たとえアニメといえども、現実と無縁ではいられない

文●渡辺由美子(@watanabe_yumiko)

2013年03月17日 12時00分

 興行収入42億円を記録した、大ヒットアニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」。プロデューサーのひとりである渡邊隆史氏に、ヒットの背景を伺っている。

 ヒットを生む種は大きくふたつあった。ひとつは「映画が公共的なものであり、個人的なものでもあるという二面性を意識できたこと」(前編)だった。そしてもうひとつは「アニメがフィクションの枠を超え、現実と関わっているように見えた」ということだ。

 つくりものだけど、どこかで現実とつながっている。ただのおとぎ話で終わらせることなく、心にひっかかりを残したことが共感と感動につながった。そのひっかかりは一体どこにあらわれたのか? 数百万人の心を動かした、ヒット作の「リアル」を読み解く。


アニメプロデューサー 渡邊隆史氏

 1959年栃木県生まれ。アニメ専門誌「アニメージュ」(徳間書店)編集長ののち、角川書店に入社。「Newtype」編集長を経て、アニメーション事業部へ。細田守監督の長編オリジナル作品「時をかける少女」(2006年)、「サマーウォーズ」(2009年)、「おおかみこどもの雨と雪」(2012年)にプロデューサーのひとりとして関わる。2012年には「図書館戦争 革命のつばさ」(浜名孝行監督)もプロデュース。

劇場版アニメ「おおかみこどもの雨と雪」

 大学生の花は、人間の姿で暮らす"おおかみおとこ"と恋に落ちる。一緒に暮らしはじめた2人の間に、新たな命が生まれる。姉の雪と弟の雨は、人間とおおかみのふたつの顔を持つ“おおかみこども”だった。おおかみおとことの別れを経て、花は子供たちが将来「人間か、おおかみか」どちらでも選べるように、厳しくも豊かな自然に囲まれた田舎町に移り住むことを決意した。(公式サイトより)

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―― 「おおかみこども」は、お客さんの感想が多種多様だったという話を伺いました。10代~20代前半の若い人からは「花はなぜ避妊しなかったのか」という声もあったとのことで、これには驚きました。こういった感想が来ることも予想されていたのでしょうか。

その感想自体には驚いたんですが、まず大前提として、お客さんが「映画」から受け取るテーマというものは、それぞれ人によって違うし、違っているところがいいんじゃないかなと思っています。

「花はなぜ避妊しなかったのか」という感想も、最初聞いたときは驚きもしたけど、でもそれが10代~20代前半のリアルかもしれないなとも思ったんです。学生で、生活もままならない中で子どもをつくったら大変なのは決まっているじゃないかと。つまりその子たちは「子どもが生まれてしまって苦労する話」として見たわけです。

これが、20代後半の人になるとまた感想は違ってくるんですよ。あと、子供が欲しい人とそうでない人とではまた違うし。さらに、もっと下のお子さんたちであれば、雪ちゃんが学校にうまくなじめるかどうかが気になったりもする。


―― その人が歩んでいる人生によって違うということですか。

そうだと思うんですね。それだけ自分の身に引きつけて見てくれたということでもあるんだろうなと。一応、プロデューサーとしての言い方としては「この作品の主軸になるテーマは『家族のつながりと母親の強さです』」と言える。けれども、作品を見た感想が、人によって様々だったんです。僕自身も同様に、監督の意図していない感想もいだいていると思います。


―― 女性客が多かったという話も聞きました。女性の方はどんなふうに映画を見ていましたか。

女性のお客さんは、花の生き方について様々な意見がありました。田舎の景色がキラキラしてきれいだったとか、花の目線から見たものが多かったです。それが男性の感想になると、まったく違ったものになる。僕から見ると男性特有の感想があるんです。「どうして“おおかみおとこ”は野垂れ死にをしたのか」。実は、僕もそこに共感しました。


―― それは、思いもよりませんでした。

女性でそこを見ていた人は少ないかもしれないです。でも男としては、あの死に方はかなり気になる。少なくとも、僕はそうだったんです。おおかみおとこがなぜ、あんなむごい死に方をしなきゃいけなかったのか? プロデューサーの立場を離れた僕個人の視点で見たら、あの死に方はやっぱり野垂れ死だと思うんですね。

“おおかみおとこ”はなぜ野垂れ死んだのか?

