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World of Tanksの世界へパンツァー・フォー 第10回

74式の試作車両などTier5~10のWorld of Tanks日本戦車を解説

待望の自衛隊車両だ! WoT日本戦車14両の基礎知識その2

2014年02月28日 18時00分更新

文● 有馬桓次郎

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日本の戦車開発史その5
10年の断絶を経て日本戦車再び起つ!

 1945年8月15日、日本は無条件降伏により連合国の軍門に下った。

 日本に進駐した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、ポツダム宣言執行のため多くの政策を占領下の日本に課したが、その最初の政策こそ日本の非軍事化だった。これにより日本陸海軍はすべての兵器を廃棄した後に解体され、日本戦車の系譜もここで一旦途絶えることになる。

 だが、1950年の朝鮮戦争勃発とともに状況が一変。朝鮮に派遣されることになった駐留部隊の代わりに、日本の防衛と治安維持を担う警察予備隊(その後、陸上自衛隊に改組)が創設され、アメリカから供与されたM4中戦車やM24軽戦車で再び戦車部隊が組織されることになった。

 これらの戦車は小柄な日本人の体格に合わず、また中古品がほとんどであったために故障が頻発。折しも、世界では第二次大戦型戦車に代わる戦後第一世代戦車への更新が進んでいた頃で、日本でも国情に合った国産戦車の開発が模索され始める。太平洋戦争の終結から10年が過ぎ、戦車の開発が絶えて久しい日本の重工業界だったが、朝鮮戦争で損傷した戦車の修理を請け負うなど細々とノウハウを蓄積していた背景もあった。

 一度は焼け野原の中に消えた日本の戦車開発史は、こうして再び独自の系譜を刻み始めたのである。

戦後初の1台は“沼”にズッポリ……
STA-1

ゲーム内表記は「STA-1」

 1954年に再スタートを切った、日本の国産戦車計画。後に掲げられた開発目標は、重量は25t以内、主砲は90mm砲で、装甲に関してはこれを実現できる範囲で忍ぶこと。これがすったもんだの末に、重量35tの90mm砲装備、車高を2.5m以内に収めるという最終プランにまとめられる。その結果、最初に試作されたのがSTA-1、STA-2の2種類の試作戦車だ。ちなみにSTAとは何かというと「新型特車(特車とは当時の戦車の呼び名)A型」をローマ字にした頭文字、らしい。まんまやがな……。

 STA-1とSTA-2の違いを一言で表現するなら、両車の車高。STA-2では目標値ピッタリの2.5mだったのに対して、STA-1ではさらに低く2.2mに収められていた。車高が低いということは隠れやすいということで、STA-1の低車高はそれなりに好評価だったらしい。

 でも、これだけ低いとエンジンがまともに車体に収まらない。結果としてモッコリと後部車体上面が盛り上がることになったけど、そうすると砲塔旋回時に機関室のルーフと干渉してしまい、主砲を後ろに向けることができなくなってしまう。これを避けるには、車体を長くして砲塔と機関室を遠ざければいいんじゃね? ……てことで、STA-1の全長は当時としては異様なほど長くなってしまった。

 これで解決かと思えばさにあらず。全長が長いと履帯も長くなるので、それを支える転輪の数も増やさなきゃならない。転輪を増やすと抵抗が増すので、高い機動力を得るには強力かつ小型のエンジンとトランスミッションが必須。でも、そんなもの今の日本の技術力では開発できない……と、まさに思考の沼にハマってしまったのだ。

 結局、あまりに低車高にこだわりすぎたSTA-1はお蔵入りに。STA-2も目標性能に達しなかったため、この後さらに二次試作としてSTA-3、STA-4の2種類の試作車が作られることになる。WoTではモジュール交換でSTA-3、STA-4を一部再現することができるので、ぜひ試してみて欲しい。

国産戦車だから右ハンドル!?
61式戦車

ゲーム内表記は「Type 61」

 STA-1~4の4つの試作戦車を経て、1961年に戦後国産戦車第一号として制式採用されたのが61式戦車だ。1954年の検討開始から、実に6年余り。平時だからこそじっくりと時間をかけて開発できたのもあるけど、それでも第二次大戦期の各国がムチャクチャなハイペースで戦車を開発していたことが判るはずだ。

