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次世代のテレビは白物であるべき、ハイテク化だけが進化ではない

遠藤諭が体験、新型ビエラでのぞく新しいテレビのあり方

2013年04月02日 15時00分更新

文● ASCII.jp編集部

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テレビの進化が面白くなってきた、ビエラの方向性はその答えの1つだろう

 テレビほど、いま岐路に立っているメディアはないと思う。1940年代にNTSC規格ができてアナログだったテレビが“デジタル化”して、“ネット”に繋がることになって、スマートフォンの影響で“アプリ”も動くことになった。なんとなくスマートフォンの大きいもののようになって、「スマートテレビ」という言葉が出てきている。

角川アスキー総合研究所の遠藤諭

 しかし、家電店のテレビ売り場に行ってみれば、50インチ以上の大型テレビがずらりと並んで、われわれを映像エンターテインメントの世界に引き込んでくれる。テレビカメラの視線にあわせて自然をとらえ、素晴らしい音楽に引き込み、アクション映画ではカメラと一緒に空間を旅する感覚におそわれる。

 個人的な意見だが、テレビの方向性はおおまかにはひとつしかないと思っている。

 テレビの平均視聴時間は、1980年代なかばに若干の停滞(データによっては減少)はあったものの、テレビの黄金時代といわれた1960年代からごく最近まで一貫して伸びてきた。50%という驚異的な視聴率だった『8時だョ!全員集合』の時代には、お茶の間ではテレビはエンターテインメントの王様だったが、お父さんは新聞や本を読んでいることも多かったし、自分の部屋にテレビがある子供も少なかった。

 ひとことでいえば、戦後、日本人はひたすら「メディア人間化」していったといってもよいだろう。そのメディアが、デジタル+ネット+アプリときて、実のところテレビだけではなく“ちょっと整理すべきタイミング”にきているのだ。それを象徴する言葉が「4スクリーン」だが、これは、大まかには次のように言い換えることができるのではないかと思う。

  • テレビ → Watch
  • タブレット → Browse
  • スマートフォン → Access
  • PC → Process

 要するに、人間が情報に接するときのスタイルとして4つを分けて議論されはじめている。同時に、このような接触をどこでどのようなタイミングで行うのかということからテレビを考えれば、そのフィロソフィーというのが見えてきてもよいはずなのだ。例えば、私の意見では、次のように定義できると思う。

  1. リラックスできるものである
  2. 公共性をもっており、同時に家族をサポートする
  3. 信頼できて、頼りになるものである
  4. デジタルの恩恵を適切な形で受け入れ、便利である

 米国でいわれているスマートテレビは、CATVや衛星放送など多チャンネル文化の中で、それがインフラとしてネットに移行する中で盛り上がってきた部分がある。日本に関していえば、いまの20代は関東に住んでいれば1週間に約100本のテレビアニメが観られたという圧倒的な二次元コンテンツ消費者である。そうした力学ははたらているものの、テレビは、そのメディア機械としてのアイデンティティーを保ちながら進化するしかない。

 パナソニックは、2003年に業界に先がけて「Tナビサービス」という形で、テレビにネットを繋いだメーカーである。当時、「インターネットTV」、あるいは「コネクテッドTV」という方向は見えてきていたが、これは、生活情報ネットワークサービスである。同社は、いわばテレビをいちばん早く“白モノ”(生活家電)にしたメーカーである。

 もちろん、テレビは、映像エンターテインメント機械だから、AV機器としての進化の方向性には選択肢はいくつかあって、どれも正しいというのはあるだろう。あるいは、コンテンツ消費者のスタイルは多様化しているからそれぞれのテレビがある。

 そうした中で、今回のビエラは、家庭におけるテレビらしい進化を感じさせる。ある意味、“保守的”なテレビの楽しみ方の姿を考えて、そこにいまデジタルとネットがあるからできる便利さを盛り込んでいくということだ。その結論が、今回、顔認識やマイホーム、それから音声認識になったというのはありだろう。テレビに盛り込まれるものがこれだけのボリュームになってくるとUI(ユーザーインターフェイス)が、重要になってくるからだ。

 短時間の試用だが、まず「あれ?」と思ったのは、音声認識のマイクがリモコンに付いていることだ。通常、音声認識は、“リモコンいらず”をめざすはずだ。それを、リモコンでやらせる理由は、音声認識の本質が、ボタンをポチポチ押してメニューを行ったり来たりする面倒からの開放にあるからだ。しかも、リモコンだと『アリババと40人の盗賊』みたいに「開けゴマ」と言い放つ大げささはなく、『スタートレック』のコミュニケーターみたいな雰囲気になる。

 「テレビを見なくなったな」という人もいるが、テレビの実時間性と、ネットの非同期コミュニケーションとの食い違いにとまどっている人もいると思う。角川アスキー総研のデータでは、外付けレコーダーで録るのは10代と40代がピークだが、テレビ内蔵録画ではフラットになる。同じように、テレビの平均視聴時間は年齢比例と言われてきたが、録画視聴に関しては、ほぼ全世代フラットになるのだ。便利になれば、テレビはいまよりも観られるはずである。

 テレビは、それで人々が生き生きとするメディアとしての魅力を堪能しない手はない。加えていえば、“テレビノミクス”とでもいうのか、当たり前すぎたテレビのビジネスモデルの新しい形が生まれることは、この国の社会や文化、そして経済にも大きな意味を持つと思う。そんな注目すべきテレビというメディアのひとつの方向性を示したビエラの新製品ではないか。

(角川アスキー総合研究所 取締役主席研究員 遠藤諭)

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