―― “おおかみおとこ”に関しては、なぜ、そのような描き方になったのですか。

実は僕にもわからないんです。ただ、僕はプロデューサーとして、なぜおおかみおとこを野垂れ死ににさせたのかを把握していかないと宣伝の方針も立たないし、自分の心の中でも納得がいかない。だから、自分なりの解釈は持っていました。

「おおかみこども」のベースに、「才能」の話があると思います。

僕個人の解釈になるんですけど、 “おおかみおとこ”という人は、ニホンオオカミという「才能」を引きついでいた。でも、それを捨てて人間として生きることを決意した人だった。そのために大学で哲学を受講するほど、深く考えて決意していたはずです。

ところが、そのもぐりこんでいた大学で花と出会った。ふたりで生活を始めたときに、彼が何をしたかというと、子どもたちに食べ物を与えるために、もう一度オオカミという「才能」を使って狩りをし始めた。つまり、一度は捨てたはずの才能に、もう一回賭けちゃったんですよね。彼は才能を捨てたはずなんです。ところが結婚したとき、軽率にもう一回使ったがゆえに野垂れ死にをしてしまった。そう感じたんです。

おおかみこどものベースには、社会人が避けては通れない「才能」の話があると渡邊氏


―― 捨てた才能をもう一度使うのは、どうしていけないと思うのでしょうか?

僕が思う「才能」というのが、「自分自身が本来持っている自我を貫くこと」にも見えるからなんでしょうね。往々にして社会の規範に従って暮らすことと、自我を貫くことは対立関係にあるんじゃないかなと。幸運な例外もあるとは思いますが。おおかみおとこは、社会に順応するために一度捨てた本来の自我を、もう一度取りに戻ってしまった。その彼の迷いの結果が野垂れ死にだったんじゃないかと思うんです。


―― 社会と自我の対立、ですか。

はい。才能を優先すれば、リスクが必ずついてくると思う。たとえば細田監督自身も、単身で富山から出てきて、サラリーマンを選ばずに、どう転ぶかわからないアニメーションの道を選んだ。それはやっぱりリスクと裏表だと思うんです。才能のおもむくままにリスク覚悟で突き進むか、それとも、もっと真っ当な道を行こうと思って社会になじもうとするのか。それが、「おおかみこども」で雪と雨がした“選択”の分かれ方だと思ったんです。


―― 作品では、雪が「人間」に、雨が「おおかみ」として生きる選択をしますね。

母親の花は、子供たちに「おおかみ」として生きるか、人間として生きるかあなたが決めなさい」と言うんだけど、それは、父親が(おおかみを選んで)野垂れ死んだことをわかっていて、その上で選ばせるんですよね。

「おおかみ」を選んだ雨の選択は、とてもリスクが高いけど、それでもやっぱりあの山の中に消えていった雨というのは、富山から単身アニメーションの世界に行った細田監督自身と重なると思います。

僕も昔、フリーランスのライターという人生を選ぶか、社員として会社に入るかという選択をしたことがあったけど、結果、野垂れ死になりそうだと思って会社員を選んだ。それでも、故郷に自分の両親を置いて、妹に全部任せて東京に出てきてしまった自分自身と雨の生き方が重なった。やっぱりもう故郷には戻らないって、結果として覚悟はしてきたんですよね。

そう思えば他人ごとではないし、プロデューサーとしても、「『おおかみこども』のテーマは自分自身の中にある」と言えると思います。

男性にとって「社会」という壁は高い

―― 私自身は、男性のお客さんが見出す「おおかみおとこがなぜ野垂れ死にするのか?」というところにはまったく思いが至りませんでした。映画では、“おおかみおとこ”が社会で生きられなくなったらいきなり野垂れ死ぬ。「社会になじむか、そうでなければ死か」というのは、ずいぶん極端な振り方だと思いました。

「社会になじむか、そうでなければ死か」というのは、もしかしたら男性のほうが良く考えるのかもしれません。実は男って、人生の選択肢が広そうに見えて意外に狭いと思うんですよ。周囲を見ていても、女の子はたくましいしバイタリティーがあって、生きる選択肢をどんどん広げている気がしていて。

男はおおむね、「勝つか負けるか」みたいなものが大きな価値観としてあって、勝たなきゃ存在意義がない的に、1かゼロかで考えてしまう。本当は、もっといろんな価値観や人生の選択肢があっていいはずなんだけど、子どもの頃から勝ち負けという価値観の中に放り込まれてしまうところがあって。「社会に出る、出ない」で問題を抱えるのはおおむね男ですよね。そういう中で生きていかざるを得ないというか。


