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World of Tanksの世界へパンツァー・フォー 第9回

ルノー乙型戦車からTier4までのWorld of Tanks日本戦車を解説

チハたん万歳! WoT日本戦車14両の基礎知識その1

2014年02月14日 18時00分更新

文● 有馬桓次郎

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日本戦車開発史その2
世界の潮流に沿った研究開発が続く

 1920~30年代の世界の戦車開発はいささか迷走していた時期で、この新しい兵器を歩兵の支援用として用いるか、それとも独立した兵種として運用するか世界的にも決めかねている頃だった。これがやがて馬に代わる兵器として戦車を装備したい騎兵科と、歩兵支援用の装甲火器として使いたい歩兵科の縄張り争いに発展。その折衷案として、軽くて足が速い戦車と、足は遅いが分厚い装甲を持った支援用戦車、二種類を開発する案が主流となっていく。

 日本の場合、起伏の多い国土と交通インフラの貧弱さ、それに財政的な問題により、欧州と同じに重戦車を導入するのは大きな壁があった。そこで日本陸軍では、支援用の重戦車を軽量な中戦車に置き換えた上で、主力となる軽戦車と支援用の中戦車の二本立てで整備を進めていく事になる。日本の戦車開発は、少なくともこの時点では世界の潮流に沿った至極まっとうなものだったのだ。

耐久性◎ 2000km走っても壊れない
九五式軽戦車ハ号

ゲーム内表記は「Type 95 ha-Go」

 機動性の高い軽戦車と支援用の中戦車を揃える日本の戦車開発計画のうち、軽戦車パートに当たるのがこの九五式軽戦車ハ号だ。日本戦車としては最多となる2378両が生産され、後述の九七式中戦車と並んで日本軍の主力として活躍した。

 日本の国情に合わせ、全備重量7トンで設計された九五式は、それゆえに武装が貧弱で軽装甲に過ぎるといわれる。でもそれは戦車技術が発達して軽戦車が陳腐化してしまった第二次大戦後半の話であって、開発当時は世界的に見ても標準的な性能を持った軽戦車だったのだ。ここ、九七式中戦車でも同じね。

 ちょっとばかり砲の弱さと装甲の薄さが気になるけど、トラックと協同作戦が可能な最高速度40km/hの足を持ち、しかも2000km走り回っても足回りやエンジンはノートラブルだったという耐久性の高さは、まっこと当時の日本軍にはピッタリな使い易い戦車だったんである。

チハの競争相手は軽くて薄い!?
試製中戦車チニ

ゲーム内表記は「Type 97 Chi-Ni」

 軽戦車と中戦車の二本立てで進める日本の戦車開発のうち、その中戦車パートの開発は1936年にスタートした。開発コンセプトは、歩兵支援用のため榴弾火力が大きな短砲身57mm砲を採用して、さらに装甲や機動力を向上させること。その上で、重量増を忍んでも性能充実を求めた甲案と、防御・速度性能を忍んでも重量を軽くする乙案の2つのコンセプトで競争試作されることになり、乙案として大阪造兵廠が設計したのがこのチニ車だ。

 砲塔は小型の1人用砲塔として乗員数を削り、さらに全体の重量を軽くして輸送の弁の向上と生産費の低減を同時に実現。多少の性能低下は配備数の増加で補うのだ!

 でも、結局はエンジン出力に余裕のある甲案・チハ車のほうが制式採用されることになり、設計に無理がありすぎたチニ車はお蔵入りに。ま、そりゃ当然だよね……。

「日本陸軍のアイドル、チハたんだよー♪」
九七式中戦車チハ

ゲーム内表記は「Type 97 Chi-Ha」

 一方、こちらは三菱重工が試作した甲案・チハ車。37mm対戦車砲の近距離射撃に耐える装甲をもち、最高速度も38km/h。大型の2人用砲塔で戦闘時に楽できるし、将来的に主砲をより強力なものに換装できるようターレットリングの径も余裕が持たせてある。運用側からの熱烈なラブコールを受け、九七式中戦車として採用されたのはこちらの甲案の方だった。我らがチハタンの爆誕である!

 九七式中戦車の性能は、少なくとも第二次大戦前夜では世界標準といえるもので、むしろドイツのIII号戦車A型と較べても砲力を除く多くの点で勝っている。

 太平洋戦争の緒戦では、敵に有力な戦車がいなかったことから各地で善戦。唯一アメリカのM3軽戦車との戦いではピンチとなるものの、高初速の長砲身47mm砲へ換装した九七式中戦車改(新砲塔チハ)の登場によりこれを凌駕することができた。後年やたらと低評価が目に付く九七式中戦車だけど、少なくともこの時点では、間違いなく太平洋戦域最強の戦車だったのだ。

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