気に入った。あるアドバイスに従い、携帯デバイスの通知を全てOffにし、メールの受信もマニュアルで行うようにした。(こうすることでバッテリーの持ちも格段に良くなる)またジムなどに行く際にスマホをもって行かなくなった。

奇妙かも知れないが、実際の話だ。

もう一週間モバイル断ちをすることはないだろう。バケーションなら可能性はあるが、かなりの移動を伴う平日に行うことはない。

しかしバケーション先でも携帯デバイスを使う実用上の理由はある。道や情報を調べたり、子供が何処かに行ってしまわないよう監視したりなどだ。

ゴールは自分の人生から携帯デバイスを完全に排除することではない。あくまでバランスを取ることだ。携帯デバイスをただ要求するのではなく、それが本当に必要な時というものを理解することで、自分自身の世界に対する直観を取り戻せるのだ。

画像提供:Madeleine Weiss

Matt Asay
[原文]


※本記事はReadWrite Japanからの転載です。転載元はこちら


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