―― 男性は、女性よりも「社会」というものを強く意識したり、自分とを隔てる壁だと思ったりしがちなのでしょうか。

もう十数年前のことだから、今とは若干価値観が違うかもしれないけど、ある男性クリエーターさんがこんなことを言ってたんです。「男は大変だよね。女の子に告白するのに、でっかいビル建てて『このビルは僕が建てました。だから結婚してください』って言わなきゃいけない」って。そうしてまでやっと告白できるという、男の作法の無力さというか。

そういう勝ち負けに乗っ取った人生の選択肢しかないところが本当に困ったもので。「おおかみこども」の中には、そうした男の不器用さみたいなものも入っていると思いますね。

ええと……最初の質問は、「女性客が多かったという話も聞きました。女性の方はどんなふうに映画を見ていましたか?」でしたよね。脱線してしまい、すみません。それも様々だと思いますが、大きいのは「花の生き方をどう感じたか?」だと思います。これは年齢、未婚の方、既婚の方、今、あるいは過去に子育てを体験しているか、などによると思いますが実に様々でした。

アニメも社会や現実(リアル)とリンクしている

―― 私自身は、花が苦労している中にもキラキラした素敵な世界が見えるというところに共感しました。「日常の暮らしの中にも素敵な世界がある」がテーマだと思っていました。

それが、あなた(筆者)が見いだしたテーマなんだと思います。

映画では、花というひとりの女性の人生十年くらいの出来事を淡々と描いているだけなんですね。あの映画の画期的なところのひとつは、テーマが映画の中にあるんじゃなくて、見ている自身の中にあるっていうことじゃないですか?

この映画で何が見えたかを語ろうとすると、その当人自身の境遇や人生観を語ることになったりする。僕の友人にも、「この映画でどんな感想を持ったかは、自分自身の悩みに向き合うことになるから、他人に容易に話せない」と言ってくれた人もいました。


―― そう考えると「おおかみこども」は、舞台設定が私たちが暮らす現実世界と近いだけでなく、人が生きている上で感じる実感のようなものに近いのでしょうか。

そう思います。僕は、細田さんの作品には、必ず「リアル」が入っているところがとても好きなんですね。アニメーションの作り方はいろいろあるけど、細田さんが作る作品は、何かしら僕たちが実際に暮らしている日常や社会とリンクしている。


―― 「おおかみこども」にもそうした「リアル」が入っていると。

なんというか「人の日々の営み」にちゃんと関心がある。人生の転機にあたるような、女性との出会いとか、結婚、出産、最終的に老いて死んでいくところまで、人の営みすべてに関心がちゃんとある。何でもないような日常にこそ奇跡がありドラマもある、そういう視点でできている映画だと思います。

ここからは僕の思いなんですけど、こうした日常をアニメーションで描くことは、すごく大事だなと思うんです。人は、人生の営みから離れて生きていけるはずはない。どうしたって今の世界で生きていかざるを得ない。だから、アニメーションも、夢を夢として見せるだけじゃなくて、何かしら「リアル」と結びついていてほしいというふうに僕は思いますね。


―― 架空のことを描くアニメーションであっても、「リアル」さと結びつくものが良いと?

僕の場合はそうですね。そういう思いは、僕が「アニメージュ」編集者だった時代に、編集長だった鈴木敏夫さん(現・スタジオジブリ プロデューサー)のやり方を見ていたことも影響していると思います。鈴木さんは、アニメを特集するにしても独自の視点があって、アニメというファンタジーを提供する雑誌に対して、あえてファンタジーではない、読者がリアルに感じられる身近な問題を転写していった。ある種の社会的な視点を持ち込んだんだと思います。

たとえば、宮崎勤事件。あれによって大きくアニメファンというものが傷つけられる一連の事件が起こったわけですが、それに対して鈴木さんは真正面から向き合って、巻頭特集をやったりもしました。

たとえアニメといえども、現実と無縁ではいられない。現実と常にコミットしていく。夢を語るのも、夢を夢として夢の領域だけを語るのではなく、「自分たちが生きている世界のなかでどうあるべきか」を考える。そんな方向性ですね。

アニメーションの楽しみ方は本当に多種多様なんですけど、僕はファンタジーの中にもリアルがあるような、人間が社会の中で葛藤したり頑張ったりしているような作品が好きなんですね。僕が、おおかみとしてリスク覚悟で才能を活かして生きていく雨と、社会に懸命になじもうとする雪の、その両方に共感するのは、その揺らぎが自分の人生と重なるからだと思います。

現実は「地味」なのか?