 主砲は61式90mm戦車砲。開発中に東側諸国が105mm砲装備のT-54を実戦配備していることが明らかとなり、当然ながらより強力な砲の搭載を求める声が各方面から上がった。だけど当時の西側諸国では90mm級の戦車砲が主力で、これ以上の口径をもつ戦車砲を装備するには独自開発するしか方法がなく、主に労力と費用の面から断念されてしまったのだ。現在では、T-54の105mm砲は西側の90mm砲と同等程度の威力しかなかったことが明らかとなっている。

 全体的に避弾径始に優れた形状をしていて、車体前面は60度の傾斜装甲となっている。一方、装甲厚は車体前面上部55mmに対して、砲塔は前面114mm。ここから判ることは、61式戦車は主として戦車壕に車体を隠した状態(ダッグイン)で敵を待ち伏せする運用を想定してた可能性がある、ってことだ。つまり61式戦車は、一部に第二次大戦期の駆逐戦車の流れを汲む戦車といえるのかもしれないな。

 面白いのは、国内の交通法規を考慮して車体右側に操縦席を設けていること。ただ、これだと全乗員4人中3人が戦車の右側ばかりに集まることになるので、リスク分散の考えからするとあまりよろしくない配置だ。

 また、ミッションはオートマではなくマニュアル。ただし現代の車のようにシンクロメッシュ方式ではないから、少しでも回転が合ってないとギヤが入らない。当時の映像にも、操作に熟練した操縦手のはずなのに何度もギヤを入れ直している場面が映っている。

 61式戦車の生産数は560輌。配備開始から一度も実戦を経験することなく、2000年に全車退役している。

国内地形を活かせる夢の装置を装備!
STB-1

ゲーム内表記は「STB-1」

 満を持して登場した国産第一号戦車・61式だったけれど、当初から火力・防御力不足が指摘されていたのは前述の通り。世界では戦後第二世代戦車の配備が始まっていた頃で、61式戦車が制式採用されて間もない1964年には、早くも61式に続く後継戦車の開発が始まっている。

 スタートを切るのが遅かったために、その開発目標は「各国の第二世代戦車の性能に追いつくこと」。こうして随所に新機軸を盛り込んだ新型戦車の開発が始まり、5年後の1969年に誕生した試作車両2輌のうちの1輌が、WoTに登場するSTB-1だ。

 この時代、成型炸薬弾を用いた携帯兵器の隆盛によって対戦車攻撃力がズバ抜けて高くなり、戦車の防御力が極めて不利となっていた頃だった。基本的に各国の第二世代戦車の運用思想は、砲弾に対しては良好な避弾径始で弾き、対戦車ミサイルなどの携帯兵器の攻撃には高い機動力によって被弾そのものを回避する(つまり、当たったら諦める!)考え方だったのだ。

 そのためSTB-1は、まるで避弾径始の申し子のような極端な亀甲型砲塔と、ダッシュ力に優れたエンジンを持つに至る。主砲の51口径105mmライフル砲はレーザー測距儀とアナログコンピューターによる弾道計算の補正が入り、命中率は極めて高い。

 大きな特長としては、油気圧サスペンションの採用によって自由に車高を変えたり姿勢を変えたりできるところ。例えば丘に車体を隠して(ハルダウン)敵を攻撃する稜線射撃は、一方で主砲の俯角が取りづらく射界に制限ができてしまう。でも、この油気圧サスペンションで姿勢を変えれば射界を広く取ることができ、なおかつ車体をできる限り地形に隠すことができる。

 起伏の多い日本の国土にはピッタリで、この後の陸上自衛隊戦車にも採用されていく優秀な装置だった。

 STB-1から始まった後継戦車の開発は、試作車6両を経て1974年に74式戦車として制式化され、全国の陸上自衛隊に計873輌が配備されている。現在は10式戦車の登場によって随時退役が進んでいるが、後しばらくは各地でその雄姿を見ることができるだろう。

 なお、これは余談。74式戦車の制式採用時、当時の政治家がこの戦車にどっぷり惚れ込んだ末、自分の名前をつけた「山中式戦車」と名付けるよう働きかけたエピソードがある。結局これは前例がないことから却下されたけど……あまりにダサ過ぎるわ……!

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