データ消失事故から2年!ファーストサーバ、再生への第一歩 第1回
前代未聞のデータ消失事故の真実を追う
データ消失!あのとき、ファーストサーバになにが起こったか?
2014年07月23日 09時00分更新
鳴りやまない電話とFAX!長期戦の様相へ
開発・運用担当が原因究明やデータ復旧、サービスの再開を進めている横で、サポートや営業部ではいっせいに電話が鳴り始めた。電話回線がパンクし、自社のメールサーバーがダウンした中、FAXがひたすらどんどん送られてきたという。サポートを担当する大西圭一氏(営業部 部長補佐 カスタマーグループ担当 以下、サポート大西)、営業の小島健司氏(営業部 部長 以下、営業小島)はこう語る。
サポート担当大西:1時間に2000件の電話がかかってきました。メンバーも10名そこそこしかいないのに加え、状況や納得いただける説明ができず、1件当たりの対応が1時間におよぶこともありました。そのため、応答率は0.01%という感じになっていました。
営業担当小島:今まで単体のサーバーが壊れた場合はお客様に状況を説明する体制ができていたが、大量のお客様のデータが同時になくなるという事象が想定外でした。しかも、メールが使えず、サポートWeb自体も飛んでしまったので、「データ戻せないなら、別のところに移る!」といった電話をたくさんいただきました。情報を整理してお伝えすることができず、「とにかく早くサーバーを復旧してくれ」というお声をいただく一方でした。
事故後3日目の昼からはある程度のキャパシティのコールセンターを確保し、徐々にではあるが、顧客の問い合わせに対応できるようになった。
サポート担当大西:電話はほとんどが事故対応のお客様で、通常のお問い合わせはつながらない状態でした。一方、メールは事故対応と通常対応の部隊を分け、15時までに着信したメールの内容は当日中に戻すというポリシーを守れるようにしました。
事故から1ヶ月後、データ復元は断念
こうしてデータの復旧はままならず、問い合わせも引きを切らず、事故対応は長期戦の様相を呈することになる。こうした中、ファーストサーバは障害対応とともに、既存のサービスへの対応も正常化させていく体制が求められた。運用を手がけていた松本和久氏(運用部部長 以下、運用担当松本)はこう語る。
運用担当松本:事故の対象のお客様は全体の1割だったので、残り9割のお客様は普通にサービスを使い、普通に問い合わせをしてきます。だから、全員が事故対応にかかりきりで、その他のお客様を放置してしまうわけにいかないんです。事故対応に深夜までかかって、翌朝誰も来ませんということにならないよう、事故対応とそれ以外の担当をどのように配分していくか考えるのが大変でした。
社外用のサポートWebを同日の深夜に復旧し、ようやく最新状況を逐一発信する体制が整った。翌朝からはデータの入っていないサーバーを再納品する作業を開始。事故当日はもちろん、全社夜を徹してフル対応する体制が2~3日は続いた。管理部の小川優樹氏(現管理部部長 以下、管理部小川)や小島氏、広報担当の阪井千恵美氏(マーケティングコミュニケーション部 広報・ブランドマネジメント担当 以下、広報担当阪井)はこう語る。
管理部小川:まず大代表にもかかってきたので、その電話の対応をしました。徹夜の作業になったので、宿泊場所や食事の手配などをやっていました。
営業担当小島:最初の2~3日目はみんな家に帰らず、会社に缶詰で対応していました。でも、長期戦になるから、ちゃんと休まないと保たないということで、強制的に帰るようという通達が来ました。
広報担当阪井:普段はメディアの方々から電話が来ることはあまりないんですけど、新聞に載ったのがきっかけで、取材の依頼が殺到しました。ただ、当時は広報という明確なポジション体制がなく、とにかく事故対応が最優先だったので、対応が後手後手に回りました。
こうした精力的な活動もむなしく、業者と共にHDDを検証した結果、データを完全に復旧するのは難しいことがわかった。そして、事故の1ヶ月後にデータ復元の断念を顧客に通知することになる。
社長室村竹:「過去、何年分のデータ全部消えちゃったんだけど、どうしてくれるの?」と言われるのは、やはり本当につらかった。お客様の事業の積み重ねをわれわれのミスで消してしまった。でも、なにもできませんでした。
第2回に続く。
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