―― 「おおかみこども」には人生のリアルが反映されているというお話ですが、アニメーションでリアルさを追求したことに対して、何かしらの壁や、デメリットのようなものはありましたでしょうか。

壁というのは、映画を制作する上ではいくらでも出てくるんですが(苦笑)、映画公開の後にいただいた言葉に、「この企画を成立させたスタッフに敬意を表する」というものがあったんです。それは、逆に言うと、こうした企画を成立させるまでにはさまざまな障害が予想される、ということだと思いました。


―― 「こうした企画」というのは?

要は、ちょっと地味なんじゃないか、ということなんです。アニメーションというのは、いくらでも架空のファンタジーを描ける映像なのに、「おおかみこども」は日常描写がほとんどです。制作中にも、「アニメ映画」としては淡々とし過ぎているんじゃないかという懸念は出ていました。プロデューサー4人(齋藤優一郎氏、高橋 望氏、伊藤卓哉氏)の中でも、「上司から『映画としては地味じゃないか』と言われた」とか、いろいろ出る意見を持ち寄って、さあどうしよう、と皆で話し合いを積み重ねていきました。


―― それでどうされたのですか。

それで作品の内容が変わったかというと、結局変わらなかったです。確かに今回の作品は、抑揚は静かではあると。それでも、花という女性の、13年間に及ぶ人の営みを2時間弱で表現するというのはかなり壮大な試みというか、無茶な試みだろう。それだけで十分派手なんじゃないのか、という結論を出しました。


―― 抑揚が静かな作品の中で、カタルシスをどのように置こうと考えましたか。

カタルシスというと、アクションなどがまず浮かぶかもしれませんが、カタルシスの形もいろいろあると思うんです。僕が大好きな「新世紀エヴァンゲリオン」であれば、スタイリッシュなデザインとか、表示がパパパパパッとリズミカルに出てくるとか、専門用語だらけのたたみかけるような会話とか、そういう形のカタルシスもある。もちろんストーリー全体を見て初めて生まれるカタルシスもある。「おおかみこども」はその13年間の花や子供たちの生き様自体に、お客さんにうったえかけるものがあったのかなと思います。

すごく良かったのは、細田さんがサービス精神旺盛な監督だというところですね。雪山をサーフィンのように滑り降りていく親子の姿とか、開放感や爽快感のある、それこそカタルシスのあるシーンを入れて、エンターテイメントに仕上げてくれている。

それから、たくさんの人が「泣いた」と言ってくれた、雪と草平のふたりきりの教室のシーン。ああいうところが僕は最大級のエンターテインメントだなと思うんです。


―― おおかみこどもの一番の「映画らしさ」はどこにあると思いますか?

僕が「まさしく映画だ」と思って非常に面白く感じたのは、花が、雪と雨に「おおかみ」か「人間」かを選ばせるところです。本当は、その選択の中に「ときどきおおかみ、基本人間」っていう、一番リアリティのある、妥当な選択があっても良いはずなんですよ。だって、本当はそれが一番得なんだから(笑)。それにこれまでのオオカミ男映画ってオオカミ男は例外なく、「ときどきオオカミ、基本人間」じゃないですか。

僕たちは実際、社会の中でそういう生き方をしているわけですよね。ときどきは「おおかみ」になって、リスクの高い仕事も頑張っちゃう。でも基本は「人間」なわけ。おとなしくその社会の中で自我をひっこめて生きているという。最も無難な選択肢がなかったっていうのが、この映画の面白いところだなと思うんですよ。


―― なぜ、無難な選択肢を避けて、「おおかみか人間か」という極端な選択になったのでしょうか。

それこそ、泣くほど感動するという「映画」とはそういうものなんじゃないですか? 自分ならどうするかと考えさせられる作品のほうがきっと面白いし、ヒットもしていると思う。

人は生きている限り、リスクを覚悟して常に何かを選択して、何かを捨てている。「映画」はそれを映し出す。だから観た人は、自分の人生について考えさせられるんです。それが「映画」の存在する大きな意味のひとつだと思います。



■著者経歴――渡辺由美子(わたなべ・ゆみこ)

 1967年、愛知県生まれ。椙山女学園大学を卒業後、映画会社勤務を経てフリーライターに。アニメをフィールドにするカルチャー系ライターで、作品と受け手の関係に焦点を当てた記事を書く。日経ビジネスオンラインにて「アニメから見る時代の欲望」連載。著書に「ワタシの夫は理系クン」(NTT出版)ほか。


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