四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第97回
神戸在住のトラックメーカー・tofubeatsに聞いた
関西は「もうなくなりそう」、風営法で危機に瀕するクラブシーン
2012年06月16日 12時00分更新
tofubeats小史:
トラックメイクの修行時代からクラブミュージックに至るまで
―― そんな風にトーフくんがクラブに出るようになったのは、ここ数年のことだと思うんですが、どういうステップで今に至ったかを教えてください。
トーフ 100%ネットのおかげです。
―― まず何から手を付けたんですか?
トーフ 中学校の頃にヒップホップから入ったんです。中学1年生の頃ですね。ウェブ1.0くらいの時代、超サグい、適当なHTMLで組んだDJの人のホームページがあって。それでトラックメイクとは何か、みたいなことを知りました。そういうのをずっと見ていて、機材欲しいなって思っていて。おかんにお願いしたら「英検受かったら買ったるわ」みたいな感じで、勉強して受かって買ってもらったんです。
―― 作った音源はどこで流していたんですか?
トーフ ヒップホップの人たちだけが集まり、音源を上げて感想を言いあう掲示板があったんです。そこにUPしたのが最初で、高校に入る前か直後くらいに、YouTubeができるんですよね。そこからYouTubeにアップするようになったんですが、マルチネレコーズから動画をリリースしていたイミジクモくん※が、僕の動画をサイトに貼ってくれてて、そこにアクセス解析で飛んでいったんです。それで年齢を見たらオレの一個上じゃん、というので声をかけて。
※ イミジクモ : 表記はimdkm。マルチネでのリリースは three meters right above - on the shady side of the street など。
―― そういうつながりだったんですか、面白いですね。
トーフ あの人たちもネットだけでやっていて。Tomadくんと、あとSyemくんの2人でやっていたんです。男子校で暇でノイズみたいなのを作っていて、でも聴かせる人がいないから架空のレーベルを作って配った。それが最初なんです。イミジクモくんも通信制の高校に行きながらずっと1人で映像を撮っていた。そんな人たちがtomadくんの呼びかけとかで集まっていったのが、マルチネレコードの黎明期になるんじゃないでしょうか。
―― なんだか歩くネット音楽の伝説ですね、トーフくんは。
トーフ いやいや。あとはニュー速※に、合唱(gassyoh)さんというDJの人が「club VIP」というラジオを立ち上げるんですね。YouTubeができる直前くらいで、インターネットで音楽をやる流れがまとまり始めた頃です。僕は地元で面倒くさいことがあったので、やんわりとWebに活動場所を移して。
※ ニュー速 : 2ちゃんねるニュース速報(VIP)。住民はVIPPER。2ちゃんねるのdat落ちした当時のログが残っている。gassyohさんもマルチネでのリリース多数。
―― あ、それは徒弟制度的なことで?
トーフ パソコンでもっと色んな曲が作れるのに。特に、僕は誰もいないところでトラックを作り始めたんで、(地元で)そりが合わなかった。それでマルチネの人たちと絡み始めるんです。