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四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第106回

冨田勲「イーハトーヴ交響曲」世界初演公演インタビュー

電子音は自然の音だし、僕たちも自然現象なわけでしょう

2012年11月17日 18時00分更新

文● 四本淑三

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日本のレコード会社からは総スカン食らうも全米で大ヒット

―― それで最初のアルバムになる「月の光」を録り終えたものの、日本のレコード会社は契約しなかったという話を聞いています。

冨田 日本のレコード会社から総スカン食らっちゃってね。どこも取り合ってくれなかったんですよ。

―― もしそのまま出ていなかったら、歴史が変わっていたと思いますよ。

冨田 ただ、こういう珍しい楽器が入ったと報道されたものだから、日本のレコード会社のディレクター、若い張り切った連中がどんなものかと来るわけですよ。それでドビュッシーを聴かせたら「これは面白い、ぜひ我が社で」と言うから、こっちもいい気になりますよね。これは引く手あまただぞと。それでできあがってさあ出すぞという段になって、若いディレクターと営業との食い違いで、だめになっちゃうんですよ。

ディレクターと営業の温度差で、当時の企画はボツになった

―― 営業はなんと言うわけですか?

冨田 レコード店に気を使ってるわけですよ。今まで売ってきた演歌であるとか室内楽であるとか、色々ジャンル分けしてるでしょ。こんなものレコード店のどこに置くんだと。そうすると新しいコーナーを作らなくちゃならない。すでに評判を得ているものならいいけれども、今できたばかりの音楽のためにコーナーを作るなんて。そんな危ない冒険をやるよりは、今まで売れてきた舟木一夫や島倉千代子を売っていた方がいい。まあ、ノーとは言わないけど、ノーみたいなものですよね。それでうやむやになって。

Image from Amazon.co.jp
Switched on Bach

―― 結果的にアメリカのRCAから出ることになったわけですよね。

冨田 1年4ヵ月かかって作ったものが何にもならないですからね。インターネットも何もない頃だから、調べようがなかったんだけれども、「スウィッチト・オン・バッハ」※2を手がけたピーター・マンヴェスがRCAレコードに移籍してきたと。そこへ持って行ったら何か反応を示すだろうと、単独で行ったんですよ。

―― ご自身でアメリカへ売り込みに行かれたわけですね。

冨田 うん、行ったんです。ニューヨークの商社に友達がいて、すごく力になってくれてね。ホテルまで押さえてくれて。マスターテープも2インチのこんな重いのを持って行ったんです。それでヒルトンで世界地図を見て愕然としたのはね、日本の世界地図は日本が中心で、アメリカとヨーロッパは両側にあるわけでしょ。それが、日本はどこって言ったら、ファーイーストの端っこのちっちゃい国なんですよね。えらいところに来ちゃったなあって。

―― ははは。そういう時代ですよね、70年代の初めって。

冨田 ただ、モーグ・シンセサイザーというのは、アメリカでも先端を行く楽器だったんですよね。それが文化果つるところのファーイーストから来るっていうのは、ちょっと面白いんじゃないかと。それでトントン拍子に。こっちが呆気にとられるくらい。

MOOG III-C

―― ものすごく売れちゃったわけですからね※3

冨田 そう。

―― その時の日本側の反応ってどうなんですか? ビートルズをオーディションで不合格にして、むざむざ他社に渡してしまったどこかの話と同じじゃないですか。

冨田 そうしたら、あっちこっちから「やろうやろう」って言い出して。

―― 殴ってやろうと思いませんでした?

冨田 まあ、何を今さらと思っていたけれどね。あの頃ビクターとRCAは関係があって、RCA事業部というのがビクターの中にあったんですが、日本はそこから出すことになったわけですよね。ただ、僕はRCAに原盤を売らなかったんですよ。だから1枚売れるごとにいくらっていう原盤印税がアメリカから入ってくる。これが結構ね、良かったんですよ。

―― はははは!

冨田 360円ですよ、1ドルが。いまの5倍ですよ。アメリカでピーター・マンヴェスがね、原盤は売らない方がいいと。最初はつらいだろうけれども、原盤は持っていたほうがいいと。これは絶対売れるものだからって。

「ピーター・マンヴェスがね、原盤は売らない方がいい、持っていたほうがいいと」(冨田さん)

―― 今はそれが普通のやりかたですけど、昔はレコード会社のスタジオを使わずに音源を作れる人はほとんどいなかったんで、すごく珍しいわけですよね。冨田さんは、それも70年代からやられていたと。

冨田 著作権協会は個人でも契約するけれども、原盤となると個人と契約できないんで、大至急法人を作れと。僕の会社は、それで作ったんですけれども。

―― なるほど。そんなに良かったですか。

冨田 もう売れに売れてね※4

―― はははは!

※2 スウィッチト・オン・バッハ : ウェンディ・カルロス(スウィッチト・オン・バッハ発売当時はウォルター・カルロス)が1968年にモーグ・シンセサイザーで制作したバッハの作品集。その後の音楽に多大な影響を与えた。

※3 ものすごく売れちゃった : 1974年に米RCAより発売された『月の光(英題: Snowflakes Are Dancing)』はビルボードクラシカルチャートで1位を獲得。NARM(全米レコード販売者協会)の1974年度最優秀クラシカル・レコードに選出。その後に発売された『展覧会の絵』『惑星』もビルボードクラシカルチャートで1位を獲得。日本にはその評判が逆輸入される形で紹介された。

※4 売れに売れた : 「70年代に冨田先生が画期的な作品を次々にリリースされた時期、この時期は大変残念ながら、私共も含めて日本のレコード会社が冨田先生の素晴らしさに気が付かず、RCAというアメリカのレコード会社からリリースされてヒットし、日本でも話題になりました。21世紀に入りまして『源氏物語幻想交響絵巻』でやっとご縁が復活しまして、そこからずっとお仕事をさせていただいております」(日本コロムビア・岡野博行氏)

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