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フェイスブックの Oculus 買収に対し、クラウドファンディング出資者たちには文句を言う資格があるか?

2014年04月04日 22時06分更新

文● Matt Asay via ReadWrite Japan

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初期の出資者たちは皆フェイスブックの Oculus 買収に文句を言っている。しかし、今更じたばたしたってどうしようもないのだ。

Oculus

Kickstarter での240万ドルの出資から始まったプロジェクトが、ちょうど2年後にフェイスブックによって20億ドルで買収されるに至ったのは、実に素晴らしいことだ。だがウォールストリートジャーナルによると、Kickstarter における9522人の出資者たちは「彼ら」のプロジェクトが「売られた」ことで、騙されたと感じているという。

気持ちはわかるが、そのような反応は非現実的だ。ユーザーのコミュニティーであれば、その製品が買収される際には配慮されて然るべきである。しかし利他的な出資者たちは何も期待すべきではない。彼らはとにかく、出資の際に約束されていたポスターやTシャツを手にしたのだから。


オープンソース利益の源

我々は何年もの間、オープンソース・コミュニティーで同様の現象を目の当たりにしてきた。ベンチャーキャピタリストや企業が一旦スタートアップに資金提供を開始してオープンソース・プロジェクトの面倒を見始めたならば、最良の道は買収されるか上場するかであるというのは当然の結末だ。多くの開発者がこれに悩まされてきたのだ。

オープンソースの著名人エリック・レイモンドが、VA Linux のIPO(新規株式公開)での大儲けをどうすべきか悩んでいたことは記憶に新しい(その株がどれだけ早く急降下したかを思えば、恐らく彼は悩む必要はなかった)。そして彼ほどの幸運にあずかれなかった他の人々は、企業やその従業員が、他人から提供されたコードによって莫大な利益を得ることは果たして公正なことなのだろうかという疑問を抱いた。

数年後、MySQL、JBoss、SpringSource、XenSourceその他多くが、コミュニティーを離れて新たなオーナーから数億ドルを獲得する決断を行った。こうした新しいプロジェクトの一貫しない業績を見る限り、自分たちが提供したコードはプロジェクトにちゃんと貢献できているのだろうかと開発者たちが疑問に感じるのも理解できる。

答えはノーだ。それは期待できない。とにかく確実なことは何も言えないのだ。

ブライス・バイフィールドは「フリー・ライセンスのソフトウェアが約束する唯一の見返りは、あなたの仕事に対する信用だ」と言ったが、彼は正しい。それ以上のことは期待するべきではなく、信用を得られるだけでも幸運なのだ。

ありがたいことに、こうしたオープンソース・プロジェクトの買収に際しては一般的に、そのコミュニティーを大切に扱う必要性が認識されている(必ずしも成功するとは限らないが)。例えばオラクルは、MySQL コミュニティーへの対応に関して大きな非難を浴びた(私自身も非難を行った)。しかし実はオラクルは同社なりに、 MySQL 製品の管理者としての役割は立派に務めているのだ。競合である PostgreSQL の人気が上昇しているため、オラクルも今後はコードと評判の両方を維持するために、MySQLコミュニティーを満足させる新たな方法を見つけることだろう。


コミュニティーは最大の防御である

オープンソース以外にも同じことが当てはまる。最近のソフトウェアやサービスの多くは無料だ。ユーザー(あるいは開発者)の評価は、与えられたアプリやサービス、GitHub repo への注目度という形で反映される。製品のユーザー・コミュニティーを粗雑に扱う企業は、そのコミュニティーを失うというリスクにさらされてしまう。そしてコミュニティーというのは、拡大解釈すれば、買収の際に重要となる製品自体の評価にも影響するのである。

例えば Instagram ユーザーは、フェイスブックによる買収に不満を唱えた。しかしフェイスブックは、Instagram のフェイスブック化を強いることなく一貫してサービスを改善することで、自身が優れたオーナーであることを証明した。

しかしながら Oculus の場合は、なだめるべき対象、すなわち開発者のコミュニティーもユーザーのコミュニティーも存在しない。Oculus がクールであると感じ、この次世代の仮想現実に資金提供して支援しようと考えた、数多くの一般投資家たちが存在するだけだ。マルクス・ペルソンは、「私はフェイスブックによる買収額を吊り上げるために、第1投資ラウンドで1万ドルを出資したわけではない」と文句を言っている

彼は良くやってくれた。本当にそう思う。

しかし「良くやってくれた」というのは、「その将来に関して Oculus が意見を求める責任がある」という意味ではない。彼はプロジェクトのスタートを支援した。しかしだからといって、そのプロジェクトの方向性について発言権が与えられた訳ではない。小口投資家とは違うのだ。Oculus は2回目の資金調達ラウンドで、アンドリーセンホロウィッツ(Andreessen Horowitz)からベンチャー資金を受け取り、Kickstarter 出資者達は事実上無関係となった。

アンドリーセンホロウィッツのように、さらに9000万ドルを投資するのであれば、取締役会レベルで直接の発言権が与えられる。あるいは、プロジェクトに関する口うるさいユーザー・コミュニティーの一員になれば、プロジェクトの方向性に関する間接的な発言権を得たことになる。しかし、熱心な初期出資者であっただけでは、今や20億ドルもの価値を持つに至ったクールなものを、最初に支援したという先見性に対する賛辞以外、何の利益も得られないのだ。

だがそれでも十分素晴らしい事ではないか。


画像提供:Shutterstock

※本記事はReadWrite Japanからの転載です。転載元はこちら


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